牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

罪を犯したがる生きもの

2017-03-26 07:45:31 | Weblog
人は罪を犯したがる生きものである。

私は知っている。私の生まれながらの性質の中には、正しいことをしようとする善が宿っていないことを。
それなのに、私は、その願いに反することを行なってしまうのだ。
善を行いたいと、心から願いながらも、それとは逆の悪を行ってしまう現実は、一つのことを告げている。
それは、人には、良心に逆らうことを平気でさせようとする罪の性質があるということだ。
私はそれを「罪の原理」=原罪と呼んでいる。

つまり私のもっとも深いところにいる「内なる自分」は、神がお定めになった正しい行動、善の考え方などの「善のルール」を喜んでいるのに、私の体にはそれとは違うルールがあり、それが、日々私の心に戦いを挑み、結果として私自身を、私の罪の中にある罪のとりこにているということだ。

人はたとえそれを望まなくても、悪を行ってしまう。
これこそが罪の原理=原罪である。
ローマ人への手紙7:18-25わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。
わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。
「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。
わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。



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