昨日は火曜日。大阪エリムキリスト教会の集会でした。生駒聖書学院学期中は、神学生が司会、メッセージを全部してくれます。
今は週替わりですが、昨夜は前田牧師メッセージでした。
第一サムエル記7:12 そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。
エベン・エゼル=ここまで主が私たちを助けてくださった。
エベン=石
エゼル=助け
口語訳聖書はエベネゼルと訳しています。大好きな聖歌273番を紹介します。
命の泉に 在(ま)しますイェスよ
豊かに流れて 潤(うるおし)し給(たま)え
真(まこと)の言葉に 乾(かわ)きし我も
糸をば整え 恵みを歌わん
神より離れて 迷いし我を
イェス君(きみ) 見出(みいだ)し給(たま)いし日より
恵みに漏(も)れたる時は無かりき
いざ打ち立てまし エベネゼルをば
誰(たれ)かは断(た)ちうる 恵みの糸を
らに結びつけん この身を神に
か弱き我が身を 導き給え
天(あめ)なる御国(みくに)に 行き着く日まで
クリスチャンになるまで一度も歌を歌うことをしない少年時代でした。歌は歌詞を口ずさむだけで、唱歌も童謡も、歌謡曲も歌うことはありませんでした。
16歳でアーメンとイエス様を信じて救われました。いつくしみ深き友なるイエスは(讃美歌312番)をメロディを海岸を歩きながら、音程外れでしたが歌うようになりました。天国には最高のメロディとして聞こえるだろうと思いながら・・・・。
賛美歌の教会から聖歌を愛用する生駒聖書学院へ入学し、戸惑いも覚えながら多くの聖歌を歌いました。
聖歌273番を歌ったとき、2節の歌詞が心に残り、今もなお歌っています。
神より離れて 迷いし我を
イェス君(きみ) 見出(みいだ)し給(たま)いし日より
恵みに漏(も)れたる時は無かりき
いざ打ち立てまし エベネゼルをば
さあ、しっかり確信し、どんなことがあってもエベネゼルだ!全能の神、千歳の岩なるキリストに信頼し続けようと決心したことなどを思い出しました。
イザヤ書 28:16 だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石とは、イエスキリストを示しています。
詩篇118:22-23 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。
イエス・キリストは、家を建てる者=専門家には捨てられた石=役立たないものです。しかし、その捨てた石が礎の石となったのです。
イエス・キリストは文字通り十字架の上に、捨て石となってくださいました。その捨て石ここそ人生の土台石となってくださるお方なのです。イエス・キリストを土台とすると、どんな時でも神の最善の愛を受け続ける人生となるのです。
この日は主が造られた日、この日を楽しみ喜ぼう。天国の一日がスタートします。今日もまた天国の一日です!と、告白しつつどときにも可能性に向かって挑戦です!
誰(たれ)かは断(た)ちうる 恵みの糸を
らに結びつけん この身を神に
か弱き我が身を 導き給え
天(あめ)なる御国(みくに)に 行き着く日まで
ルカの福音書
6:47 わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
6:48 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。
6:49 聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」
マタイの福音書
7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
7:24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
7:28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。
7:29 というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
今は週替わりですが、昨夜は前田牧師メッセージでした。
第一サムエル記7:12 そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。
エベン・エゼル=ここまで主が私たちを助けてくださった。
エベン=石
エゼル=助け
口語訳聖書はエベネゼルと訳しています。大好きな聖歌273番を紹介します。
命の泉に 在(ま)しますイェスよ
豊かに流れて 潤(うるおし)し給(たま)え
真(まこと)の言葉に 乾(かわ)きし我も
糸をば整え 恵みを歌わん
神より離れて 迷いし我を
イェス君(きみ) 見出(みいだ)し給(たま)いし日より
恵みに漏(も)れたる時は無かりき
いざ打ち立てまし エベネゼルをば
誰(たれ)かは断(た)ちうる 恵みの糸を
らに結びつけん この身を神に
か弱き我が身を 導き給え
天(あめ)なる御国(みくに)に 行き着く日まで
クリスチャンになるまで一度も歌を歌うことをしない少年時代でした。歌は歌詞を口ずさむだけで、唱歌も童謡も、歌謡曲も歌うことはありませんでした。
16歳でアーメンとイエス様を信じて救われました。いつくしみ深き友なるイエスは(讃美歌312番)をメロディを海岸を歩きながら、音程外れでしたが歌うようになりました。天国には最高のメロディとして聞こえるだろうと思いながら・・・・。
賛美歌の教会から聖歌を愛用する生駒聖書学院へ入学し、戸惑いも覚えながら多くの聖歌を歌いました。
聖歌273番を歌ったとき、2節の歌詞が心に残り、今もなお歌っています。
神より離れて 迷いし我を
イェス君(きみ) 見出(みいだ)し給(たま)いし日より
恵みに漏(も)れたる時は無かりき
いざ打ち立てまし エベネゼルをば
さあ、しっかり確信し、どんなことがあってもエベネゼルだ!全能の神、千歳の岩なるキリストに信頼し続けようと決心したことなどを思い出しました。
イザヤ書 28:16 だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石とは、イエスキリストを示しています。
詩篇118:22-23 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。
イエス・キリストは、家を建てる者=専門家には捨てられた石=役立たないものです。しかし、その捨てた石が礎の石となったのです。
イエス・キリストは文字通り十字架の上に、捨て石となってくださいました。その捨て石ここそ人生の土台石となってくださるお方なのです。イエス・キリストを土台とすると、どんな時でも神の最善の愛を受け続ける人生となるのです。
この日は主が造られた日、この日を楽しみ喜ぼう。天国の一日がスタートします。今日もまた天国の一日です!と、告白しつつどときにも可能性に向かって挑戦です!
誰(たれ)かは断(た)ちうる 恵みの糸を
らに結びつけん この身を神に
か弱き我が身を 導き給え
天(あめ)なる御国(みくに)に 行き着く日まで
ルカの福音書
6:47 わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
6:48 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。
6:49 聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」
マタイの福音書
7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
7:24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
7:28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。
7:29 というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
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