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「鬼滅の刃」(無限列車編)【その弍】家族愛、勇気の強さと優しさ、心の鬼との対決

2020年10月31日 12時27分00秒 | Weblog

「鬼滅の刃」(無限列車編)を観て

(その弍)家族愛 勇気と強さと優しさ 

鬼との対決



( 画像は栗のプリン スイーツ 10/30  )

コロナ禍の中での大ヒット!

それは アニメ「鬼滅の刃」


私も 昨日 夫婦で観てきたが

ヒットの要因を

私なりに分析してみると

以下の事柄が浮かんできた


  そのストーリーの中に

家族愛や仲間意識、連帯感

そして 難敵に命をかけて立ち向かう

何クソ精神、安逸に流れない武士道精神

己と人のために 求道し進化していく姿

などが 散りばめてある


  私の「無意識層」は果たして

私たちの無意識界に対して興味を

持たせて 自己分析を提示している

 映画では 炭治郎の無垢な精神から

理想郷のようなえもいわれぬ世界が

披露されていた

 それで さすがの鬼憑依者も

我欲や鬼の命令を忘れそうになる

 私の無意識世界は?

 私のは  暗黒ダーク?或いは空っぽか?

私は時々深夜に 無意識に叫んでしまう

家内は驚いて 朝目覚めた私に報告するが

肝心の私は 何で叫んだのか

皆目見当がつかない有様で‥ 

トホホの状態の私ではある


  鬼をも取り込もうとする心根の広さ

 鬼の立場も理解し、共感するという

 心の鬼は 誰にでもある欲望だから

お互いにその心の鬼さえ除けば

元の真人間に戻れると信じている

 そして 私らの心の鬼とは

妬み、嫉み、差別心、悪意、不寛容、

支配欲、自分への甘さ、拘りなどだ


  お母さんの無限の優しさ

 母の愛は 強要や強制されたモノでは

ないだろう 普通は 半ば自然に

生まれてくるものかもしれない

(中には 例外もあり しかし

母親だけを責めては 物事の解決が

遠ざかってゆくだろう)

 でも 時には 母の愛は

甘やかしはしない

 突き放すこともある 愛ある故に


ps 2020.10.30 草稿 10.31 追記

今日はハロウィンの日

私は 仏教の経典をよく読むし

観音経などが好きなので

別にキリスト教徒でもないのだけれど

クリスマスだけは 子どもの頃から

身に染みついているようだ 😅


ただ ハロウィンの存在は

以前から知ってはいたが

近年 にわかにTV などで

取り上げられて 特に

コスプレなどで変身できるのが

魅力的なようで 若者や子ども達が

変装したりして 園や街中で

ハロウィンを楽しんでいるようだ

@@@@@@@@@@@@@@@@@

アニメ「鬼滅の刃」は

後半 ちょっと残酷な場面があったり

音響がやや大きいということが

個人的には 気になるところだ

ただ その場面や音響設定は

作者はもちろん監督や各担当者が

いろいろと考え検討した上でのこと

だろうから 鑑賞者の私が

あれこれ言う立場にはない

 受け入れないことは 自衛をすれば

いいと思う次第で

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鬼滅の刃を観て(その弍)コロナ禍の中で ※予告 家族愛などについて

2020年10月30日 20時38分00秒 | Weblog
鬼滅の刃を観て(その弍)
家族愛 勇気と強さと優しさ 鬼との対決
 ※ 予告


( 画像は栗のプリン スイーツ 10/30  )

コロナ禍の中での大ヒット!

その要因を分析してみると(私案)


ps 2020.10.30 草案
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鬼滅の刃 鬼とは何だ⁈ 無限列車で思い出す少年時代のSL

2020年10月30日 19時39分00秒 | Weblog

鬼滅の刃 鬼は何だ (その壱)

 無限列車で思い出す少年時代のSL

夢と出来事と希望と、無意識と魂・真心と

欲望と勇気と




「鬼滅の刃」の看板とグッズ10/30  )

今日 夫婦で

今話題の「鬼滅の刃」を

観に行った


平日の朝一番だったから

さすがに観客は

予想よりも多くなくて

二人並んで

いい席でゆっくり見れた


エンドロールまで

(トイレも)もって

最後まで観られて良かった

@@@@@@@@@@@@@@

出だしの無限列車が

リアルで重量感があって

よかった(私は小中学生までは

蒸気機関車に乗っていたと思う)


