GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「春を待ち」<おいどんのオリジナル1>

2009年04月23日 | Weblog
 自宅で飼っていたスピッツ犬が5匹の子犬を生みました。幼稚園児だった私は大喜びしたのを覚えています。「お手」「お座り」「待て」など一生懸命に教えました。四歳上の兄しかいない家族で、実家は商店街で2軒の店を営んでいた関係で、従業員を含めたファミリーの中で私が一番年下でした。そんなこともあり、まるで弟ができたようなはしゃぎようでした。当然5匹も飼う事ができず、一匹だけ飼うことになりなりました。その選定は私でした。最も白く、最も元気なオスを選び、ハッピーと名付けたのも私でした。

 小学校3年の時生まれて初めてチエちゃんと云う名の女の子とデートしたときも彼が一緒でした。近くの住吉公園に散歩に出かけて、二人でハッピーが何回オシッコをしたのか、数えました。48回でした。

 高校に入ってもハッピーをお風呂で洗うのは私の役目でした。しかし、あのスピッツの白さがいくらゴシゴシ洗っても以前の白さには戻らないのです。私はシャンプーが悪いのか母に尋ねました。母はこう云いました。
「違うんよ、ユーちゃん。ハッピーは年取ったんや。人間も年取ると白髪になるやろ。」
私には年を取るということが頭では理解していても実感できないでいました。

こんな事がありました。
ハッピーの耳は以前はピンと立っていました。しかしいつの間にかその頃の耳は二つとも前に折れていました。何度も立てようとした記憶が残っています。住吉公園に行くときは、いつも二人で駈けっこしながら向かいました。しかし、ある日から私について来れらず、ストンとお尻を落とし、薄赤い舌をダラリと口から出して肩でハアハアと荒く息をしているのに気づきました。

(これが老い?)

あの時、パッピーの目はとても悲しそうでした。

(ユーちゃん、オレ、もうついて行けない…)


私は呆然と立ちすくみ
「もう走らへんから……。ごめんな、もう走らへんから……」

あの日から私はいつもリードをつけて、ゆっくり歩きながら住吉公園に毎夜散歩に行きました。
悲しい悲しい秋でした。老いるということを学んだ秋でした。
その年の冬、ハッピーは逝ってしまいました。私は高校1年生でした。

私はハッピーの鎮魂歌を作りました。
大学に入った年、「おいどん」というデュオグループを作り、コンサートでも何度も歌いました。(私は大阪、ヤッちゃんは山梨県生まれでしたが、偶然先輩の部屋にあった少年マガジンの漫画を観て、グループ名をおいどんと名付けました)

この歌を口ずさむ時、ハッピーがいつもこちらを向いて笑ってくれています。
私の心の中で……

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<春を待ち>


                            作詞・作曲:ユージ
                 リードボーカル・サイドギター:ヤッチャン
                   サイドボーカル・リードギター:ユージ

歩き疲れて来た 名も知らない公園
はげた橋の上に いつのまにか 僕はいる

枯れ果てた木は 凍りついた水は
北風に吹かれて ゆれている

春を待ち 春を待ち
すべてを失って 春を待てというのか



霜の降りたベンチ どっかり僕はすわる 
朝のもやの中に 冬が去るのを見た

枯れ果てた木にも 凍り付いた水にも
新しい命が 宿ってる

春を待ち 春を待ち
すべてを失って 春を待てというのか 
春を待てというのか













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