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春の音(声)を聴く〜冬の文芸*五

2021年01月16日 15時30分00秒 | Weblog

春の音(声)を聴く

〜冬の文芸*五

「音」(テーマ)とコロナ禍での生活


  1月の冬空、堤防など 1/15 1/16  )


最近の人は

耳が弱くなったらしい

つまり 聞く力、聞き取る力が

へたってきたのかも


テレビやネット画面を見れば

字幕が出て やや大袈裟だが

大文字で分かりやすいように

とても工夫してある


聴覚障害の人や 

耳が遠くなったお年寄りにも 

助かる手立てだ


また 健聴者からすると

電話やラジオのように

耳からだけの情報を頼りに

見聞きするよりも 

テレビやネット情報のように

字幕なども補助しながらの方が

物事や話も理解しやすいと思う


その電話も 最近は 

FaceTime(フェィスタイム)や

LINE(ライン)などでは

画像付きでやりとりできる


私ら夫婦も 時折

東京や福岡の孫たちと

オンラインでやりとりしている

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

音にまつわる蛙 🐸の文芸(冬の短歌)


川風はいまだ真冬の寒さ乗せ

川はさわさわ陽だまりは春

 ※散歩でいつも立ち寄るこの河岸 歩けば

まだ硬くて冷たい川風が 剥き出しの顔に当たる だけど 川岸のせせらぎは 明るい陽の光にキラキラと輝き サワサワと柔らかい音を立てて 私は ほんのりとあったかい陽だまりの中を歩く


地震去り屋根吹き替えてコンカラと

初夏の雨降り音は弾みて

 ※熊本地震からちょうど一年過ぎる頃 以前リフォームでお世話になったY社に

偶然にも空いた期間を使って 我が家の壊れた屋根を 修復して貰った 業者の方は 毎日福岡から高速道路を使って 往復で作業をしてくれた まだ余震が続く中を 仕事も目白押しの中を それぞれに 本当にお世話になった 今でも 感謝、感謝!である

瓦屋根からコロニアルという新素材で屋根が葺き替えられ 最初の雨の日 今までの瓦屋根とは違う 軽やかな音が聞こえて来て 屋根や壁が修復された安堵感と相まって 高めの弾ける音が とても軽快でた印象的だった


高速を走りし中で聴くお経

寝床でも聴きわれ助けられ

 ※五十歳頃に 体調を崩したり 入院したりして 人生に迷った時 思い切って 独学で仏教のお経を学ぶことに決めた

その結果 般若心経や観音教、法句経などに出会い ブッダはもちろん 松原泰道師、良寛さん、白隠禅師、中村元先生、ひろさちやさん、鴨長明などなど いろんな方々の著書や言葉にも出会った 今では それらの言葉や教えを 心の支えや生きる杖ともしている


コンゴンと屋根葺く工事心地よく

もうすぐだよと屋根ささやきて

 ※ 薫風の中 被災後の屋根の修復が進む

 被災から1年間 壊れた屋根のことが 念頭から離れず 私ら老夫婦は 先行き見えず ノイローゼになりそうだった

そんな中 知人の計らいで 福岡の建設業の方が 余震続く中を ある意味命がけで 修理してくださった 大変ありがたいことだった その時 屋根の方から 薫風に乗って

コンゴンコンと屋根葺く工事の音が 心地良く聞こえて来たのを 今でも覚えている


キンコンと共通試験が始まりて

コロナ禍の中制度も変わりて

 ※  今年は 例のコロナ禍で 普段の学習はもちろん 受験勉強も大変だったと思う 受験生はもとより 受験に関わるいろんな方々のご苦労を思うと 気の毒だと思う

私の子や孫が受験だったら ハラハラして胃も痛くなったと思う 朗報を望みます


チチチチと声はすれども見えぬ顔

お前はどこだメジロのみんな

 ※子どもの頃は メジロが身近にいたし メジロ釣りも 兄弟でしたことがある 兄や従兄弟は メジロ籠(かご)も作っていた

だから メジロの囀りは 五十年以上過ぎた今でも 聞き分け(識別)できる


終了のチャイムを待ってソワソワと

我も受験の身とも思えば

 ※私は K大やG大などの近くに住んでいる だから チャイムの音は よく耳にする  

 それで チャイムを聞くと K大やT大でセンター試験を受けた娘らの入試を思い出す

 受験生は数十分でもあっという間だろうが 私ら親などは とても長く感じる試験時間だ

 まず無事に試験会場に着き 何事もなく試験を最後まで受けることが 親の願いだ


冬の夜はファンヒーターがコーコーと

ネコは寝言を椅子の上にて

 ※寒がりの冷え性ガエルは 毎晩ファンヒーターをつける 温度設定は 17℃から19℃  そのヒーターの音や匂いに気づいた黒猫スミレは 何処で聞きつけた?か サッと部屋に滑り込むことが多い ヒーターの運転中は 音も静かになり 一人学びなどをしている私の耳には 黒猫スミレの寝言まで 聞こえてくる また 体があったまるまでは スミレは 大抵椅子の下の床で しばらくヒーターの吹き口の前に鎮座している


立春はまだまだなれど公園の葉擦れの音と

陽だまりに

 ※公園の陽だまりのベンチで 休んでいると かさこそと 葉擦れの音も 差し込む陽射しも 心なしか春の気配がして


寝台でガタンゴトン東京へ

ブルートレインみずほにてゆく

 ※高卒後 父の計らいで 就職祝いを兼ねて 僕は YS11 にて 上京したが 当時はまだ鉄道の旅が主流であった その後しばらくは 特急や新幹線で 大阪、東京まで往復した 

 ※三十年位前に 東京でプレゼンをした時は 協力者とみずほ寝台特急列車に乗ったのが 今では懐かしい 食堂車も設置してあった

 ※夜行列車の寝台は「三密」そのものではなかっただろうかと思う

 ※NHKラジオ「鉄道の旅」(2020.9)の再放送(2021.1.16) を聞いて 思い出した


真夜中にピーポ、ピーポと音がする

近いぞこれは耳そば立てて

 ※最近 近くで救急車のピーポ、ピーポの音を よく耳にする 近くには 高齢者が多くて 他人事ではなく 気にはなる 

 ※ この頃は ピーポ音を気にして 近くに来たら 音を消して欲しいとの要望が多いそうだ 私もできたら そう願いたいと思う


エールにて人を励まし鼓舞もする

音の力をリアルタイムで  

 ※普通 歌は メロディーと歌詞から成り立っているが 朝ドラ「エール」を視聴して 音楽の役割と力を あらためて感じた

 戦時中は 古関裕而さんが 意図しない方向に 作曲した歌が使われて 戦後 批判や糾弾をされたようだ 兵士や国民を鼓舞するのに 音楽や映像、絵画を利用することは 昔から多い ただ 戦後の疲弊した日本の社会で 疲れ果て 希望をなくした国民を 歌で励まし 心を癒したのも 古関さんたちであった 古関裕而さんは 戦中を振り返り 深い反省ののちに 心を込めて作った名曲の数々を 世に送り出したのである


ps 2021.1.16 草稿

NHKラジオ文芸のテーマは「音」(1/16)

サラダ記念日などで知られている俵万智さんが 選者であった 久しぶりに俵万智さんの声を聞き 最近の短歌や選評を 楽しく拝聴した


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