木守り柿と「肥後のいっちょ残し」
「木守り柿」?
何だそれ?
カレンダーの歳時記を見たら
イラストで
熟柿一個だけ描いてある
ルビを見たら
「きもりがき」と振ってあった
その「庄屋のカレンダー」によれば
「晩秋から初冬の頃、葉の落ちた柿の枝に、
一つ二つと真っ赤に熟した柿の実が
残っている光景を見かけることがあります。
これは取り忘れたのではなく、
木守り柿(きもりがき)といい、
あえて全部収穫せずに残すことで、
豊かな実りを与えてくれた自然に感謝し、
翌年も多くの実がなるようにとの祈りが
込められています」
と書いてある
私は寡聞にして知らないが
もしかすると
何処かの地域で
風習として木守り柿を
残してきたのかもしれない
それにしても
日本人らしい発想の風習だと思う
私が子どもだった頃は
今の時季には
どの柿の木も
大抵収穫してあって
渋柿も
干し柿を作るために
木に残っていることは
ほとんどなかった
ところが 近頃は
田舎に行っても
柿の実が いつまでも
木に残っていることが多い
私が住んでる都市近郊でも
写真のように大抵残っている
(画像は近所の柿の実 11/16撮影)
ところで
熊本の方言で
「肥後のいっちょ残し」という言葉がある
「肥後のいっちょ残し」の「いっちょ」とは
ひとつや1個のこと
熊本人は
大皿の料理(餃子や唐揚げなど)を
大勢で食べる時
なぜか
必ずひとつだけ皿に残ってしまう
最後のひとつは遠慮して
誰も手を出さない行為を
「肥後のいっちょ残し」と言う
他の地方にも
似たような言い方の言葉はあるようだが
熊本では
この「肥後のいっちょ残し」に
出くわす機会が多い
九州の他県でも
「〇〇んのいっちょ残し」があるそうだ
これから何十年か先には
世界の多くの国々で
ひどい食糧難に陥るかもしれないと
予測されている
日本のあちこちで
柿や蜜柑などの実が
成ったままに野晒しとは
何と勿体ないことか!
せめて 木守り柿か
木守り蜜柑などであって欲しい
Ps2019.11.14 草稿 11/17.21 追記
今日(11/17) 県北のK 市に
カミさんとコンサートに行った
その前後に
あるスーパーに寄って
地域の野菜や果物を買った
その店では
柿もまだたくさん売っていた
干し柿用の渋柿も一杯売っていた
ただ 近年
家庭で食する柿は
商品化された柿の実が多く
庭や山野にある柿の実は
あまり収穫されなくなった
私の子供の頃は
甘柿なら特に競って捥いだものだ
また渋柿も 親に頼まれ
たくさん捥いで
母が皮を剥いて
実の小枝を藁に挟んで
軒下に干したものだ
これから初冬にかけて
毎日干し柿をよく揉んで
正月前後に美味しく頂いていた
今 軒下の干し柿は
ほとんど見かけなくなった
やがて初冬
そろそろ田舎の柿の木には
熟柿が残ることだろう
近年は
日本近海で 漁獲量が
かなり減ってきている
乱獲や気候変動、海流移動などが
その原因のようだが
最近は
近隣国のなりふり構わぬ漁法や
違法な漁業などが目立ってきた
漁業資源の枯渇だけは
避けなければならない
そして これからは
世界で 漁業のルールを策定し
かつ遵守すること
それから 養殖漁業も
増やす必要があるだろう
木守り柿 から
海守り魚 へ
しかも
一匹二匹なんかではなくて
魚種別に 推定総量の何割とか
決めていったらどうだろう?
マンモスなど
ヒトが食べ尽くした生き物は
数知れないと思う
限りある海洋資源・陸上資源
人間が生きるために大事な食料資源
そもそも 地球上の生き物は
ヒトのために存在しているのではない
生きるために 私ら人間は
他の生き物の体や命を
有り難く頂いてきたのではないか?
私らの孫子の代まで長く
大事な身体や命を守るために
木守り柿 や 海守り魚 の精神を
忘れてはならないと思う