GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「草剛くんに同情しつつ…」(上)

2009年04月26日 | Weblog
若い頃、世界は自分を中心に回っているものと感じるものです。
しかし、最近は繊細な人が増えてビクビクしながら
他人の顔色を伺っている若者が大勢います。

恋愛したい気持ちは充満しているものの、
想いを伝える方法が分からず、ただ遠くから見ているのです。
告白にも色々な手段・方法があります。
知識が足りないために、次の一歩がでないのです。
25%の男性が結婚できないというデータがでているそうです。
女性はこの数字よりもっと少ないとのことですが。

私は大学4年間のクラブ活動を通して、
人が集まって何かをすることの喜びを実感できました。
そして同時にその難しさ(人の想いはぞれぞれ違い、温度差もである)に気づきました。

「こんなに一生懸命なのに、どうして彼奴は動かない?」
「どうしてあんなに否定的なの?」
「何がしたいの?」

大学3年生はグラブの運営を任されます。4年生はOB扱いとなります。
あの3年生の1年間、部分的な円形脱毛症になり、
オートバイのヘルメットや髪型で隠したものでした。
私なりに生まれて初めてストレスを溜めていたのでしょう。

「人は何故そう思うのか?」
「何故、自分とこうも違うのか?」

恋愛体験を含めてその後の人生で、とても大切なことを学んだ1年でした。
「人と共に働ける仕事をしよう! 人と喜びを分かち合える仕事をしよう!」
就職という新たな将来の扉が開きかけた想いでした。

人への関心は様々な歴史小説、アーサー・ヘイリーのような
人と組織の関係を描いた情報小説、
男の生き様を描いた城山三郎のような小説を選んで読み漁りました。

「何が自分に足りないか」
夢中になった大学のクラブ活動を通してようやく分かってきたのです。

人生と云う名の地図上で、今立っている位置がようやく見えてきたのです。
位置を把握できれば、目標を定め方向を決めて歩き出すことができます。

若い人には、今自分に何が足りないか、分からないのです。
他人との比較、歴史上の人物との比較、小説や映画の登場人物との比較が
現実でも空想の世界の中でも経験不足なのです。

また、一般の人には絶対音感が備わっていません。
パトカーのサイレンや駅の音楽を聴いても音階は分かりません。
しかし、同じサイレンの音を聞いて「ラの音ですよ」と教えられれば、
多少の音感があれば、音階が分かってくるものです。
同じようなことが人生でもあります。
動物のように直感や本能だけで生きる動物世界とは違って、
複雑な人間社会を方向を意識して歩むには、相対的なものと比較し足りないものを学び、
自分の羅針盤を磨いて行かねばならないのです。

 人は人、自分は自分。確かにその通りですが、人の意見や行動を観察しながら自らの言動を戒めることはとても大切なことです。それは「空気を読む」こととは少し異なります。「和して動ぜず」という言葉がありますが、あくまで自分を忘れてはいけません。自分の中の想いを大切にするのです。

生きることは「このようにしたい」と「このようにすべき」という想いが交錯する連続です。前者は動物的本能が主体ですが、後者は人間的理性が主体です。どちらが大きすぎてもバランスを欠いた人間となり、生き抜くことが非常に難しくなります。

 SMAPの草剛君も、このバランスを欠いていたのかもしれません。今までの彼の言動から洞察しても、とても誠実で人を裏切ったことも、人に強制したこともないとても優しい性格だと思います。会見で「大人として恥ずかしい」「楽しかったので飲み過ぎた」と釈明し、涙ぐみながら「僕の弱さだと思う」と云っています。最後の「僕に弱さ」という言葉に彼の人生の歩み方が伺えます。

 スターとしての間合いを理解している中居正広君、自然体で決して無理をせず自分なりに真摯に向かい合っている木村拓哉君、香取慎吾君、それに比べて稲垣吾郎君や草剛君は自分をスムーズに表現できない弱さがあります。稲垣君は草君に比べて精神的には幼く、誰かが周囲にいなくてはならないものを感じますが、草君は大人の分だけ常に孤独がつきまとっていたように見えました。つまり、SMAPの中で一番孤独だったのが草君だったように感じていました。とにかく、一番純粋でまじめだったのが草君だと思います。

 日本で一番報道規制の厳しいジャニーズ事務所に管理され、中居君やキムタク、慎吾と比較して自分をうまく表現できず、草君は空気を読み過ぎて理性的に物事に対処しようと自らを追い込んでいたのでしょう。泥酔による想いもよらない行動を今までに何度か遭遇してきました。泣き上戸や怒り上戸、笑い上戸、その殆どが日頃はとても温厚な性格の人ばかりでした。周囲に気を配り過ぎて、ずっと我慢して、理性的になり過ぎて、弱気になり過ぎて、ストレスを溜め込んできたように感じます。その自らのクサリが泥酔によって解き放たれたのです。飲食店をでるとき店の従業員に「若者よ、我が道を行け」というメッセージを残しています。彼の心のうちを象徴しているような言葉です。とても哀しくなります。一日も早い復帰を祈ります。

 真実は端から見て決して分かるものではありません。だから私の洞察など周囲に語るものではありませんが、自分はこう見ている、このように捉えていると洞察結果を積み上げていくことが、新たな洞察に役立つのです。この洞察力が大切な人を守り、大切なものを守ってくれる甲冑となるのです。(続く)


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