GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「ヒラリーが感じた共和党の限界とは?」

2008年05月27日 | Weblog
 映画「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」は米ソ冷戦終結の真の立役者とも評されるテキサス選出の下院議員をモデルに描いた実録政治コメディだが、内容は決してコメディと言い難い。シリアスなのだ。ソ連に侵攻されたアフガニスタンを守るためにたった一人立ち上がるストーリーはまるでアニメ的だが、実話に基づくストーリーと聞かされ驚愕する。時は冷戦時代、アメリカが表立ってアフガン支援が出来ない状況だった。それは第三次世界大戦勃発を意味したからだ。

「共和党の限界を感じた」と彼女はいう。そのことが共和党支持から民主党に変更の最大理由だ。「共和党の限界とは?」映画「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」を通してこの件を考えてみたいと思う。

1979年、ソ連軍によるアフガン侵攻開始。親ソ連派のクーデターによってアミン革命評議会議長を殺害し、バーブラーク・カールマル(元)副議長が実権を握る。社会主義政権樹立。
1987年、ムハンマド・ナジーブッラーが大統領に就任。
1989年、ソ連軍撤退完了(10万人)。国土は荒廃し、食糧事情は悪化の一途。反ソ連ゲリラ(ムジャーヒディーン)と政府軍の間で内戦が勃発。
1992年、ムジャーヒディーンが攻勢、ナジーブッラー政権崩壊(その後ほぼ無政府状態)。

2006年、駐留軍の指揮権が北大西洋条約機構(NATO)に移譲される。5月、タリバンの攻勢強まる。7月、ISAF南部展開。10月、ISAF東部展開、計13000人がアフガニスタンに駐留。(ウキペディアより)

 映画の最後、実際のチャーリー・ウィルソンの言葉がエンドクレジッドに流れる。
「俺は最後にしくじった」


『かつてサウジの裕福な家に育ったウサマ・ビン・ラディンが、自費で民兵を集め、聖戦としてアフガンに出兵しイスラム世界で名を馳せた。クェートに侵攻したイラクを討ちに行きたいと彼が言い出したとき、今度は王家は、承諾しなかった。武力の乏しい王家と油田地帯を確保しておきたい米軍の思惑が一致して湾岸戦争が勃発した。しかし、異教徒の力を借りたとしてイスラム世界は徐々にサウジを非難していった。それは堕落したキリスト教世界との明確な決別を意味する。そんな流れにおいてウサマ・ビン・ラディンは英雄として過激なイスラム教徒達に支持され、まつりあげられていった。キリスト教異民族や王家に悪意を抱く過激な人々にとって彼は、まさに<ロビンフッド>のような存在となったのだ。』

 このしくじりは決してこれは共和党だけの責任ではない。この映画は米国の国家戦略そのものをもう一度考え直す時が来ていると思えてならない。


 以前クリントン女史の経歴を日記で転記したが、改めてここに示す。

●ヒラリー・ローダム・クリントン
 高校時代1964年の大統領選では共和党のバリー・ゴールドウォーター候補を応援するゴールドウォーターガールを務めた。1965年にマサチューセッツ州の名門女子大であるウェルズリー大学に入学、1年生の時、学内青年共和党の党首に選ばれるが、ベトナム戦争や公民権に関する共和党の政策に疑問を持ち始め、その後辞任。1968年の大統領予備選では、ベトナム介入反対を掲げる民主党のユージーン・マッカーシー候補を支持した。

1961年:ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任(1月)
1963年:ジョン・F・ケネディ暗殺
1973年:パリ協定締結(1月)、アメリカ軍がベトナムから撤兵完了(3月)
1974年:北ベトナム軍がプノンペンを包囲(2月)、リチャード・ニクソン大統領辞任(8月)
1975年:北ベトナム軍全面攻撃開始(3月)、サイゴンが陥落し(4月)、ホーチミン市へ改名(5月)

 1963年のケネディ暗殺を多感な高校生時代にTVで見たはずだ。共和党員の父を持ち、弱腰のケネディを批判していたに違いない。彼の死は共和党支持を、もしかしたら堅固なものにしたかもしれない。

