牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

苦しめれば苦しめるほど

2013-09-01 06:02:52 | Weblog
聖書の一言=出エジプト記1:12 しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がった。

創世記でヨセフのことを書きましたが、エジプトへ移住したイスラエルの民も、聖書では一ページですが、400年の歴史が流れ、エジプト王朝は変わり、ピラミッドの時代へと移りました。その苦しみの中で一つの家族は、民族へと変容していきます。

ヨセフの生涯もそうでした。兄弟に妬まれ、17歳でエジプトへ奴隷として売られ、牢獄から30歳でだされ、神の霊の聡明さで総理大臣となり、エジプトを大飢饉から救い、兄たちをまったく許し、全家族72名を救い、130歳までの栄光の人生を終えました。

苦しみがあれば人は純化され、成長します。艱難汝を玉にすとか、七難八苦を我に与えよなど、辞書をめくればいくらでも名言やことわざがあります

でもそれを金科玉条に、クリスチャンは苦しみ艱難を自ら味わうべきだと言えば、十字架の意味が全然わからない、律法的信仰、道徳倫理的になり、自分を責めるだけでなく、人を責めてしまいます。

裁いてはいけないという、イエス様の教えから離れて行きます。
また、それを言い訳にして、しごいたり、体罰を与えて頑張らせたり、家庭内暴力で妻や子を殴ったりして、暴力を正当化してはいけません。最近は警察介入の法律ができ、そのようなときは、すぐ110番、携帯を直ぐ押せるようにしたら良い。特に、幼児や子どもへの暴力は動物以下です。
幼い時(家庭や学校)の経験がトラウマになっている場合もあります。でも苦しみを受けても、どんな艱難辛苦のなかでも、純粋に生きる恵みも、また豊かにあります。

イエス・キリストの十字架と復活の救いを体験し、トラウマや恨み、憎しみを越えて、すべてが益となり、愛と希望輝く、きょうもまた天国の一日です。

イエス・キリストの十字架の救いと、聖書の愛の約束に感謝します。

ローマ人への手紙

5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。

5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。

5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、

5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。



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