GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「復興の道筋の一つ」(上)

2011年04月19日 | Weblog
 私は物事に対処するとき、「この出来事をどう捉えるべきなんだろうか?」と自問自答します。優先順位の低いことにはそれほど時間をかけて考えることはありませんが、大きな出来ごとや将来的に必ず重要になると判断される時、心構えを定めることに力を注ぎます。
 今も余震が続く東日本大震災。長い日本の歴史の中で、かつて経験したことがない今回の大災害。この悲惨な出来事をどのように捉え、今後の心構えとしてどう受け止めるべきなのか、そして今後の道筋は? 

 この答えを得るために常に脳裏の何処かで自問自答しています。大学を卒業し、就職を決める時も、そうだったし、12年後に退職するときも1年がかりで考え込みました。退職の際の課題は、「今後、伸びゆく産業とは?」でした。そして、外食産業を選び、IYグループのファミリーレストランに入社しましたが、辞める2年前くらいから外食産業の限界を感じ始め、今後の生き方を考え始めたときと、不謹慎とは思いますが、どこか状況が似ているように思います。当然1ヶ月ほどで今後の日本の流れや定年後の生き方を含めて判断できる筈もありませんが、この大災害は今までの日本の流れや行く道筋に、必ず影響を与えるように思えてならないのです。

 その根拠の一つが日米安保体制の変質です。日米安全穂所為条約を締結した当時、米国はソ連の共産主義の進行を止めることが最大の命題でした。戦争に負けた日本が共産主義国の仲間入りさせないことが絶対でした。そして全世界に<米国の正義>である民主化の流れを促進するためには日本を守る姿勢を示さねばならなかった。それが日米安保体制という具体案となって表れました。そのお陰で日本はアジアで唯一、素晴らしい発展を遂げました。しかし、決してこの発展は安保体制だけではありません。勤勉で優秀な日本民族が力を結集し技術革新(イノベーション)を続け、復興に尽力した結果であることはいうまでもありません。
 
 その後、米国の基幹産業だった電子機械、半導体、コンピューター、自動車産業において、米国企業は日本企業に負け続けていました。そこで米国は日本の経済躍進を食い止めるための防御策を発案した。これが1985年の<プラザ合意>(為替レート安定化に関する合意。)です。つまりドル安円高という高慢な施策でこの争いに終止符を打とうとしたのです。91年にソ連の共産主義世界体制が崩壊し、日米の敵が消滅しました。そして日本のバブル経済もその前年からはじけ始めました。「日本を共産化から守る同盟」という日米安保の戦略的意義が、「日本の経済を封じ込める同盟」へと変質した結果です。
 異常な円高は、90年代初頭、円は購買力平価の2倍という異常な過大評価となり、日本企業のコストを一気に国際水準の2倍に押し上げました。そして日本の労働者の賃金も2倍となったために、企業は雇用削減、正社員から非正規雇用へのシフト、生産の海外移転など劇的なコスト引き下げを迫られました。結果、ユニット・レーバー・コストは大きく低下し、なんとか企業は競争力を維持できましたが、日本の労働賃金はその犠牲となり、長期にわたって低下し続け、日本にデフレをもたらしました。
 しかし、この苦しい20年間に大きな成果が獲得されたことを、見過ごすべきではないと思います。米国の要求と円高に対応していく過程で、賃金だけでなく流通コストや公共料金などが大きく低下し、日本は世界一の高物価国から、世界有数の低コスト国に生まれ変わり、日本企業は著しくスリムになったのです。また海外に生産をシフトしたことで、日本は輸出基地から世界経営の本社へと機能を変えており、いまや日本企業が海外で膨大な雇用を生む状況になりました。加えて日本企業はハイテク素材や部品、装置などでも技術優位を獲得しました。

 この状況を踏まえて米国は<新たな安保体制>という戦略を構築しようとしています。それはかつての日本と同様に大躍進を続ける大国中国の台頭への対応です。そのために中国という強大な国に対抗するために、アジア最大の民主主義国家である日本のと同盟、つまり<新たな安保体制>の再構築に着手せざるを得なくなったのです。この読み通り推移すれば、まず過度の円高は解消させるだろうと思います。さすれば企業収益の回復、賃金上昇、株価・地価の上昇、円高・デフレ傾向の反転が連鎖的に起こり、われわれが今目にしている経済風景は一変するのではないか。かなり希望的観測ですが将来的な流れはこのように進むのではないかと思います。

 


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