good! カエルのぶろぐ

gooの中で カエルのblogが 公開中 詩やメッセージ&画像を掲載。
ご遠慮なくコメントをお寄せください

コロナ(収束)祈念日 蛙 🐸の嘆き

2021年01月19日 00時46分00秒 | Weblog

コロナ祈念日

 蛙 🐸の嘆きと  コロナ(収束)祈念日



  画像は  堤防土手に咲く水仙 1/18  

新聞やテレビは 毎日コロナ報道

そして 

連日の政府や関係機関への批判や苦言


それらに煽られてか

政府や関係機関の無策もあってか

自粛警察の出現まで見るという‥


マスコミは 煽るだけ煽って

コロナ収束への先行き見えず


担当者への意見と異見のみが

テレビをラジオを紙面を駆け巡り

労りとか励ましとか連帯とか

提言とか ほとんど見かけない


ただただ ひたすら

失策や被害を論いあげつらい

めぼしい提言とかは 出さず


深刻ぶって

悲壮ぶって

本当に困っている人や

悩んでいる人

不安感いっぱいの人への

慰めとか 励ましとか

頑張りへの承認とか

明るい見通しとか

ほとんど見せることもなく

ただただ他者を批判し続けるという

建設的な面が見られないという

マスコミや専門家や識者といわれる

多くの人たち


だから今日は

収束祈って コロナ祈念日

だから 今日も コロナ自粛日


自衛策は 巣ごもりしかなく

店での飲食は命がけ

そこで 明日も コロナ篭り日


ps   2021.1.18  草稿 1.19 追記

俵万智さん ごめんなさい!

あなたの斬新なサラダ記念日を

尊敬する俵万智さんの著書を

こんな形で勝手に使わせて貰い

本当にすみません😔

でも 散歩中にあれこれ考え

あなたが出演されていた

短歌の番組を拝聴しながら

これだ!と閃いてしまったのです


そして 今の気持ちを表すには

今の私にはこれしかない!と。


私も 願うはただ一つ 

皆さんと同じく

「コロナ禍の収束」であります

これは 間違いのないことです


下記は 参考にしたネット記事です

テレビのコロナ報道「煽りすぎ」招く深刻な分断(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

テレビのコロナ報道「煽りすぎ」招く深刻な分断(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース


ps  2021.1.17 

先日 NHKラジオ文芸で

俵万智さんが選者として出演され

購入して読んだサラダ記念日という本を

懐かしく思い出した

私でも 私にも作れそうな短歌(と 

後出しジャンケンのように)と思い込み

大いなる錯覚をしていた


ちょっと気取っていて 都会風で

私には縁遠いような短歌だったが

何だか身近に感じ 親近感を覚えた


俵万智さんの作品は

私にとっても

革命的な短歌であった

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪神淡路大震災から26年 その後の震災など

2021年01月18日 11時41分00秒 | Weblog

阪神淡路大震災から26

 その後の震災(東日本、熊本地震、水害)



(画像は  公園の真冬の花と虫 1/17 )

日本列島は

この地球上でも 稀なほど

水や空気、植物などの豊かな自然に

とても恵まれている

だけど その分

自然災害の発生も多様で

かつ多発しやすく また

その災害の規模も大きくなりやすい


それに 列島の誕生からして

地殻や地層が動きやすく 

大昔から 

列島各地で 頻繁に

大小の地震が  数多く起きてきた

@@@@@@@@@@@@@@@

1995平成7  )1月17

午前546分過ぎ

阪神や淡路の地域で 

いきなり大地震が起きた

今から26年前であった

マグニチュード7.3  震度7の

巨大な直下型地震であった

(熊本地震は 4/14 前震Mj 6.5 

4/16 本震Mj 7.3   共に最大震度7)


やがて起きる人、出勤や登校中の人、

もう働いている人など様々であったが

朝ご飯の準備中で 台所やキッチンで

火を使っている家庭が多いことも

火災の発生を多くしたようだ


それまで

大規模の地震があまりなかったので

火災の煙や傾いた高速道路、

壊れた建物などの画像を見ながら

私たちは驚きかつとても心配した

(新潟中越沖地震 20077/16  

 Mj 6.8、最大震度6強)

@@@@@@@@@@@@@@@@

震災後の支援は 多くの人が

できる範囲で取り組んだと思うけれど

被災した人たちへの支援は

全体的にスムーズに進まず

いろんな不具合が生じた


それで 

それらのうまくいかなかったことを

記録し 行政や住民は共有したと思う

だから その後の東日本大震災では

それらのノウハウや被災者の思いを

復旧や復興、支援の中で

行政や国民が 活かしていったと思う


また その後の熊本地震でも

物資のプッシュ支援や避難所運営、

仮設住宅の建設、全壊や半壊などの認定、

被災者への物的資金的な支援の在り方等に

阪神淡路大震災の教訓やノウハウが

随分と生かされたと思う


私は被災して

国や行政の迅速な対応や支援、

他都道府県からのボランティアや

多額の寄付や義援金、そして

心身が疲弊した住民への心のケアは

今でも記憶に残っているし

感謝の気持ちを忘れないようにしている

(広島市のマークがある給水車、

他県の腕章をつけた家屋被災認定員、

子どもたちや学生などへの大規模で

細やかな他県からの相談員の活動は

心身のダメージを和らげ 安心感と

明日への希望を抱かせる役割を果たした)


