good! カエルのぶろぐ

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傘をさす人とセミ

2017年08月31日 10時15分43秒 | Weblog
一旦止まっていたセミの鳴き声が
今朝は 数は少ないけれど
ワッシワッシと 聞こえてくる

散歩の途中で
傘をさした人が見えた
男の老人であった

私も傘をさしていたから
わぁっ、仲間がいた
と思った

私は カミさんから
晴雨兼用の紫外線遮蔽の傘を
スーパーで買って貰った

熊本は 今年の夏は
晴れがとても多かったので
晴雨兼用の傘は
とてもありがたかった

関東や東北地方などは
曇りや雨の日が
とても多かったようで
特に農作物の被害が心配だが
それが経済にも影響すると聞いて
そのことも気になっている

散歩の道すがら
道端や空き地を見ると
セミが何匹か転がっている

私は
永かった暑い夏もやがて終わりだな
と思った

ps 2017.8.31 木曜
八月の最終日に草稿
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初グリ(栗)を食べる

2017年08月30日 00時01分44秒 | Weblog
昨日ぐらいから
早朝は
幾分涼しくなってきた

散歩に行くと
今朝は 公園が静かだった
何故かなと考えたら
セミの声が聞こえてこないのだ

昨日まで
あんなにうるさいくらいだったのに
今朝は 何故か
ピタッと鳴き声が静まり返っている

夕方 職人さんが来た

リフォームの打ち合わせが済み
カミさんが 独身の彼に
栗ご飯の話をして
帰りに パック2個に詰め
今夜の夕飯にと持たせた

職人さんが帰って
私らは さっそく栗ご飯を
美味しくいただいた

今年初めての栗よ
と カミさんは
ニコニコ顔で言った

今思えば カミさんは
指の具合いが悪いのに
一人で皮を剥いて大変だったろう
済まないことをさせたなあ・・

でも 今年初めての栗メシは
とても美味しかった!
ありがとう Jよ!

ps 2017.8.29 草稿
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晩夏のセミたち

2017年08月28日 09時54分39秒 | Weblog
イヤフォーンを外してセミの声を聴く
清風カエル

朝の散歩の帰りに
ツクツクボウシの声を聴く
ここ熊本も
ようやく晩夏に入ったようだ

温暖化の所為か
子供の頃はよく耳にした
ニイニイゼミの声を
何年も聞いていないので
ニイニイゼミの声を忘れ
私らは毎日
クマゼミとアブラゼミの声を聴く

それに
40年位前に住んでいた阿蘇で
毎朝 毎夕のようにヒグラシの
声を聴いていたが
早朝に聴くと
ヒンヤリとした空気と共に
爽やかで心地よく
夕べに聴くと 何とわなしに
物哀しい想いに浸ったものだ

夏休みも残りわずかだが
樹上のクマゼミは
相変わらずワッシワッシと鳴き
アブラゼミも
時折ジィージィーと鳴いている

夏はもう直ぐ終わりを迎える

この殺人的な暑さから
ようやく解放されそうだが
それはそれで心寂しさも覚える

2017.8.25 草稿 27日・28日に追記
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水風呂に

2017年08月22日 08時57分23秒 | Weblog
今年の夏は
水風呂によく入ったなあ

子供の頃は
五右衛門風呂に
ポンプで水入れて
樋は竹製だったなあ
敷板入れて
兄弟で一緒に入って
地下水のそれは
とても冷たくて
身体中がクールになったなあ

また真夏には
近くの畑で採ったスイカやメロンを
水風呂にドボンと入れて
水遊びの後 親子で食べたなあ

でも その両親も
五年と二年前にそれぞれ他界し
五右衛門風呂の家も
とっくに解体されて
今は遠い記憶の中に

それから今は
熊本市内に住み
これまた 中都市には珍しい
地下水の恩恵に預かり
美味しい水を頂き
真夏は 夫婦して
エコな水風呂を楽しむ

ps 2017.8.22 草稿
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直虎と 本懐遂げし 政次よ!

2017年08月21日 23時05分04秒 | Weblog
ああ、あわれ! 小野政次

直虎と 本懐遂げし 政次よ!

ああ、二人にはわかっているから
ああ、二人にだけはわかっているから
ああ、二人にだけしかわかっていないから
こんなにも離れた愛
こんなにも深い愛
この永遠の愛
この究極の愛
おとわ・直虎と亀の氶・直親
それに 鶴丸・政次を入れて 巴の愛

政次は ポーカーフェイスで
どこまでもストイックな愛
禁欲的、克己的な愛を貫く

政次は耐える
今は理解されなくても
いつかはわかってくれる
いいや
おとわだけでもわかってくれたら
政次は 本望だ!