無限列車の室内の様子や

列車が走る沿線の景色も

リアルで戦後直ぐ生まれの私でも

懐かしく思った


竈門炭治郎(かまどたんじろう)

禰豆子(ねずこ)が住んでいた

家屋や屋内の佇まいや生活、

服装、持ち物なども

少年の頃 貧乏暮らしをした私は

懐かしさを覚えた

@@@@@@@@@@@@@@@@ 

ところで「オニ」とは何だろうか


私なりに考えたところでは

(1)ずばり人に悪さをするモノ

 疫病 ② 人の悪行 ③ 大災害

 為政者の酷過ぎる所業

(2)私たちの悪い行い

  軽微〜中位の悪行、犯罪行為

  軽い気持ちで悪さをすること

(3)私たちの心の奥に潜む

悪いと思う心、弱い気持ち

  人を騙すこと ②  嘘をつくこと

 怠ける気持ち 

(4)過去を良しとして

前に進もうとしないこと、

現状を変えようとしないこと、

信念のないこと

  現状にあぐらをかいて

前進しようとしないこと

  今の状態を もっと

改善や改良をしようとしないこと

  信念がぐらついてばかりで

信頼が置けないこと

(5)人や生き物を大事にせず

蔑ろにすること

   他者や他民族に対して

リスペクトと感謝を持って

接しようとはしないこと

  人類が今在るのは 周りの

生き物や植物などのお陰であると

認識しないで感謝しないこと


私たちは これらの鬼を

よく見極め 懲らしめたり

暴れないように歯止めを

描けたりして お互いに

夢や希望を抱いて

明るい未来を目指して

みんなが平穏に

元気に暮らせるようにしたい

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

作品は 

作者の手を離れた時から

一人歩きをする

だから 同じ作品であっても

各人各様 受け止め方は

違ってくる


ただ 心ウキウキしたり

気持ちがワクワクしたり

ハートがしんみりしたりすることは

そう違いはないだろう


作品への狭過ぎる捉え方や

拡大解釈のし過ぎは困るが

ある程度幅をもった解釈は

許されるではないだろうか


だから 今回は

私なりのオニの分析を行い

皆さんに示したが

これらは飽くまで

私案、私見であるから

気を悪くされませんように願います


ps  2020.10.30 草稿

全体的には 心に残る作品だった

が 個人的には 

まだ全てを理解してはおらず

深い感銘を受けるまでには 

至っていない(残念ながら)

私が老境の身であり 

まだ一回だけの観劇でもあり

子どもや孫たちと

一緒に観なかったことも

要因としてあるだろう

ただ 本文にあるような事柄は

しばらく私の心の奥に残ると思う

近いうちに コミック版にも

目を通したいと思っている

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マカロニサラダはいかが

2020年10月30日 01時17分00秒 | Weblog

マカロニサラダはいかが



  画像は  マカロニサラダなど  9/13   )

九月は半ば


まだまだ 暑い日もある


そんな時は


冷たくて 


サッパリしたサラダは


美味しい



マカロニサラダの中身は


リンゴにレーズン


ミカンにキュウリ


それから 


ハムにニンジン



九月の今頃は


地元もお祭りの頃


だけど 今年の秋は


コロナ禍で お祭りは


簡素化、縮小され


地元は盛り上がらない


そんな中で


大相撲は 913日から


9月秋場所が始まり


地元の正代関が


132敗の成績で  


見事に優勝を決めた!


熊本県出身として初の


幕内優勝を遂げた関脇・正代関は


コロナ禍でのモヤモヤを


吹き飛ばしてくれた



ありがとう! 正代関


ps 2020.9.13 草案 10.29 草稿

私は イタリアが大好きだ

イタリア人は 人間臭く

威張らず 人懐っこくて

オープンな印象を受けるし

ファッションセンスがあり

オシャレな人が多いように思う


国土は 細長くて火山が多く

日本と似ていて風光明媚な所も数多い


イタリアは 歴史があり

古代ローマ人が 徹底的に民主主義を

追求したのもすごいと思う


また イタリア料理は

どんな食材も大事に使い

素材の特性を活かすという面も

日本と似ていて 親近感を持つ

十数年前頃から 私は

イタリア料理のファンである


そんなイタリアが 特に北部地方が

中国資本に侵食されて

今回のコロナ禍では

悲惨な目に遭っているのが

遠くに居て いたたまれないし

何で日本がもっと手を

差し伸べなかったのかと悔しく思う

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一将功成って 万骨枯る[「己亥の歳」曹 松作]