 1965年に大学生となったクリントン女史は、1年生の時、学内青年共和党の党首に選ばれるほどのバリバリの共和党員だった。しかし、ケネディ暗殺以降、副大統領だったジョンソンが大統領になりケネディの残りの任期とさらに一期、計5年2ヶ月をしっかりと務め、軍事介入の再開・強化し、その後、共和党に移りニクソン大統領はさらにベトナムを泥沼化させた。しかし、この60年代をアメリカ国民は「古き良き時代」と振り返る。映画「アメリカン ギャングスター」ではこの時期に、マリファナ・ヘロイン・コカインが蔓延したと伝える。

 ニクソンが大統領に就任した1969年の8月、40万人もの若者を集めたウッドストックは既成の伝統文化を拒否するカンターカルチャーの集大成、ヒューマンビーインと呼ばれる人間性回復のための集会とも云われている。
 
 1974年ウォーターゲート事件でニクソンは辞任し、カーター大統領は国民の民意に従ってベトナムから撤退を始めた。ソ連はこの期に援助を増大させ、北ベトナム軍全面攻撃が開始されサイゴンは陥落しホーチミンと名を変え、ベトナムは共産主義国家として統一された。

 1969年、ヒラリーは名門イェール大学ロースクールに進み、ビル・クリントンに出会い、在学中は児童擁護のための組織で働き、また法律が子供に与える影響について学んだ。1972年の大統領選ではビル・クリントンが参加していた民主党のジョージ・マクガバン大統領候補の選挙運動に加わった。1973年のロースクール卒業後は、エデルマンが新たに始めた児童防衛基金 (Children's Defense Fund) で働いた後、1974年には下院司法委員会によるニクソン大統領の弾劾調査団に参加している。

 ジミー・カターの大統領選に参加したビルとヒラリーはビルとともにジミー・カーター民主党候補の選挙戦に参加した。1978年ビルが32歳の若さでアーカンソー州知事に当選するとアーカンソー州のファーストレディーとなったが、弁護士としての活動も続けた。

 1979年にはローズ法律事務所の女性初のパートナーとなり、アーカンソー州における質の高いヘルスケアの普及を目的とした地方健康諮問委員会の議長を務めるとともに、児童防衛基金の活動にも参加。またカーター大統領の指名により、連邦議会が設立した非営利団体の司法事業推進公社 (Legal Service Corporation) の理事を務めた。

 ビルが大統領に当選すると、ヒラリーは翌1993年から8年間、アメリカ合衆国のファーストレディーとなった。ヒラリーはアメリカでは初の院卒のファーストレディーであり、初の弁護士のファーストレディーであり、したがって初のキャリアウーマンのファーストレディーである。そのため当時アメリカではヒラリーのことを、かつて国連代表を務めたエレノア・ルーズベルトと並ぶ「最強のファーストレディー」と評した。

 このファーストレディーの間に大統領選出馬の想いを考え始めたに違いない。


さて「共和党の限界とは?」

 冷戦下、ドミノ理論と云われた共産化と戦ったアメリカは、民主主義国家樹立という錦の御旗を掲げ軍事介入を続けた。このスタンスは米国民の民意を受けて「古き良きアメリカ」が生まれたと人は感じたが、行きすぎたアメリカの驕りはカウンターカルチャーを生み、ドラッグを蔓延させイスラム国家の反感を生じさせた。

 世界に最もいい影響を与えている国が日本だという報告がある。国際情勢に最も肯定的な影響を与えている国は日本。世界の多くの人々がこのような考えを持っていることが、英BBC放送が2007年8月6日公表した国際世論調査の結果で明らかになった。

『調査は27カ国の2万8000人が対象。列挙された12カ国について「世界に与える影響が肯定的か否定的か」を問うたところ、肯定的という回答の割合が最も高かったのが日本とカナダで、それぞれ54%。これに欧州連合(EU)53%、フランス50%、英国45%などが続いた。日本については、25カ国で「肯定的影響」との意見が「否定的」を上回り、中でもインドネシアでは8割以上が日本を評価。ただ、中国と韓国では「否定的」とした人がいずれも約6割を占めた。』

 日本を肯定的評価しているのは、平和憲法はもとに実戦への不参加、道路やダム・橋を作り、井戸を掘り水路作りライフラインを整備し、学校を作り病院を作ってきた事への評価だと私は理解している。米国のリーダーシップの概念を改めて考え直さねばならない。

