牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

何を優先しているかで決まる幸い

2015-12-04 07:47:27 | Weblog
聖書の一言;ヨハネの福音書4:35 あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
今週は、楽しくゆとりとスピードをモットーに、今朝、2学期終業式です。楽でないことの方が多い仕事の日々を、心の持ち方ひとつで楽しくできます。それは気持が安定しゆとりがあるからです。物事を不平不満やダラダラでなく、スピートで達成します。仕事を頼むなら忙しい=充実している人に頼む方が、時間を持て余している人に頼むより、正確で速いから不思議です。
イエス様は、サマリヤの女と彼女の体験を聞いて、やってくる人々に永遠のいのちの泉=真の救いを話しています。
パンを買いに行った弟子たちが戻ってきて、イエス様に、「先生。召し上がってください。」とお願いした。ところが、イエス様は「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」弟子たちは互いに言った。「だれか食べる物を持って来たのだろうか。」と、頭を振ります。
イエス様は彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です」
弟子たちの関心は、自分たちの腹=何を食べ何を飲もうかと、心配し動き回っていました。食べなければ生きてけないので、食べる物は必要です。しかし、食べ物よりも重要なのが心であり、誠の救いです。関心がどこにあるかの問題です。
出会ったばかりの方に、牧師ですと自己紹介し、幸せを祈りアーメンと応答した方には、アーメンと言えば救われると確信し、イエス・キリストを信じるよう、その場で祈ります。いつでもどこでも、だれにでも。宅急便配達の方、ホテルフロントやレストラン。昨日道出会た79歳の婦人。ご主人が84歳で亡くなり一人暮らし。そのご主人と今年出会いました。
米寿について話し、米は真ん中に十の字があり、十字架が人生の真中にあり、両手を上に上げ、ハレルヤ、アーメン。両足で大地をしっかり踏んで、ありがとう。感謝です。アーメンと祈ったご主人が、亡くなったと聞いて、お伝えして良かったと、奥様にありがとう愛の冊子とマンガを手渡す、出会いでした。
明日は、クリスマス子ども会。子どもにはまだ早い?とんでもない。幼子のように素直になるとき、救いは豊かです。午前10時の始まる前に小学生3年生と合い、救いと癒しを祈り、クリスマス会に参加します。
日本にはミッションスクールでアーメンと言った経験者が、1500万人?くらいいます。日曜学校や教会学校、クリスマス会に来た子どももたくさんいます。子どもにはまだ早いと言わずに、イエス・キリストの救いを語り、アーメン信じますと、無条件の恵みの救いを伝えます。
クリスチャンたちが、救いを喜び楽しみ、リラックスしたゆとりの輝く笑顔で、速やかに人々の心に福音を伝える時は今です。畑は色づき、刈り入れるのを待っています。楽しいクリスマスの時期です。リラックスして、刈入れを速やかに実行です。
ヨハネの福音書4:36-38 すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」
ありがとうございます。今日もまたゆたかな刈入れの天国の一日です。感謝します。



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