あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。(ダニエル9:23)
願いの祈りを始めた時、ひとつのみことばが述べられましたとあり、新約聖書に「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。(ヨハネの第一の手紙5:14-15)とあります。
祈りが聞かれる喜びに、ありがとうごとうございます。癒されました!感謝します。と告白し続けています。脳内出血も一ケ月で完治。
現在も足のしびれ、強烈な疲れや眠たさなど、ゆっくり安静中で完全な癒しのさ中の朝です。
その中で、特にとりなしの祈りの力=家族、教会員、神学生、巡回予定だった九州や種子島、沖縄や北海道。特に300名の水曜祈祷会で実名を上げ3週間連続の祈りをいただいたりで、支えられております。。
ヤコブの手紙5:13 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。
5:14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
一番のとりなし手=主イエス・キリストである
ローマ8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
ヘブル7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
7:26 また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。
私たちは十字架のあがないにより救われているのだ。そして復活のキリストのとりなしに寄り守られ続けているのだ。これがキリスト教の信仰の基本であり、祈りの基本である。
ローマ8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
それだけでなく、聖霊もとりなしてくださる。「私たちはどう祈るべきか知りませんが、聖霊自らが、言葉に表せないうめきをもってとりなしてくださるからです」(ローマ8,26)。
私たちが聖霊に心を開いて祈るとき、その聖霊がとりなしの祈りをしてくださるのである。
今朝もとりなしの祈りとともに、生駒朝祷会でメッセージです。すべての祈りをとりなし、願いを聞き入れてくださる神様の約束を確信し祈りましょう。
マルコの福音書
11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。
11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
願いの祈りを始めた時、ひとつのみことばが述べられましたとあり、新約聖書に「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。(ヨハネの第一の手紙5:14-15)とあります。
祈りが聞かれる喜びに、ありがとうごとうございます。癒されました!感謝します。と告白し続けています。脳内出血も一ケ月で完治。
現在も足のしびれ、強烈な疲れや眠たさなど、ゆっくり安静中で完全な癒しのさ中の朝です。
その中で、特にとりなしの祈りの力=家族、教会員、神学生、巡回予定だった九州や種子島、沖縄や北海道。特に300名の水曜祈祷会で実名を上げ3週間連続の祈りをいただいたりで、支えられております。。
ヤコブの手紙5:13 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。
5:14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
一番のとりなし手=主イエス・キリストである
ローマ8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
ヘブル7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
7:26 また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。
私たちは十字架のあがないにより救われているのだ。そして復活のキリストのとりなしに寄り守られ続けているのだ。これがキリスト教の信仰の基本であり、祈りの基本である。
ローマ8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
それだけでなく、聖霊もとりなしてくださる。「私たちはどう祈るべきか知りませんが、聖霊自らが、言葉に表せないうめきをもってとりなしてくださるからです」(ローマ8,26)。
私たちが聖霊に心を開いて祈るとき、その聖霊がとりなしの祈りをしてくださるのである。
今朝もとりなしの祈りとともに、生駒朝祷会でメッセージです。すべての祈りをとりなし、願いを聞き入れてくださる神様の約束を確信し祈りましょう。
マルコの福音書
11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。
11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
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