我が国は

「(自然)災害大国日本」と言われ

また 現代は

「(自然)災害の世紀」とも

言われているそうだ


特に今は コロナウイルスという

目に見えない疫病の災害に見舞われて

物資は何も壊されてはいないが

社会システムが 滅茶苦茶に阻害され

人々のつながりも阻まれている


地殻変動や地層の断層、大雨や大雪、

大型台風などの巨大なものから

細菌やウイルスという微視なものまでが

私たち人や生き物の営みや命を

何度も脅かしてきた歴史がある


それでも 私ら人や生き物は

生きてる限り この地球が

存在する限り それらの災害や

細菌、ウイルスなどに

向き合ってゆかねばならない


私らヒトや 地上・地中の動植物は

この地球や細菌、ウイルスの恩恵も

たくさん受けてきたのだから‥


ps  2021.1.17 草稿

一時期 with coronaCOVI-19)

言われることもあったが

最近は 時期尚早ということでか

「ウィズ・コロナ」という言葉は

あまり使われないが でも

さすがに 年内か数年後には

そんな状況が訪れ その言葉も

使われ出すと思う

ウィズコロナからの社会が

どんなものになってゆくか

興味のあるところではあるが

今は とにかく

コロナ感染の抑え込みと

経済の持ち直しに注力すべきだ

#######################

☆  2020.02.13  日経メディカルより 

WHO(2020)211日、

新型コロナウイルス感染症の正式名称を「COVID-19」とすると発表した。

病名はCOVID-19

ウイルス名はSARS-CoV-2




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の音(声)を聴く〜冬の文芸*五

2021年01月16日 15時30分00秒 | Weblog

春の音(声)を聴く

〜冬の文芸*五

「音」(テーマ)とコロナ禍での生活


  1月の冬空、堤防など 1/15 1/16  )


最近の人は

耳が弱くなったらしい

つまり 聞く力、聞き取る力が

へたってきたのかも


テレビやネット画面を見れば

字幕が出て やや大袈裟だが

大文字で分かりやすいように

とても工夫してある


聴覚障害の人や 

耳が遠くなったお年寄りにも 

助かる手立てだ


また 健聴者からすると

電話やラジオのように

耳からだけの情報を頼りに

見聞きするよりも 

テレビやネット情報のように

字幕なども補助しながらの方が

物事や話も理解しやすいと思う


その電話も 最近は 

FaceTime(フェィスタイム)や

LINE(ライン)などでは

画像付きでやりとりできる


私ら夫婦も 時折

東京や福岡の孫たちと

オンラインでやりとりしている

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

音にまつわる蛙 🐸の文芸(冬の短歌)


川風はいまだ真冬の寒さ乗せ

川はさわさわ陽だまりは春

 ※散歩でいつも立ち寄るこの河岸 歩けば

まだ硬くて冷たい川風が 剥き出しの顔に当たる だけど 川岸のせせらぎは 明るい陽の光にキラキラと輝き サワサワと柔らかい音を立てて 私は ほんのりとあったかい陽だまりの中を歩く


地震去り屋根吹き替えてコンカラと

初夏の雨降り音は弾みて

 ※熊本地震からちょうど一年過ぎる頃 以前リフォームでお世話になったY社に

偶然にも空いた期間を使って 我が家の壊れた屋根を 修復して貰った 業者の方は 毎日福岡から高速道路を使って 往復で作業をしてくれた まだ余震が続く中を 仕事も目白押しの中を それぞれに 本当にお世話になった 今でも 感謝、感謝!である

瓦屋根からコロニアルという新素材で屋根が葺き替えられ 最初の雨の日 今までの瓦屋根とは違う 軽やかな音が聞こえて来て 屋根や壁が修復された安堵感と相まって 高めの弾ける音が とても軽快でた印象的だった


高速を走りし中で聴くお経

寝床でも聴きわれ助けられ

 ※五十歳頃に 体調を崩したり 入院したりして 人生に迷った時 思い切って 独学で仏教のお経を学ぶことに決めた

その結果 般若心経や観音教、法句経などに出会い ブッダはもちろん 松原泰道師、良寛さん、白隠禅師、中村元先生、ひろさちやさん、鴨長明などなど いろんな方々の著書や言葉にも出会った 今では それらの言葉や教えを 心の支えや生きる杖ともしている


