牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

まごこはやさしいよ

2013-06-29 06:48:48 | Weblog
 今日の聖書の一節。

 創世記聖書の一言=創世記12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

 祝福の7重の約束。7は完全数。全能で愛の神の約束は完全。

 アーメンというだけです。すべての呪いは十字架により取り去られ、今はアーメンと言う者に、アブラハムへの約束は成就し、アーメンと言う人の存在が、すべての民続=全人類の祝福の源です。

 今日もまた天国の一日です。感謝!

 生駒聖書学院は、夏季伝道機関に入り、昨日バイキングレストランで思い切り食べて、それぞれの派遣されました。

まごこはやさしよ!という言葉があります。 
 
ま=豆
ご=ごま
こ=米
は=わかめ等の海藻
や=野菜
さ=魚
し=シイタケ等のきのこ類
い=イモの類
よ=ヨーグルト

 家内も余命一年宣言からら2年、健康状態が良好なのは、まごこはやさしいよ(孫と子どもやさしいけれど)だと思います。

 
 昨年の事故入院から来月で丸一年。 学院講義、チャペル、教会の午前午後の礼拝、ラジオ放送、テレフォンメッセージなど通常にできるのも、家内と同じ食生活をしているからかなと、思いながらイエス様のいやしの恵みを感謝しています。

 アブラハムへの祝福の約束を書きながら、イエス様の十字架によりすべての呪いが取り去られ、
祝福だけが与えられた幸いに感謝します。

 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。

 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。(ガラテヤ3:13-14)

 
 十字架の救いをアーメンと言うと、すべてののろいは解放され、アブラハム以上の神の子とされた祝福が伴います。呪いは消えて祝福だけの人生を与えられます。

 そして、祝福を求めるだけの人生から、祝福の相続者とされ、祝福を与える日々へと変えられたのです。

 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(第一ペテロ3:9)

 受けるよりも与えるほうが幸いです!

 身体が弱く、たとえ余命宣告されいようが、病があろうが関係なく、祝福を与える存在と変えられているのです。

 この地上に存在する限り、そして天国に召されても、祝福を祈り与えることができるのです。

 今日もまた天国の一日です!祝福をお祈りいたします。


ペテロの第一の手紙

3:8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。

3:9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

3:10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、

3:11 悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。

3:12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」

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