牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

今日は墓に葬られた記念日

2013-03-30 08:17:56 | Weblog
 昨日はイエス・キリストが十字架上で死なれた記念日でした。 高校一年生の11月24日(日曜日)に佐藤文雄牧師の説教で、イエス・キリストが十字架で死なれたのは、全人類のまたあなたの身代わりで死なれ、イエス・キリストは真の神のひとり子としてこの世に生まれれ、33歳の時十字架に架けられ(それは旧約聖書の何百回と預言されている)て死なれたことを聞きました。

 私を愛して死なれたと聞いた時、母の死を思いました。9歳の夏休みの終わりごろ、病に伏せっていた37歳の母は、真っ黒に日焼けした私の腕を掴んで、「義之。ゴメンネ」のひと言を残して死にました。

 私を愛して愛して愛し抜いた母でしたが、死はその母を奪っていきました。その日以来、歌はそれまでも歌わなかったけれども、ものも言わない子どもになりました。

 母の葬式の時、あらかじめ掘られた穴に棺が下ろされ、人くれの土を振りかけると、村の若者たちがドサッドサッとあっという間に土饅頭になり、白木の墓標が立てられ葬式は終わりました。
 母に呼びかけても聞こえてくるのは蝉しぐれだけ、そうして高校生になり二学期の終わりごろに、初めて十字架の話を聞き、すごい愛だと素直に思いました。母は私を愛していましたが、病によって死にました。

 しかし、イエスキリストは2000年前だけれども、私を愛して十字架に死なれたと言う、すごい愛だと思いました。全人類の歴史と時代を貫き、私のためにいのちを捨ててまで愛してくれた人をひとりも知りません。

 そして、イエス・キリストは墓(当時のユダヤの墓地は洞穴に横たえると言う葬りで、日本式のように土中に埋めるという葬りではなかった)した。3日目の朝、その死を打ち破って復活(明日31日が今年のイースター)されました。

 そのイエス・キリストの救いをアーメンと信じれば、救われると聞いてアーメン信じます。私の心にお迎えしますと決心し、その日の午後、種子島(城の浜)の海岸で洗礼(バプテスマ)を受けクリスチャンになり、今日まで55年、幸せと感謝の中で生きています。

 あなたのすべての悩み苦しみ、その原因である罪(原罪)も病も、呪いも貧乏も、死も地獄行きの運命も、すべて十字架に背負われ、墓に葬りさってくださったので。キリストがは墓に葬られたのは、あなたの悩みがすべて葬りさられたことを意味します。

 どんな悪習慣であれ、死んで葬られたら解放されます。いくらお酒飲みでも死んだら一口も飲めません。イエス・キリストを信じればすべてのことから救われて新しい生まれ変わった人生を与えられます。


 私実兄は、飲む、打つ、買うなど10道楽の人生でした。29歳のときキリスト教会の礼拝に出席し、ぐでんぐでに酔っていましたが、イエス・キリストを救い主と信じ、心にうけいれました。

 千鳥足で教会をふらふらとでましたが、その夜以来すべての道楽、悪習慣から完全に救いだされ、そのような場所へも近付かず、84歳になりますが健康も祝福され、元気にまだまだと働いています。

 アーメンと信じるだけで、神の子とされ、清く正しく、すこやかに幸せに豊かに、何をしても栄える=繁栄する人生が与えられます。そして死んでも、永遠の命を与えられているから天国に行けるのです。

 今日もまた天国の一日です!と、毎日が天国の平安と喜びの人なり、夜には今日もまた天国の一日でした!と、安眠、熟睡が与えられます。

 今日イエス・キリストを心にお迎えください。

 「主イエス様。私は心にイエス様を私の救い主、主としてお迎えいたします。どうぞ今、私の心にお入りください。信じます。アーメン」

 続けてのお祈り。「わたしの罪(原罪)を赦し、心の汚れやわがままを赦し、きれいにしてください。
 十字架によって、すべての罪が赦され、病がいやされ、のろいから解放され、貧乏からも救い出され、死と地獄行きの滅びからも救われたことを信じます。
 いまから神様の子どもです。赦しと愛をありがとうございます。平安と永遠のいのちを感謝いたします。
主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」


アーメンと祈り終わったら、「ありがとうございます。救われました!感謝します」と、神様の子どもになったことを喜んでください。



 著書が何冊かありますおで、。お贈りします。メールでご連絡ください。

elimoshi@kn.ne.jp


ローマ人への手紙

6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

6:9 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。

6:10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。

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