コンゴンと屋根葺く工事心地よく

もうすぐだよと屋根ささやきて

 ※ 薫風の中 被災後の屋根の修復が進む

 被災から1年間 壊れた屋根のことが 念頭から離れず 私ら老夫婦は 先行き見えず ノイローゼになりそうだった

そんな中 知人の計らいで 福岡の建設業の方が 余震続く中を ある意味命がけで 修理してくださった 大変ありがたいことだった その時 屋根の方から 薫風に乗って

コンゴンコンと屋根葺く工事の音が 心地良く聞こえて来たのを 今でも覚えている


キンコンと共通試験が始まりて

コロナ禍の中制度も変わりて

 ※  今年は 例のコロナ禍で 普段の学習はもちろん 受験勉強も大変だったと思う 受験生はもとより 受験に関わるいろんな方々のご苦労を思うと 気の毒だと思う

私の子や孫が受験だったら ハラハラして胃も痛くなったと思う 朗報を望みます


チチチチと声はすれども見えぬ顔

お前はどこだメジロのみんな

 ※子どもの頃は メジロが身近にいたし メジロ釣りも 兄弟でしたことがある 兄や従兄弟は メジロ籠(かご)も作っていた

だから メジロの囀りは 五十年以上過ぎた今でも 聞き分け(識別)できる


終了のチャイムを待ってソワソワと

我も受験の身とも思えば

 ※私は K大やG大などの近くに住んでいる だから チャイムの音は よく耳にする  

 それで チャイムを聞くと K大やT大でセンター試験を受けた娘らの入試を思い出す

 受験生は数十分でもあっという間だろうが 私ら親などは とても長く感じる試験時間だ

 まず無事に試験会場に着き 何事もなく試験を最後まで受けることが 親の願いだ


冬の夜はファンヒーターがコーコーと

ネコは寝言を椅子の上にて

 ※寒がりの冷え性ガエルは 毎晩ファンヒーターをつける 温度設定は 17℃から19℃  そのヒーターの音や匂いに気づいた黒猫スミレは 何処で聞きつけた?か サッと部屋に滑り込むことが多い ヒーターの運転中は 音も静かになり 一人学びなどをしている私の耳には 黒猫スミレの寝言まで 聞こえてくる また 体があったまるまでは スミレは 大抵椅子の下の床で しばらくヒーターの吹き口の前に鎮座している


立春はまだまだなれど公園の葉擦れの音と

陽だまりに

 ※公園の陽だまりのベンチで 休んでいると かさこそと 葉擦れの音も 差し込む陽射しも 心なしか春の気配がして


寝台でガタンゴトン東京へ

ブルートレインみずほにてゆく

 ※高卒後 父の計らいで 就職祝いを兼ねて 僕は YS11 にて 上京したが 当時はまだ鉄道の旅が主流であった その後しばらくは 特急や新幹線で 大阪、東京まで往復した 

 ※三十年位前に 東京でプレゼンをした時は 協力者とみずほ寝台特急列車に乗ったのが 今では懐かしい 食堂車も設置してあった

 ※夜行列車の寝台は「三密」そのものではなかっただろうかと思う

 ※NHKラジオ「鉄道の旅」(2020.9)の再放送(2021.1.16) を聞いて 思い出した


真夜中にピーポ、ピーポと音がする

近いぞこれは耳そば立てて

 ※最近 近くで救急車のピーポ、ピーポの音を よく耳にする 近くには 高齢者が多くて 他人事ではなく 気にはなる 

 ※ この頃は ピーポ音を気にして 近くに来たら 音を消して欲しいとの要望が多いそうだ 私もできたら そう願いたいと思う


エールにて人を励まし鼓舞もする

音の力をリアルタイムで  

 ※普通 歌は メロディーと歌詞から成り立っているが 朝ドラ「エール」を視聴して 音楽の役割と力を あらためて感じた

 戦時中は 古関裕而さんが 意図しない方向に 作曲した歌が使われて 戦後 批判や糾弾をされたようだ 兵士や国民を鼓舞するのに 音楽や映像、絵画を利用することは 昔から多い ただ 戦後の疲弊した日本の社会で 疲れ果て 希望をなくした国民を 歌で励まし 心を癒したのも 古関さんたちであった 古関裕而さんは 戦中を振り返り 深い反省ののちに 心を込めて作った名曲の数々を 世に送り出したのである


ps 2021.1.16 草稿

NHKラジオ文芸のテーマは「音」(1/16)

サラダ記念日などで知られている俵万智さんが 選者であった 久しぶりに俵万智さんの声を聞き 最近の短歌や選評を 楽しく拝聴した

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「半藤一利・追悼の日」(私的には)1/13

2021年01月15日 09時12分00秒 | Weblog

今日は「半藤一利追悼の日」(私的には)1/13

 ※歴史分析と「歴史探偵」



(半藤一利著「あの戦争と日本人」他)


今朝の新聞(1/13)

「半藤一利さん 死去」の記事が。


えっ、あの半藤先生が⁈


1930年生まれの90

 私の母と同い年生まれだった


毎年 終戦の日を迎える

真夏の8月15日に

各メディアが集中的に流す

戦争に関する番組や記事の数々‥


しかし 大抵のものは

帯に短し襷に流しの様相で

隔靴掻痒の感を抱くことが多く

これだと思うような手応えのある

内容に出会ったことが

(寡聞のためか?)ほとんどない


そんな中

2011 年の初夏に

本屋さんで出会い購入したのが

半藤一利著「あの戦争と日本人」である

2011年刊 文藝春秋社発行)


語り下ろしで 

客観的  かつ  合理的、そして  批評的で

生身の息遣いのする本である


誰にも与(くみ)しない

誰にも忖度しないことに

とことん留意した、あるいは

拘った「歴史探偵」(研究家)である


その批評眼と歴史観の原点は

戦前、戦中、戦後の大人たちを

それぞれのステージで

周囲の大人たちの言動振る舞いを

冷静に 純粋な少年の眼で

じっと観察した経験がベースにある

(相次ぐ弟妹の病死、東京大空襲等)


