GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

<もとは人も糞尿をまき散らす獣>

2009年04月19日 | Weblog
 こんな事を考えたことがありますか?たとえばもしあなたが、裸のままで四畳半の箱の中に閉じこめられ、水と食べ物を与えられたら、一ヶ月後にいったいどんな状態になるでしょうか? 箱の中は糞尿がまき散らされ、部屋中にその匂いが立ちこめるでしょう。動物園の獣たちとなんら変わらないに違いありません。

 人は言葉を教えられ、子供ながらに周囲を観察しながら文字を学び、人間社会のことを修得していきます。幼子は自分で服を着たり靴下をはくことできません。たとえ出来るようになっても教えなければそのままの裸体でいるかもしれません。イブがエデンの園のリンゴの実を取ってかじったらとても甘く美味しかったのでしょう。それから人への道を進む話が聖書に書かれています。ではリンゴの実とは一体何の喩えなのでしょうか?

 糞尿をまき散らす獣が人への道を進むとき、言葉や文字がリンゴに当たるかもしれません。そうであるなら言葉と文字が人間と獣を隔てるものになります。もっと考えれば人間らしく生きるためには言葉と文字を大切に学ばなければなりません。

 算数や英語は大切な科目ではありますが、私は一番大切なのは国語だと思っています。文字を読み文字を書く。言葉は残りませんが文字は残ります。幼い頃に自分が何を考えていたのか、文字にしておけばその頃の自分を理解できます。気持ちを文字にするとき人は、どのように書こうか、どのような喩えを使えばもっと深く相手に伝わるだろうか。メールのような伝達文ではなく、もっと気持ちを深く伝える作業が考えるという意味でとても大切な気がするのです。

 小学校の4,5年の頃、本が好きだった父は強制的に私と4歳上の兄を正座させて読ませました。その嫌な思いが残っていたために、自分の息子には同じように強制的に読ませようとはしませんでした。中学1年生になったとき、東映映画の内田吐夢監督作品、中村錦之介主演の第一部「宮本武蔵」(この作品は5部作ある。ただ今BS放送で5週に渡って放映中)を深夜の再放送で見た時でした。武蔵が千年杉に吊されてから一体どうなるのか。その先が知りたくて、偶然家の本棚に『宮本武蔵』の6部作の3巻まであり、夢中で読み始めたのです。そうして4巻以降を手に入れるために古本屋を何軒も捜し回りました。高校時代に新しく3巻物で発売されたので、その本を買い求め再度読破しました。中学生の頃は、試験中であろうと読みふけった為に何度も母に叱られたことがありました。読み終えるために1年もかかりましたが、高校時代は5ヶ月ほどで読み終えました。

 以前NHKの大河ドラマ「春日局」で家光に無理矢理漢文を読ませる場面がありました。家光は声を出して読むのですが、まったく意味が分からないとお福(春日局)に文句を言います。しかし、お福は「読んでいるうちに分かってきます!」ときっぱりと言い放ちます。そして「教育によって辛抱を学ぶのです」と付け加えました。

 息子が小学校の頃、今どき正座させ強制して本を読ませることなどナンセンスだと考えていました。連れ添いも本が好きな女性ですが、そんな教育を受けたことがなかったために子供の自主性を重んじました。これが過ちだったと今では確信しています。強制的な教育方針に対して、ナンセンスや子供の自主性などと考える傾向が今の親たちにはあるような気がします。

「子供の将来のために」
これは親の誰もが思うことですが、行きすぎれば吃音や神経質な子供になることがあり、親としても大変難しいことです。「ニュー・シネマ・パラダイス」のアルフレードは、エレナが約束の時間に来なかったとサルバトーレにウソをつきます。傷心のまま彼がローマに旅立つ時、強い言葉でこう云います。「二度と帰ってくるな。こんな田舎に帰ってきてもおまえの為になるようなことは一つもない」親はたとえその時、その後も恨まれようと<子供の将来のために>と強い信念を持って接するべきなのだと思います。

「春日局」が放映されたのを調べると、今から20年前の1989年でした。その時、息子は5歳でした。本の習慣を身に付けさせようとする強い信念は、今ほどではありませんでした。父の強制による読書が子供の私には苦痛でしかなかったのです。今では大変感謝していますが、こうした想いは長い時間人の心を呪縛するものです。しかし、自分が親となり子供が20歳を過ぎた頃、親の強い想いや自らの呪縛に気づくのです。祖父母の方が子供の教育に向いているという話は、自分の子供に対する教育観を客観的に分析できる経験を積んだからと云えるかもしれません。


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