GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「自戒の心」

2011年04月10日 | Weblog
 歳を重ねることで、やっと見えてきたり、感じてきたり、分かってきたりするものが沢山あります。公開当時、大して面白いとは感じなかった1974年公開の「ゴッドファーザーⅡ」を35歳を過ぎて改めて見直したとき、とても良くできた映画だったと感激しました。あんな経験は初めてでした。結婚し子供を育て、ファミリーを守る生き方を実感し、中間管理職となって上と下への視線の違いを実感したことが大きな経験となり、ファミリーを守るゴッドファーザーの苦悩を私なりに共感できたのだと思います。昨夜も連れ添いがこんなことを私に語ってくれました。「映画も本もスポーツ観戦も歳を取っていっぱい感じられるようになった。私は歳を取るのをうれしく思う」

 以前父と一緒にゴルフを楽しんだ頃、父はこんなことを云っていました。「歳を取るほど悲しいことはない」その言葉を聞いたときの父の表情は本当にとても悲しげでした。もっと遠くまで飛ばせたボールを息子は遥かに先にまで飛ばしていく。好奇心旺盛だった若い頃に比べ、楽しいことが少なくなっていく。気持ちがあっても身体がついてこない。そして疲れは明日まで残ってしまう。限りある命の時間の減少を感じてしまう。美味しいもの食べたいという気持ちが減退していく。年老いていく自分を憐れんでいるかのようでした。

 今もそうですが、私は母を失ってからの父の姿がとても悲しそうに思えてきました。兄夫婦と2世帯住宅に住んでいるのですが、兄とは以前から折り合いが悪く、母がその架け橋をしていたのですが、今はそれは望めません。父を見ていると、まるで残りの人生に苛立ちを感じてやりたい放題だった映画「セント・オブ・ウーマン」の主人公の退役軍人(アル・パチーノ)を彷彿します。(父はあんなにひどくはありませんが…)
 私は本来人は、一人で死んでいくものだと思っています。親身に世話をしてくれる人や温かい家族に見守られていようと、この世を去る切なさを他人が分かるはずがないと思っているからです。だから「余計なお世話だ」という主張している父の後ろ姿、映画の退役軍人の姿に共感してしまう自分を感じます。かと云って一人で死んでいく孤独に、正直堪えられるだろうかという不安も持っています。

               

さだまさしの『関白宣言』の終わりにこんな詞があります。

…子供が育って年を取ったら
 俺より先に死んではいけない
 例えばわずか一日でもいい 
 俺より早く逝ってはいけない
 何もいらない俺の手を握り
 涙のしずく ふたつ以上こぼせ 
 お前のお陰で いい人生だったと
 俺が言うから 必ず言うから
 忘れてくれるな 俺の愛する女は
 愛する女は 生涯お前ひとり

 私はこんな最後を迎えたいとずっと思っています。父も実はこのようなことを考えていたのではないでしょうか。母は脳梗塞で倒れ、そのまま一言も交わせず逝ってしまいましたが、その前に心臓と腰の病気で数ヶ月入院したことがあります。その時、父は雨の日も風の日も欠かさず毎日3回母を見舞いました。その優しい父の通院姿は、看護士達の間でも有名になったほどでした。母の気丈な姿を誰よりも身近で見てきた父にとって連れ添いの苦しむ姿に心痛めたのでしょう。父は若いときに商店街で苦労して2軒の店を持ち、そのストレスがたたって胃潰瘍で血を吐き生死をさまよい10名ほどの従業員を使う身分になって、放蕩三昧もして母を悩ませてきました。しかし、母を看病する姿は兄夫婦や私たち夫婦を唖然とさせました。それは母に対して今までの深い感謝の気持ちにほかなりません。私たちはそんな後ろ姿を見て唖然とし、そして長年連れ添った夫婦の崇高な愛情に見え思えたのです。しかし、突然連れ添いを失った父の心中を誰が本当に理解できるでしょうか。父自身でさえ、心の支えだったことに初めて気づいたのかもしれません。そして気づいたとしてもどうすることもできないのです。


 人間が万物の霊長たる所以は<自戒>にあると私は思っています。幼い子供たちは歳を重ね学習することによって教養を身に付け、ようやく自立と自律、つまり<自戒>を学んでいきます。戦国の武将、秀吉も晩年、同じように<自戒>を失ったのではないかと私は感じています。親方様である信長の妹市の娘(茶々)を側室にし、3年後の1591年、天下統一を果たしたのち、茶頭の利休を切腹させました。その死罪の理由はいまだ明らかではありません。秀吉にとって、自戒の柱は信長だったのでしょう。信長が存在して、初めて秀吉のあるべき姿を証明できたのでしょう。つまり秀吉自身には<自戒の心>は存在しなかったのです。家康は幼い頃から清洲の信長の所に人質に出され、その後今川義元にも人質に出されました。そして信長によって妻や長男を殺される辛酸を舐めてきました。この辛酸の経験と信長や秀吉の過度な言動を見据えて<自戒の心>を自らの心に構築できたと思っています。

<自戒の心>とは<良心>とも解することができます。
人が常にこの心を持ち続けるのは、決して容易ではない、
と歳を重ねてきた人には理解できるはずです。
だからこそ、太古の昔から容易に理解できるように宗教が生まれたのでしょう。
<自戒の心>を自ら構築できていなければ、晩年の秀吉のように道を外していくのかもしれません。壊れていく心を自ら修復できないと思えるからです。

               
以前、時代劇や歴史小説、大河ドラマが大好きだった父に尋ねたことがあります。
「信長、秀吉、家康の3人のうちで最も好きな武将は?」
父は即座に「秀吉」と答えました。
「戦国時代を見事に生き抜き、そして、やりたいことをやりくした人生に男として憧れを感じる」と付け加えました。

 今私はこの会話を思い出し、一足先に逝った母がもし聞いていたらどう思うだろうか。
そして、大御所の家康にも慕われた秀吉の正室ネネ様は、晩年どのような気持ちだったのでしょうか。
そんなことを考えてしまいました。


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