あの戦争に関することを

どんどん掘り進め広げていくうちに

何と幕末の時代にまで辿り着き

その日本人の根っこの処まで

捉えることができた


何も戦争中に突然変異のように

日本人が豹変したのではなくて

その根っこ(ベース)の処は

連綿として深層のところで

引き継がれてきたようだ


だから

いわば「戦争状態」でもある

デジタル時代の令和の現代でも

自粛警察の役割を遂行する人や

批判だけのマスメディアと

それに乗っかってしまう人が

コロナ禍で疲弊している民衆や

関係担当者の不安感や閉塞感、

そして 疲労感、絶望感を

煽(あお)ることだけに

邁進しているのかもしれない

 

命がけで先頭に立つ者や

時には耳に痛いことも言う者、

現状を冷静に分析して

将来を見据えた施策を決断する者、

具体的な科学的なデータを出す者、

責任あるものや専門家として

自分の言葉で 心から訴えかける者

ーそんな人を見かけなくなって久しい


逆説めくが 社会が平穏になって

政治家も専門家も、そして科学者も

昔より随分小ぶりになったように思う


ps 2021.1.13 草稿 1.15 追記など

巨大な歴史分析家「歴史探偵」を

失くして 日本の歴史家や批評家は

大きな指針を、日本の方位磁針を

失くして 狼狽えているかもしれない


歴史の渦の中で もがき 苦しみ

そして喜びつつ精一杯に生きた人たちの

貴重な話を聞き出し 歴史分析の糧とし

『やさしい言葉で 昭和史を

後世に伝える仕事に注力した半藤さん。

平和は、国民の努力によって支え、

保つことができる、と訴え続けた』

また、『半藤さんは、今の時代、

政治とはイメージ操作だと書く。

「活字よりは音声、理屈より印象、

思考より気分」が優先されると」』

熊日新聞(2021.1.13)より

 ※引用あるいは参考にした


熊日新聞 2021.1.14 15:00 電子版より

『半藤一利さん、妻は漱石の孫 交流あった熊本の関係者、死惜しむ声』(タイトル)

熊本日日新聞 | 0114 15:00

12日に90歳で亡くなった作家の半藤一利さんは、1996年の夏目漱石来熊100年記念イベントをきっかけに熊本とのつながりを深めてきた。交流があった県内関係者からは半藤さんの死を惜しむ声が多く聞かれた。

 半藤さんは、漱石来熊100年を記念して96年に舞台化された小説「草枕」の脚本を手掛け、この年に創設された「草枕文学賞」(~2002年)の選考委員も務めた。

 漱石来熊100年記念イベントに関わった元熊本大教授の中村青史さん(86)は1980年代、漱石関係の情報を聞くために「文芸春秋」の編集部長だった半藤さんを訪ねたのが初めての出会い。「歴史家としての嗅覚に優れ、物事を必ず自分の足と目で確かめる人だった。親族としても、研究者としても、熊本が漱石文学の重要な舞台だったことを認識していた大事な人だった」と悔やむ。

 96年の「くまもと漱石博」で事務局を担当した元熊日編集局長の平野有益さん(70)も「半藤さんの妻末利子さんが漱石の孫という縁もあり、漱石探偵家の半藤さんは漱石博に全面的に協力してくださった。熊本について『漱石にとって精神的に深いつながりのある土地』とも語っていた」と振り返る。関連イベントで参加者が漱石らに扮[ふん]する「ミスター漱石&マドンナコンテスト」では、面白がって夫妻で審査員を引き受けたという。(以上 電子版より抜粋)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛙 🐸爺と孫娘の対話(その2)【2031.1.1】高校受験の巻

2021年01月15日 00時06分00秒 | Weblog

 🐸爺と孫娘との対話(その2)【2031 11


( 棚の上の黒猫スミレ 1/14  )

F(孫娘)爺ちゃん、おはよう!

  (福岡から熊本に年末に

   やって来た)


K爺(私)おはよう、Fちゃん

今日はお正月だよ 

おめでとうございます


F 爺ちゃん おめでとう

今年もよろしくお願いします

(※以下行間を省きます)

K爺 こちらこそよろしく

K爺 ところで Fちゃんは

今年 高校受験だったよね

F うん、そうなんだ

そろそろだから ちょっぴり

気が重いんだ‥ 爺ちゃん

K爺 そうだねぇ、いつだって

だれだって 受験は

気が滅入るもんだね

F お爺ちゃんも受験があったの?

K爺 おいおい、僕を何だと思ってる?

江戸生まれなんかじゃないぞ

(でも、江戸時代もそれなりに

 入門などの試験はあったと思うけど)

K爺 僕の頃は 受験戦争だ!なんて

言葉が使われてて 殺気立っていたよ

F さっきだつ? って?

