GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「新年会 2016 1/20」

2016年01月20日 | Weblog

 大阪駅が眼下に見えるハービスENT5Fにある天ぷらの「山水の技」店からの絶景です。

  

大学を卒業しデニーズで丸12年勤め、1988年の3月に退職しました。そして、大阪に帰ってきて、実家がある粉浜商店街で父が営む天ぷらの総菜屋「千石」店で働き始めました。退職の理由は二つ、一つは外食レストランチェーン展開に限界を感じたこと、そして、もう一つは小学校に通い始める息子の転校だけは避けたい(12年間で引っ越し12回)ということでした。商店街で働き出してすぐに阪神電鉄から声がかかったのですが、辞退して1年半ほど両親と共に働きました。「こんな時間があっていい」そう思ったのです。今振り返っても本当にとても貴重な時間でした。


  

  

   

 1990年の秋、再び阪神電鉄から声がかかりました。西梅田開発事業が進んでいたのです。父や母に伝えると、寂しそうな表情でしたが、背中を押してくれました。当時、このハービスENTが立っている場所に阪神電鉄本社がありました。ビル経営部・係長としての入社で、当時の久万社長から直接辞令を受けました。役員室に続く廊下に赤い絨毯が引き詰められており、(入ったことはないですが)まるで宮中のような雰囲気だったことが思い出されます。辞令を受け取った1990年10月から25年3ヶ月後、同じ場所で仕事仲間だったママさん達と新年会をしていることがとても不思議な気持ちがしました。未来に何が起こるのか、そんなことは誰にもわかりません。ただ一緒に汗を流した仲間たちは、間違いなく現世に存在し、思い出も明らかに残ります。このことは未来も確実に実感できます。それは生きてきたことをまさに実感できることにつながるのです。食事中、こんなことを考えていとてもHOTな気持ちになりました。 

 

  

  デニーズ時代12回の引っ越しともなう辞令を受け、その内10回が新店のオープニング(埼玉1号店、栃木1号店、群馬1号店、愛知1号店、大阪1号店etc.)でした。その繰り返しの中で、一緒に汗を流した仲間と、いい別れをしていこういう信念が身についていきました。阪神でも同じ姿勢を貫いてきたおかげで、今日のような「至宝のご褒美」をいただけたと思っています。間違っていなかったという気持ちと感謝の気持ちで一杯です。

 

 



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