2020年10月29日 13時58分00秒 | Weblog

一将功成って  万骨枯る

(いっしょう  こうなって  ばんこつ  かる)

 「己亥(きがい)の歳」曹      



  画像は  サカナの骨の雲    10/25  

私は 今

漢詩を学び直しているが

漢詩は 中々に味わい深い


更に 歴史の重みを感じるし

深い人生観、社会やモノの見方も

学べるのが 漢詩だと思う


近年 近隣の国々が

経済成長めざましく元気がいい

どこの民族もそうだが

自国が伸びて力をつけていくと

どうしてもその力を誇り

他者・他国を軽んじるようになり

いわゆる覇権主義が台頭してくる


中国や韓国の今(コロナ禍前迄)が

正にその過程にあると思う


コロナ禍前までは

テレビや新聞、ネットで

主席や大統領の得意げな顔を

毎日のように目にしていた


(どちらも )

強権独裁主義(的)政権の元

自国を誇り 他国を侮り  貶め

四方に  世界に  

威を振るったりしているようだ

@@@@@@@@@@@@@@@@@

「己亥の歳」は 作者・曹  松が

五十歳位の作品だそうだ

その意は


一人の将軍の手柄が成るのに、

一万人の兵卒の骨が枯れるのです。

一万人の骨が朽ち果てて、

一人の将軍の手柄が立つという意味。

(「新  漢詩の世界」石田忠久著

  大修館書店刊行 167頁より)

ということになる


筆者の石川先生は

(この詩は)唐王朝の末期、

亡国の悲哀のムードの中で作られた

歌の趣がいたします

  書いておられる(168頁)


ps 2020.10.29 草稿


この「己亥の歳」という作品は

現在 自国ファーストを唱えて

周辺国などに当たり散らしている

今の米中(や韓国)などに

読んで聞かせたい世界の名詩だと思う

取り分け 

作者・曹  松氏の祖国である中国で

改めて読み味わって欲しいものだ

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イトヨリダイの煮付けはいかがですか?

2020年10月28日 21時05分00秒 | Weblog

イトヨリダイの煮付けはいかが?



( イトヨリダイの煮付け 9/11 撮影 )

秋になると 


煮付けが美味しい


肌寒くなると


あったかい煮付けは


気持ちもあったまる


魚大好きなカエルは


イトヨリ代の煮付けも


もちろん大好き!


今夜は カミさんが


イトヨリダイを煮付けてくれた


今夜もありがとう!



ps 2020.9.11 草案 10.28 草稿

この献立は 9/11 の日のもので

初秋の時期です

今年の秋は 近年では

やや早めに訪れてくれたように

思います

だから 9月上旬でも

温かい煮付けは 

より美味しかったです

それにしても もう長年

夏の酷暑が長期になり

秋の期間が短くなりましたね

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俳句〜秋編 兼題‥枯れ葉、秋の空、バッタ、ムカゴ、よざむ

2020年10月28日 17時34分00秒 | Weblog

俳句〜秋編 兼題は下記

  枯れ葉、秋の空、飛蝗、夜寒、零余子



( 堤防で転がる枯れ葉 10/ 25  )

堤防にカラコロ響く枯れ葉かな

            清風

 ※堤防には 枯れ葉が落ちている

  それらが秋風に吹かれて

  カラコロと転がってゆく

  秋の空気は乾いていて

  軽やかによく響いて聞こえる

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



白川の上の筋雲 10/25  


秋の空サンマの骨か雲描き

 ※北の空に 大きな魚の骨みたいな

  大きく細長い雲だけが浮かんでいた

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



( 野原のバッタ 10/12  )


パサバサとミチオシエかとバッタかな

 ※散歩で草むらを歩けば

  バッタたちが驚いて

  次々に先に後ろに飛び立っていく

  ゴメンよ、バッタたちよ

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



( 網戸の向こうのスミレ 10/27  


保護猫のスミレ夜具入り夜寒かな

 ※秋も深まってゆく今年も

  黒猫スミレは 母さんの布団に

  潜り込んで来るのです

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



(  ムカゴ 10/25 )