K爺 みんなが行きだがる高校は

競争率が高くて 入学が

とても難しかったんだ(普通科進学校など)

F ふうん、そうだったんだ‥

でも、今でも、人気の私立高や

小中一貫校は 結構難しいよ

K爺 そうだね、学資も高いけどね

受験生は減っても 人気高には

受験生が集中するからね

F それに 国語や数学、理科、

それに社会学や英会話も、また

デジタル学習やサークル活動、

ボランティア活動も必須だしね

K爺 そうだね、10年前に制度が

変わり その後 コロナや災害が

続き 政府や社会もずいぶん

教育に力を入れてきたからね

F でも 自分のペースで

学べる科目が多くて 

友だちとのグループスタディや

社会体験学習もいろいろあって

とても楽しいよ

K爺 そうだねぇ、10年前は

「三密を避けよ」とか言って

何だかギスギスした感じだったよね

F 三密って 何? ミツバチのこと!

K爺 いいや、でも知らなくていいさ

あれは異常な世界だったからね

今では 穏やかな時も 災害時も

みんなで助け合って生活する力を

大切にするようになったから

とてもいい社会だと思うよ

F そうだね、爺ちゃん

そう言えば 爺ちゃん、ママが 

Fちゃんはいいなあと言っていたよ

K爺 何で!

F あなたたちの希望する高校は

みんな無償化だからって。

進学にほとんどお金がかからないから

とても助かると言ってたよ

K爺 そうだね、

Fちゃんのママが学生の頃は

私立はもちろん、公立も

けっこう費用がかかったもんな

大学なんか 公立でも

退職金を注ぎ込む位に要ったものな

F へえぇ、大変だったね、爺ちゃん

だけど なぜ 仕組みが変わったの!

K爺 コロナ禍という大騒動のあと

国中が混乱して疲弊したから

政府も大学も企業も一緒になって

国の制度を見直し システムを

世界の流れに合うように

組み直したようだね

F この前 ママが言ってた

昔は 年金や介護などお年寄りに

政策が偏っていて イライラしてたと 

笑って話してた

K爺 そうだね、半分当たってるかもね

爺ちゃんたちも 時々ママから

苦情を言われることもあったよ(苦笑)

お陰で 年金や介護補額は

随分?減らされたようだけどね😓

F ママたちも 爺ちゃんたちも

それに 私たち学生も みんなが

不安なく暮らせたらいいなと思うよ

そうたねぇ、それが一番大事だね

みんながバランスよく幸せに暮らせる

そんな社会を目指したいね

そのためには Fちゃんも

さあ、高校受験の勉強を

しっかりがんばってね!

F わあ!爺ちゃん、

正月早々 そんなあ!

先生が言ってよ、年末年始は

社会のいろんなしきたりなどを

学んで来なさいって

スマホやタブレットでは

学べないことを

しっかり体験して来なさいって!

K爺 ううむ、先生は

良いことをおっしゃるなあ

僕の頃は 一に勉強、

二にも勉強だったような?

ps 2021.1.14 草稿

現在の自粛の連発、自粛の継続では

黙って従っている子どもたちには

負担感や疲労感、ストレスばかりが

たまってきはしないかと

私は危惧しています


架空でも良いから 予想でもいいから

少しでも明るく夢のある話を

してみたいと 10年後の孫娘を想定し

この架空対話を想像してみました

少しでも ストレス解消になれたら

望外の幸せです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の成人式 2021年に振り返る

2021年01月11日 23時58分00秒 | Weblog

ボクの成人式 2021

 1971年(昭和36年)



( 河岸でたたずむアオサギ  1/10  

今年の成人式は

現在進行中のコロナ禍で

中止、あるいは延期になったり

または 

オンラインなどでの簡素な式に

なったりしている


本当に 

今年式を迎えるはずだった

若者たちは気の毒だと思う


様変わりの成人式のニュースを

見聞きして 私は

自分の時の成人式や

今までの式に想いを馳せた

*************

49年前の私の時の式は

結構簡素で

せいぜい男性はスーツ姿で

和服は一人二人だった

女性はさすがに和服姿が

多かったが

その後に見かけるような

場所を間違えたかと思うような

派手な着物や洋服は皆無だった

式は 田舎の小さな町だったから

町長さんの祝詞と 誰か

代表者がお礼の言葉を述べ

大広間で記念写真を撮って

確かそのまま解散になったと思う

(ずっと後で記念写真を見ると、

 何と私は最前列の真ん中にいた!)


私はと言うと

高卒後 東京の企業に就職し

僅か一年後に

大学受験を一念発起して目指し

(1回目の)受験が

迫っている頃だった

だから 気持ちに余裕がなく

ジーパン(ジーンズ)にシャツ

そして 

長髪(当時はやっていた)の姿

往復は 雨天だったので

雨ガッパに長靴姿という

(しかも愛用の自転車でだった)


今時の若者なら

「ヤバくね⁈」とかは

絶対に言わないような

パンクファッション⁈


それから5、6年して

娘たちが生まれ

そして また20年過ぎて

娘たちも成人式を迎えた


私は 娘たちには

「普通の成人式」を迎えさせた


当時 当たり前だと思っていた

日本の「成人式」が

今年は 変則的な式になっている

(と言うより中止や延期も多い)


私は 結局

3年かかって大学生になれた


今年の新成人も

まだモヤッとしているだろうが

半年後でも 一年後でも

みんなに呼びかけて

あるいは 行政と相談して

「待望の成人式」を

企画したらいかがだろうか?


ps 2021.1.11 草稿

昨年まで いくつかの所で

繰り返される「成人式」と

その前後でのどんちゃん騒ぎ?は

止めてほしい


目立ちたいなら せめて

一人で しかも 

他人に迷惑をかけない範囲で

やって(行動して)ほしいと思う

(あれは甘え以外の何者でもないと

私は思う)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凍結などへの備えを〜寒冷地の生活

2021年01月09日 00時02分00秒 | Weblog
凍結などへの備え〜寒冷地の生活



( 一部が薄く凍った川と鳥 1/8  )

えっ! 熊本で − 10 ℃ 以下!