 大切なことは人と同じではないか。
 自立と自律だとと思う。
 国家としての自立・自律ではないだろうか。

 かつて古代ローマ帝国が1200年もの長きに渡って地中海世界の全域を支配したのは、各地の他民族の宗教を否定せず、道路や水路を作りライフラインを整備したことが大きな要因とされている。しかし、古代ローマ国家の初期から中期にかけての連続的な戦争による農村の疲弊と、戦争勝利・領土拡張に伴う大規模な奴隷の流入は、自作農の没落を招いた。この自作農(自立した農民)の没落は、軍隊の無能力化、及び有害化を招き、これがローマの存続にとって、最も致命的だったとされている。アメリカ帝国の没落は、決して古代ローマ帝国とは同じではないが、どこか似通っているように思えてならない。

 ヒラリーは若い頃から児童擁護活動、児童防衛基金の理事をとして児童の教育の大切さを痛感している。そして教育の目的を<自立・自律>にあると理解してるはずだ。そして「アメリカの驕り」を戒める自律の重要性を全面に打ち出すには、金にまみれた共和党議員としての限界を感じたのかもしれない。リベラルでバランスのとれたスタンスを公言し、行きすぎた行いに歯止めをかけることは、石油コングロマリットの大企業をバックにした経済界の繁栄と欲望を押さえ、軍事介入を背景にした右よりの軍事産業の発展にストップをかけ、それに伴う失業率増大を招きかけない。アメリカ経済のの根幹を揺るがすことになることをオバマ以上に実感しているはずだ。

 一例だが「アメリカの驕り」はAV(オーディオビジュアル Audio Visual = 音響・映像)機器に顕著に表れている。米国国内にはAV機器を製造する企業がない。映画やTVシーンで見る機器は全てがSONY・PANASONICのマークである。買った方が開発より安く済むという企業的合理思想は、一般国民にも波及し、株式やその他の投資熱も全世界の仲でも群を抜きんでている。楽して利を得る思想は、何度もバブルを発生させている。自動車業界の不振もまた同じである。私の好きな作家アーサー・ヘイリーが、1970年代初頭に米国自動車業界を小説「自動車」で描いた。ガソリン消費の少ない小型車新車オリオンの発売を巡っての人間模様が主題だが、その将来を見据えた目線はその後の業界推移と衰退を見事に看破しているように思う。豊富な石油を背景に大型車を続けたGMを代表する自動車業界は、リッター消費の少ない車の開発を推し進めたトヨタ・ホンダにじわじわと浸食を許し、トヨタのハイブリッド車プリウスの発売を境に下降を辿り、ついに世界一の座を譲ることになる。

 行きすぎた軍事介入、押しつけの民主主義、欲望にまみれた大企業による民間支援においては、学校作りを中心とした教育システムの構築は極めて優先順位の低いことがらとなる。金にならないからだ。

 戊辰戦争に敗れた長岡藩、窮状を見かねた支藩の三根山藩から贈られた百俵の米の話を思い出す。藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

と諭し、自らの政策を押しきった。

 この虎三郎の勇気と自律を、アメリカの今後の政策、追随する日本も改めて考え直して欲しい。

 ヒラリー・クリントン女子の共和党鞍替えにこのスタンスを強く感じる。若い頃から児童教育に最も力を注いできた彼女の目指すアメリカ再起の目線には<教育システムの再構築>があると思う。民主党代表になれる可能性はほとんどなくなったが、アメリカを二分する民主党の大統領候補者選びは、共和党代表候補マケインにとっては追い風となっている。以前日記でヒラリー大統領・副大統領オバマなら当選確実と書いたが、その反対でもマケインに勝てると思う。しかし、残念ながら政治の世界ではそれが現実的ではないこと過去が証明している。

 後半年もすれば結末を迎える米国大統領選をじっくり見据えながら、ヒラリーの行く道、オバマ氏の今後の手腕と所信も関心を持って見つめていきたい。それは日本に将来をも見据えることにつながるからだ。そして<米百俵>の精神を信念とする勇気と自律を備えた日本の政治家の出現を心から期待するのは云うまでもない。


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