葉は枯れて蔓とムカゴが風に揺れ

 ※先日いつも頼んでいる庭師さんに

  今年も手入れを頼んだ

  高齢のさんは 今年の酷暑に

  体調を崩して 秋の仕事となった

  さんは  自然薯(山芋)を見て  

  どうしましょうと尋ねたが

  決定権は妻にあるので 

        迷っていたら そのままにして

  帰られた(その後私は摘んだ)

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



( 河原のススキと秋空 10/9 )


コロナ禍は世界の歪秋の空

 ※コロナ禍は 人類の行き過ぎた

  この地球への過剰な開拓と介入と

  富の偏在という世界の歪みを

  指弾しているし かつ

  人類の危機を警告もしている

  行き過ぎた経済停滞は 正直

  困るが 反面 空気や水が

  以前より随分綺麗になってきた


ps 2020.10.28 草稿

今回のコロナ禍では

疫病の防止か 経済の回復か

高度な二輪のバランス感覚が

我々に要求されている


ヒトは

マグロやサメ(一部)みたいだなあ

と 改めてそう思った

ずっと動き続けていないと

ずっと何かを生産し続けていないと

生きていけないという

とても面倒な生き物だと‥


いっときもととどまってはおれない

という 実に不便な生き物ではあると

我が身も含めて

今更ながら認識した次第である

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「鐘の鳴る丘」と「エール」『とんがり帽子』を聴く

2020年10月27日 13時38分00秒 | Weblog

「鐘の鳴る丘」と「エール」

  『とんがり帽子』を聴く



( 画像は 秋の雲と樹木 10/21 )

出征する兵隊や

見送る家族の気持ちに

寄り添って しかし

戦意を鼓舞するという

軍部の意も汲んで

作られたと思われる古関裕而の曲

だからか 若い頃の私は

戦意高揚だけを考慮して

いわゆる軍歌を

意識的に避けてきたが

今放送中の「エール」を視聴して

改めて古関(さん)の曲を聞くと

また違った印象を受けた

あるネットでのコメントによれば

戦後 古関裕而の曲を聞いた

アメリカ軍(GHQ)の高官が

「何だ、これらの曲は 

 戦意高揚というよりも 

 叙情的じゃあないか」と言ったとか‥

確かに このコメントを見てから

これらの軍歌を聞くと

戦意を煽ると言うよりも

兵士やその家族に 

しみじみと語る感じの曲想に思えてしまう

(ただ 軍部は これらの曲で

 戦意を高めようとした事実は

 否めないだろうが‥) 