寒暖計を見て  🐸は 驚きました

 🐸が 初めて阿蘇で

スキーというものをした時の話です


熊本の平地で

寒い!寒い!と言っていたのは

何だったんだろう?と思うくらいに 

同じ緯度にいるとは思えない

ある種のカルチャーショックを

受けた蛙 🐸でした


昨日のニュースで

水道管の破裂のことに触れてあったが

私も 帰郷している間に

やらかした経験がある

当時(約40年位前)

転勤で 阿蘇谷にある町営住宅に転居し

3年間住んだが冬はハラハラだった


上司の手配で  その住宅に住めたので

ありがたかったが

何しろ古くて簡便な住宅だった


住み初めは 春

だから 阿蘇の早春を

いろいろと味わい 

生まれたばかりの長女もいて

家族三人で楽しく暮らした


やがて 夏

これも山の上で すぐそばには 

外輪山に続く木立があって

暗くなるとセミが透明な音色で

鳴いている(ヒグラシ?)

涼しくて扇風機だけを使った


そして 八月も終わる頃

急に秋風が訪れ

涼しくなったと思ったら

11月ごろ 辺りは

一気に初冬に向かって季節は進む

12月になる頃は

霜柱、降雪が見られ

そして 水溜りなどは凍り出す


それから 一月、二月は  冬本番

雪の降る日は 寒風と共に

雪がズンズン積もる

チェーンをつけた車は横滑りし

仕方なく自転車で職場に向かうが

橋辺りの吹きっさらしでは

寒風と横殴りの雪が

半端なく私と自転車を襲う

ほうほうの体で職場に着いた

低温だと 一旦積もった雪や

凍った氷は なかなか解けずに

いつまでも残っているから 始末が悪い

路面は凍るし 畑や広場もほぼ使用不可


しかし その分

屋外のスケートで  マイスケート靴で

華麗に⁇ いえいえ へっぴり越しにでも

楽しく滑ることができた


3年目には

ストップやバック滑りまでは

何とかできるようになった

羽生結弦選手や紀平梨花選手など

フィギュアスケートをする人や

スキーヤーの人たちの滑りを見ると

同じ人ではないように思ってしまう


それから スキー

これは さすがに

気温や天候などが揃わないと

滑れないので

トータルで 数回しか滑っていない


最初は中ほどから

後では やや上の方から

これもへっぴり越しで

教本を思い出しながら

恐る恐る滑っていく


スキー板を付けてリフトに乗るのは

ビビリやの蛙としては

とても怖かったなぁ😅


今思えば  屋外のリンクで

あるいは ゲレンデで

阿蘇の真っ白な外輪山を眺めながら

仲間と滑った思い出はとても懐かしい


それもこれも  いまは昔の話


転勤で 私ら家族が

平地の熊本市に戻って

何年かして 

採算が合わないためか

スキー場もスケート場もみんな

なくなってしまったのが惜しい

(近くでは五ヶ瀬スキー場が健在だ)

ps 2021.1.8

今夜から明日にかけて

ここ熊本も積雪があるようだ

こちらとしては

5センチだろうが10センチだろうが

雪が積もったことがニュースになる


でも 降雪や積雪を

楽しめるうちはいいけれど

北陸や東北、北海道のように

屋根に50センチも1メートルも積もれば

たまったもんじゃないと思う

アイスバーンも危険だし

落雪や雪崩、スリップ事故なども

大変怖いし 停電や水道管破裂も

生活や命に関わることで

災害前の準備や対策を怠りなく‥

また 災害後の支援や救助も

関係の人たちにしっかりお願いしたい


来週までは特に寒波が厳しいようなので

雪国に住む人たちは

雪害や寒冷、事故などに気をつけて

被害がないようにと 願っています

*****************

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の七草粥 令和三年

2021年01月08日 00時00分00秒 | Weblog

七草粥 令和三年



  画像は  今年の我が家の七草粥  1/7  )


今日(1/7)  

人日(じんじつ)の節句で

七草粥を食べて

万病を防ぐという風習が

現在まで伝わっている

(詳しい歴史などは

 下記の資料を参照のこと)


七草を食べる風習は

歴史的な呪術的な面は別にして

野菜が乏しい冬季に

若菜を摘んできて食べるなど

それらの栄養素を

補給する役割があると言われる

(食生活が豊かになった近年は

 お節料理などで疲れた胃を

 休ませる狙いもあるという)