ああ、
直虎と 本懐遂げし 政次よ
敵も味方も騙し
見事なる小野但馬守

磔(はりつけ)になり
直虎に槍で刺されても
血を吐きながら
二人して地獄へも落ちんと
最後まで悪態を吐く政次

二人は 二人だけの役割を
それこそ血を吐く思いで
鬼気迫る振る舞いで演じきる
最後の最後まで
井伊家の再興という希望を捨てないで
命をかけて 望みを繋ぐ!

ps2017.8.20 草稿 8.21 追記
二人でよくさした囲碁の白い碁石は この世を去る時の形見の品
直虎は その石を見て 政次の覚悟の程を悟る
政次の振る舞いは 本当のところよくわからないが でも伝記などの記録だけが 真実ではないだろう 後の為政者は 歴史をしばしば書き直したりするものだ
しかも これが現代のドラマであれば
この結末は 実に心に沁みる!
裏切り者として、油断ならないものとして〜敵を欺かんと知れば、まず身内から〜長期にわたる壮大な騙しは 強く心に残ろう
私は このドラマを観て 久し振りに強く心動かされ 涙が止まらなかった 叫びたいくらいであった
これはまさしく「大和のラブストーリー」であろう
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夏の終わりに

2017年08月20日 09時19分08秒 | Weblog
朝 目覚めると
夏の終わりを感じる

あるいは
夏の終わりの始まりと
言うべきか

水風呂に
1日2、3回入っていたのが
1日1、2回になって来た

空を見上げれば
夏雲は 白く角が取れてきて
日差しも 幾分和らいできて
日陰も 少しずつ伸びてきた

セミの鳴き声も
真夏のような勢いがなく
朝の室温も
汗ばむことはなくなってきた
風の吹き方は
ややヒンヤリと柔らかく
八月も盆過ぎ
南国九州でも
辺りは既に
夏の終わりの始まりだ

ps2017.8.18 草稿 とは言え 20日の今朝は やはり暑い 😳秋は もう少し先だろう‥‥
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終活に思う

2017年08月18日 09時59分35秒 | Weblog
妻の両親が亡くなった後
両親が住んでいた家の
リフォームをした折に
両親の遺品や自分たちの物品を
始末したが その分量は
何とトラック7台分もあった

それでほっとしたのも束の間
去年(2016年)4月に
熊本地震で被災し
私達が住んでいた古い家屋は
半壊となってしまった

そこで
両親が住んでいた住居に
引っ越しをしたけれど
半壊の家屋には
膨大な物品が埋もれていた
引き出しや棚などから
出てくる出てくるいろんな物が

結局 解体した元の住居からも
トラック7台分位の廃棄物が出た

新しい住居に持ち込む物を
絞るだけ絞ったので
両親が住んでいた家の各部屋は
随分スリムにはなった

マスコミでは
終活が話題になることが
多くなってきたのは
高齢化社会になったからだろう

それで
今回の物品の処理や片付けは
終活の一環と思えば
我らの苦労も報われよう

また 今夏は
母の三回忌で帰郷したが
墓のことが話題になった

母の遺骨を仮に置いている納骨堂が
出入りが自由でなく
◯◯家のコーナーが手狭で
遺骨の扱いがちょっと気にもなるので
相談した結果 父親の実家のお墓に
お世話になろうかということになった

以前は随分先のことで
縁起でもないとつい考えていたが
いつの間にか お墓のことも
しっかり考えなくてはいけない歳になった

今のところ 私は
妻方のお墓に
お世話になることになっている

つい先年 還暦を過ぎた弟は
お墓のことは
余り考えていないようだが
弟もそうそうノンビリとしてはいられないだろう

私達兄弟も それぞれに
自分の終末のことを
あれこれ考えなくてはいけない歳頃になったらしい‥‥

ps 2017.8.15 お盆の日に草稿
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この世界の片隅に を読む

2017年08月16日 10時30分25秒 | Weblog
この世の片隅に
今年もまた
暑い八月が巡って来た

戦後生まれではあるが
戦後の余波が残る頃
そんな時期に生まれた私は
戦争の話題にはアンテナが動く

毎年この頃になると
書店に行き
戦争に関する書物を手にする

他の時期は
どうしても展示の本も少ないし
またこの時期は
子供の頃から
学校で平和に関する集会があったり
テレビや映画でも
よく取り上げられ
普段は余り話さない両親も
この時期には 戦争に関する
何らかの話をしてくれていた

それで この時期は
否応なく戦争への関心が向くのだ

私らは
昨年の熊本地震に遭い
ぐずっていた引っ越しを
追い立てられるように行い
その中で 数多くの本を処分した
しかし これだけは残して置こうと
数百冊位の本を引っ越し先に運んだ

