牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

心が衰え果てるとき

2010-06-18 11:15:05 | Weblog
詩篇61:1 神よ。私の叫びを聞き、私の祈りを心に留めてください。

61:2 私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。

61:3 まことに、あなたは私の避け所、敵に対して強いやぐらです。

61:4 私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。セラ


 韓国からの牧師と近くのモーニングサービスで、サンドイッチの朝食をごいっしょし、また今学期最後の教授を迎えたりの朝でした。

 午前4時30分に起床し、雨の降る前に8000歩をゆとりで歩き、ブログが昨日の都ホテルでの集会メモになりました。怒っても腹を立てるな!と同じメッセージ。そのメッセージをするたびに腹を立てている方が多いのに気付かされています。

 都ホテルで出会った美しい婦人は笑顔が素敵で、怒りや腹を立てたこともないと微笑んでくださり、腹を立てるなと語りながらホッとしました。

 今日の詩篇は、心が衰え果てるときとあります。毎日の生活の中で、心が沈み衰え果てることも多くあります。そのまま衰え果てて立ち上がれないときもあります。

 でもこの詩では、私の心の衰え果てるとき、私は、地の果てからあなたに呼ばわりますと、真の神への叫び、祈りの声を上げています。

 
 祈りを聞かれる神を持つ民は幸いです。そのまま衰え果てることもなく、沈み込むこともなく、地の果て(孤独や絶望のさ中)に住んでいても、声にならない呻きで会っても、神を求め叫ぶことができる幸い!

 その叫びは、どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。と、理想の高嶺を求める雄々しい叫びです。

 山を歩くのが好きです。谷間にいるときは見えなかった者が、頂上に立つとスッキリ見渡せます。谷間には谷間の良さもあります。その谷間でしか味わうことのできないものもあります。

 人生の谷も素晴らしいですが、決断は谷間でしないことです。谷間での決断は迷い、不安、恐れから逃れたいだけです。

 及びがたいほどの高嶺を、理想を失わないように、聖書の標準に達する決断を祈りたいものですね。

 今日もまた天国の一日です!輝かしい高嶺を目ざして進む歩みを祈ります。



めぐみの高きね 聖歌589番


恵みの高き嶺 日々わが目当てに

祈りつ歌いつわれは登り行かん

光と聖きと平和に満ちたる

恵みの高き嶺 われに踏ましめよ


恐れのある地に などかは留まらん

疑惑の雲をば 早く下に踏まん

光と聖きと平和に満ちたる

恵みの高き嶺 われに踏ましめよ


狭霧の彼方に 天つ日 輝く

浮世を後にし なおも登り行かん

光と聖きと平和に満ちたる

恵みの高き嶺 われに踏ましめよ


険しき坂をも 直ぐなる岩をも

御助けある身は ついに登り行かん

光と聖きと平和に満ちたる

恵みの高き嶺 われに踏ましめよ




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