我が家では

去年のドライ七草粥セットが

袋入りで半分残っていたので

それをいただくことにした


お節料理は

娘の家族が

いっぱい食べてくれたので

あまり残らなくて

私らの胃は

そんなに疲れてはいないが

どうしても一緒に

三度三度きちんと食べるから

胃は些か疲れ気味ではあった


だから

今夜の七草粥は

私らの胃に負担なく入ってくれた


あと かまぼこやたくあん

そして おせちの残り

イカのカズノコ詰めもいただいた


それにしても

今年の七草粥は

心落ち着いて 

食べられた人は

多くないだろう


政府は 7日の今日

1都3県に

緊急事態宣言の再発令を決定した


明日の8日から

2月の7日までの1ヶ月間 

手洗いやうがいなど

いくつかのことを

再度確認して 

人によっては

冬眠生活のような自粛生活を

送る人もいるだろう


だけど

健康だけは

生きる気力だけは

いつかやって来るだろう

コロナ後への希望だけは

そして 

家族や友人、知人との繋がりだけは

なくさないように

お互いに 声かけあって

もう一踏ん張り一日一日を

刻みながら暮らしていきましょう



ps 2021.1.7 草稿

カエルの愚痴は 

別の機会に述べたいと思います 蛙 🐸

下記は 

七草粥に関するWikipedia の記事です

参考になれば幸いです 蛙 🐸


七草(ななくさ)とは7種類の野草野菜7種の野草野菜が入った七草粥)人日節句17)のに食べる風習が残っている。

元々の「七草」は秋の七草を指し、小正月115のものは「七種」と書く。この七種も「ななくさ」と読み、一般には7正月のものを七草と書く。現在では元々の意味は失われ、風習だけが形式として残った。これらの事から、人日の風習と小正月の風習が混ざり、17日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられる。Wikipedia による)

文化

この7種の野菜を刻んで入れたかゆ七草がゆといい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。

歴史

古代より日本では、年初に雪の間から芽を出した草を摘む「若菜摘み」という風習があり、これが七草の原点とされる。また六朝時代の中国の「荊楚歳時記」に「人日」(人を殺さない日)である旧暦17日に、「七種菜羹」という7種類の野菜を入れた羹(あつもの、とろみのある汁物)を食べて無病を祈る習慣が記載されており、「四季物語」には「七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや」とある。このことから今日行われている七草粥の風習は、中国の「七種菜羹」が日本において日本文化・日本の植生と習合することで生まれたものと考えられている。

(以上  3項目は  Wikipedia  による)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状に思う(壱)令和三年 🐮🐂

2021年01月06日 10時22分00秒 | Weblog

年賀状に思う(壱)

令和三年 2021年丑年 🐮🐂


(   画像は 白川の冬景色②  12/29   )

牛は

見た目は地味だが

その眼は 綺麗で

キラキラと輝いている


お互いに向き合って

見つめると 

その艶々(つやつや)とした眼に

我が心も洗われる気がしてくる


牛は 寡黙(かもく)だし

とても辛抱強い働き者だ


私が少年時代に

我が家(実家)に

耕運機などなかった頃に

当時の父は

お隣で飼っていた牛を

頼んで借りて

家の周りの小さな畑で

耕作をしていたが

その時 私は

ちょっと離れて

恐る恐る牛の様子を

眺めていたことがある


牛のことで

今年の賀状に 齋藤孝さんの

「夏目漱石の人生論 牛のようにずんずん進め」(2016年刊行 草思社)を

取り上げた


些かストレートで

時代錯誤の感を受けそうだが

政治家も有識者も

頻繁に発するその言動が

結構軽くて無責任なような気がして

そんな時に 数年前に出た

この本を見ると 正に

コロナ禍の中の今だからこそ

世の政治家や有識者の人たちに

読んでもらいたいものだと

つい思ってしまう‥


ただ 流石に取り上げる内容も

牛のように クソ真面目?で

堅そうで 読んでいる方も

知らず肩に力が入ってくる感じで

だから 牛のように

ズンズン読み進めるのは

些かしんどいので 

少しずつ読み進めている

(現在 まだ46/217ページ)


私が若い時

兄が 私のことを

お前は まるで牛のようだ

と 不意に話したことがある


普段は周りを気にして

おとなしくしているが

何かでスイッチが入ると

ズンズン進むからだろう


兄と話したその頃の私は

ある会社を辞めて

大学に進学し

第二の職を得た頃かもしれない


しかし 後でよく考えれば

確かに私は

牛のようなところがあると

思い当たることがある


お隣の牛に話を戻すと

その牛さんは

夜に時々脱走して

田舎の道を

走り回っていることがあり

あのツノは頑丈で

怖そうでもあり だから

近づきがたい気持ちが強かった


だが 牛小屋にいる牛たちは

優しそうな眼をして

おいしそうに藁(わら)を

モグモグと食べたり

岩塩を旨そうに舐めていたり

そんな平和そうな牛を見ると

こちらも友達に会ったように

額の柔らかい毛を

そっと撫でてやったりした


ps 2021.1.6 草稿

長くなりましたので

賀状については(その弍)で

述べることとしましょう

では また いつか 蛙 🐸

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由を捨てるな!塩野七生さんの渾身の言葉

2021年01月05日 00時33分00秒 | Weblog

自由を捨てるな!