その中に
この世界の片隅に と
夕凪の街桜の国 という
コミック本もある
作者は
こうの史代という漫画家だ

この世界の片隅に という本は
最近映画化されて話題になったから
多くの方がご存知だろう
私は 2010年に 書店で
初めて手にして 女性による
戦時下の生活を
穏やかに柔らかく淡々と
女性の視点で描かれているなあ
という印象を受け 購入し
家で読むことにした

広島の呉という舞台も
伯母が 福山に住んでいることや
海苔の栽培は 母の実家も
家族総出で行っていたこともあり
とても親近感を覚えて
どんどん読み進めた

結論から言うと
ジワジワと忍び来る戦争の怖さと
私らのかけがえのない日常生活を
無差別に無慈悲に壊していく戦争
そして その酷い状況の中でも
何とかして
自分の足で立ち上がろうとする
庶民の姿から
戦後の平和な世に生きる私達に
そして 世界がざわついてきた
今の時代に生きる私達に
「この世界の片隅で」は
ちゃんと地に足つけて
しっかりと生きることを
語りかけているような気がする

ps 2017.8.15 終戦記念日に草稿
「この世界の片隅で」(コミック)は2009年4月発行。私は、2010年5月購入後読了。
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母は見た キノコ雲を

2017年08月11日 17時52分06秒 | Weblog
今は亡き母は
今から72年前に
県北の地で
遠い長崎でのキノコ雲を
確かに見たという

当時 母は 15歳で
対岸の海寄りの街に住んでいた

たまたま雲仙の方を見ていたのか
爆音が 有明の海を越えて
海岸にも轟いてきたのか
どうして見えたのか
今思えば
ちゃんと聞かなかったのが
悔しい

それでも
長崎のキノコ雲を見た
と母は 何度か話した

その母も
戦後70年を丁度過ぎた夏に
亡くなって
やがて三回忌を迎える

さきほど テレビから
もう二度と という合唱の
綺麗な歌声が聞こえて来た

ps 2017.8.9 水曜 草稿 長崎原爆の日
1945年8月9日午前11時04分 米軍機が 九州長崎市に 原子爆弾を投下した
2017年8月9日午前11時04分に記す
人類は とんでもない物質と技術とを手にしたが 同時にとんでもない責任と危険性を背負ってしまった
近年 日本の周辺国が 俄かにきな臭くなって来た 戦争の悲惨さと惨さと 破壊性と愚かさに思い至らず カラ元気と生きる意味が見出せなくて自暴自棄になって あるいは社会が固定化されて それを壊そうという衝動性が生まれ 今 世界中の社会が 激しく揺れ動いている そして その行き着く先は 誰にもわかっていない‥‥かも知れない‥?
2017.8.11 金曜 母の三回忌に追記 ツクツクボウシの声を聞きながら
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ブランケット キャット(2)

2017年08月07日 10時01分24秒 | Weblog
孤独感や病気などから
生きがいをなくした たえ子は
海に入り自殺しようとする

岸に引き上げられて
自暴自棄なことをいうたえ子に
秀亮(しゅうすけ)は
(心の)傷は キズでいい
(心の)傷があっても 生きたい(と強く思っている)人がいる
どんな人も
大事に思ってくれる人がいる
と 強く説得する

その背後には
妻・陽子を
事故に遭わせてしまった後悔と
罪悪感と愛おしさから
敢えて周囲の人を
悲しみと後悔のどん底に落とすことはない
との強い思いが
秀亮の心の中にあったからだろう

そうして
駆け付けた勤務先の社長夫妻が
たえ子のことをとても心配し
会社の資金の持ち出しも責めず
そんな二人の対応に たえ子は
自分は一人ではなかった
こんなにも心配してくれる人がいる
ということに気づき
病気に立ち向かい
命を大事にしようと考え
手帳に「10 生きる」と記す

そして
退院したら
黒猫の「クロ」を引き取り
二人で暮らすことになっている

このドラマを観た後
お気に入りの場所で寛いでいる
我が家の黒猫「スミレ」(通称・クロ)の顔を シミジミと見た

ps 2017.8.6 草稿 今日(8/6)は 72年前 広島に原子爆弾が落とされた日だ このことについては ただ今 メッセージを草稿中です
20年後は 両親がこの世を去った年齢になる その頃までには 私はきっとこの世を去っているだろう もしかすると 10年後 いや 5年後かもしれず いいえ 場合によっては 明日かもしれない
何のために私たちは生きているのか このドラマは その一つの示唆を与えてくれたようだ
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