それから 古関裕而が苦悩の末に

戦後に創った曲「鐘の鳴る丘」は

今までの曲から一転して

明るく未来を見据えた 爽やかな

目の前に丘や家や

希望に満ちた人々の顔が

浮かんでくるような曲である

そして

今進行中の「長崎の鐘」は

「鐘の鳴る丘」とまた違って

鎮魂と平和への希求の思いが

聞く人にも伝わってくるような

穏やかで優しい曲だと思う


如己堂の永田医師(吉岡秀隆)は

「自分の(慰労、納得の)ために

 曲を作ろうとしているのでは」

と考え 「どん底に大地あり」と

著書を通して  古関に語りかける

  如己堂は 二、三度訪ねたことがある

 一度は 確か 三十数年前の89日で

 家族一緒だったと思う 

  実際は 永井 隆  医師である  


作曲家・古関裕而は 戦意を鼓舞し 

若者たちを戦場に駆り立てたという

自責の念から 罪の意識から

そのことが強いトラウマとなり

過去と現在が堂々巡りとなり

前に進めない状態に陥っていた

でも 妻の音(金子)さんや

仕事仲間の後押しなどから

ようやく それらの呪縛から抜け出して 

平和を願って世に送り出した歌が

「長崎の鐘」であった


古関裕而は 戦後の数々の曲から

戦争で被災した人々への鎮魂と

子どもたちのこれからの幸せを

願っているというメッセージを

発し続けたのではないかと思う

ps 2020.10.21 草稿

私は 今まで 長崎市を訪れ

長崎の爆心地や被爆地に

何度立ったことだろう

また被災した人たちの

子どもさんやお孫さんたちにも

何度か接してきた

その度に 核兵器の非人間性と

被曝や被災の惨さを覚えるし

私や妻の両親、おじおばたちも

戦禍に逃げまどったことを

思えば 戦争の不合理さも感じる

でも ただ呆然として

漫然として日々を送れば

また同じような道を歩むかもしれない

戦争と平和のこと 経済と外交のこと

学問や技術と国際平和のこと

歴史の勉強と研究のこと

政治と国民の幸福のこと

教育と青少年の未来のこと

私たちは これからも

しっかり考え 論じ合い

試行しチャレンジしていくことは

数多くあると思う

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

劇作家の池田(北村有起哉)が裕一に、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌を依頼しにやって来る。裕一は、戦争中に自分がしたことに責任があるといって断ろうとするが、戦争に翻ろうされた子どもたちを裕一の曲で励ましてほしいと説得される。

 池田が残していった歌詞に断片的なメロディーが引き出された裕一は、それを手掛かりに作曲に取り掛かる。しかし戦場での光景や大切な人々の死が作曲中の裕一を苦しめる。

 苦悩の末、裕一は「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」を完成させる。場面が変わり、裕一によるオルガン演奏に乗せて子どもたちが「とんがり帽子」を元気に歌うシーンになると、ネット上には「あ、この歌聞いたことある!」「この歌知ってる!」といったコメントが殺到。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は、昭和2275日にNHKラジオでスタート。復員した男が戦災孤児の居場所を作るために奮闘するという物語で終戦直後、大きな話題を呼んだ番組だった。さらに当初、週2回の放送だったこの番組は、聴取者からのリクエストの声に応える形で、スタートから半年後には週5回の放送へ発展。これが現在も続くNHK朝の連続テレビ小説の基となったことがナレーションで明かされると、ネット上には「昔から母が家事をしながらよく口ずさんでいた」「戦後の子どもたちはみんな歌ってたんだろうな」などの投稿も集まり、さらに「当時子どもたちを楽しませたのかなと思うと涙が出る」「母の幼少期を想像して泣いた」「感動した。朝ドラでやるから意味があるんだよね」といった声が相次いでいた。

10/21 ネット情報サイト・クランクインより

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秋は 何と言ってもヴァイオリン

2020年10月27日 13時17分00秒 | Weblog

秋は  何と言ってもヴァイオリン

 ( 楽器演奏と季節に思う )



( スパゲティーと紅茶オレなど 10/27 )

秋には 何と言っても ピアノ


と 私は かねがね言っている


だけど もちろん 


ヴァイオリンの音色も好き


今日のお昼に


葉加瀬太郎さんの演奏を


聴いていると


緩急自在のヴァイオリンの音色が


iPad PRO の四つのスピーカーから


流れてきて いいなあ と思った


アルバムは 葉加瀬太郎さんの


バイオリンII  VIOLINISM II (2002)


今日のランチ(気取って😅)は


スパゲティーとサラダと


飲み物に ホットの紅茶オレ


外は秋の青空


スイーツに チョコまん


もうしばらく 


秋の好日は続きそうだ


ああ、ここに生まれて良かった


ああ、いろいろあったけど


今まで生きて良かった


ああ、私は 丸ごと


この地が好きだ 愛おしく思う

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タンドリーチキンライス、ユーリンチーライスの弁当はいかが?

2020年10月26日 14時52分00秒 | Weblog

タンドリーチキンライス弁当と

ユーリンチーライス弁当は

いかがですか?

 


(二つのアジアンランチとたまごぱん  9/2)

ショッピングモールY社で 

カミさんが

アジアンフードを

買ってきた


ユーリンチーライスと

タンドリーチキンライスの二個


二つとも 

アジアンテイストの香辛料が

使われていて

まだ暑い日には

食べたくなる食べ物(弁当)だ


私は 

タンドリーチキンライスの方が

好みだと思い それを選び

食べることにしたが

やはり予想通りに美味しかった


カミさんは 

もう一つのユーリンチーライスを

食べていた


カミさんは

他に たまごぱんも買ってきた


たまごぱんも美味しそうだ

後で 美味しくいただきました

ご馳走様でした


ps 2020.9.2 草案 10.26 草稿

コロナ禍の今

外食は まだまだ気を使います

GO TO イートなどがあっても

継続的な長期の施策ではないので

家で食べるか もしくは

テイクアウトやデリバリーが

しばらくは主流かもしれませんね

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