 塩野七生さんの渾身の言葉


(旅に出たくなる地図「ヴェネツィア」のページ、「ローマから日本が見える」、「ウイルスの本当を知ると感染予防もわかる!紹介済み)

今 日本や世界は「歴史の踊り場に居る」と

塩野七生さんは NHKTVのインタビューに答えてそう話された

私はかつて塩野七生さんの著書に触れ

経済的に、政治的に衰退しているように見受ける南欧のイタリアが かつては ヨーロッパの中心地として経済も政治も全盛だった時期が続き その中で民主主義を徹底的に追求した偉業を持っていることを知った

それから  私は  イタリアの文化や 政治風土や行政の歴史が好きになった そのイタリアが  国民の自由さと民主主義を蔑ろにするかの国によって 新型コロナウイルスを持ち込まれ 経済や産業などがズタズタにされ そして文化さえも蝕まれつつあるのを坐視するのは とても忍びないものがある‥

何でかの国の資本をコロナ禍の前から招き入れたのか EU の主要国は コロナ禍の前後に

疲弊したイタリアにどう対処し支援していたのか  と疑問が湧く

インタビューで 塩野さんは「自由を捨てるな!」とも言われた 心の叫びのようだった

人の自由を奪うと その社会は どうしても

行き詰まることになると予言をされたと 

私は受け止めた

現在のヨーロッパにおいて イタリアは 

経済的にも政治的にも 後塵を拝しているように見えるが 塩野七生さんの話では

かつてのヴェネツィア共和国の内政と外交のやり方が とても先進的かつ合理的であり

現在進行中のコロナ禍対策として

とても参考になるということがわかる

(感染者隔離の施策、交易など)

バランス感覚だ ヴェネツィア共和国は

近隣のトルコなどと戦争をしながらも

交易は続けるという強かな政策をとって

経済的にも繁栄していたという

また 塩野さんは

100% 信仰」を捨てよ  とも提言された

日本人は 完璧主義が強く 言わば凝り性で

些かマニアックな面もあるから いい方に向かうとその能力を遺憾なく発揮できるが 一旦行き詰まると 心身ともに固まってしまうという困った傾向を持っているように思う

失敗を恐れるな!失敗を許さない社会は

とても窮屈な社会になるとも言われた

近年の日本の産業が思うように発展しないのは

過去の栄光に縛られ前例主義と諸規制がはびこり 新しいことを始めようと試みても 組織の上層部や監督省庁が 失敗さえしなければいいと責任逃れに拘り リノベーション(改革や刷新)避けてしまうことが多すぎる

私たち国民も 野党も 政府、各省庁、

各自治体もお互いに 失敗を恐れるあまり

新しい試みや新しい事態を前にして

身をすくませているように見える

だが それではいけない 

100% は 滅多に取れない数値だし

100% だけを望んでいたら

誰でもが 息が詰まり倒れてしまう

90% 、80% でもいいではないか?

時と場合によっては 70% もありだと思う

気持ちの上では 社会や今の生活を

一旦リセットするつもりでコロナ禍や自分たちの課題に向き合うようにしたらどうだろうか?

新型コロナ対策も 未知のことが多いのだから

誰がしても うまくいかないし 誰でも わからないことが多く その対応や対策も 場当たり的で 後手後手になることもあるだろう

だから それらを後から攻め続けても

何の成果も実りももたらさないと思う

with コロナで 時には コロナに密着し

時には後追いをし また 時には

文明の利器(医学、PC、スパコン等)を

駆使して ウイルスの先回りもできるのでは?

とにかく 経済学や心理学、哲学も含めて

いろんな方面からアタックしチャレンジし続けるほかは 突破口は見つからないと思う

私たちは それぞれに自分の力でできることを

精一杯に行い 気持ちや情報は共有しながら 汗を流し知恵を出し合って それこそ全集中で

新型コロナウイルスに立ち向かい

生活や経済の危機に立ち向かうほかに 

最良の術・手立てはないだろうと考える

そして 年内か来年くらいに

現在のコロナ禍が収束を見せる頃には

私たちは 見たこともない新しき社会が

眼前に開けているかもしれない

その踊り場の新世界に立ち また次の新たな世界に向けて また一歩ずつ 私たちは 階段を登っていけばいいのだ

ps 2021.1.4 草稿 今夜の塩野七生さんの話は

現在のコロナ禍において心身ともに疲労し

先行きが見通せない私たちや疲弊している社会に向けて イタリア文化の素晴らしい遺産を

現代の玉手箱として提示して いろんな示唆を与えてくださったと思う

「ローマから日本が見える」(集英社)は 

博識に裏打ちされた本だが 難解な言葉や言い回しがあまりなくて ローマ人が熟考を重ね練り上げた民主主義とその制度とはどんなものか、本物のリーダーとはどんなものかがよくわかる読み応えのある内容だ(塩野さんの著書は「ローマ人の物語」などが有名)※なおこのコメントは只今の感情で一気に書き上げたため文書の事柄や言葉などに 誤りが含まれているかもしれませんが どうぞ私の気持ちを汲み取っていただき 

ご容赦をお願いしたいと思います 蛙 🐸

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする