牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

豊かに生きる!

2005-09-25 07:34:51 | Weblog
わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。ヨハネ10:10-11

 豊かな人生を生きる秘訣

 豊かに生きる!と言うと、猛烈に反対するクリスチャンもあります。名もなく貧しく美しく生きることこそ美徳であり、心の豊かさこそすべてであると言うのです。お金の話を教会でするとは思わなかったと、つまずく場合もあるようです。
 しかし、豊かでなければ順調な人生を過ごすことはできません。豊かでなければ自分の可能性や才能を最大限に広げることもできません。
 なぜなら心をはぐくみ、才能を伸ばすためにはいろんなものを利用する必要があるからです。それらを手に入れるためにはお金も必要です。私たちはさまざまなものを活用して、身体と心と知力を成長させますが、現代社会は、経済力がなければそれらのものを手に入れることができない仕組みになっています。ですから人間として成長するためには、まず豊かになる秘訣を知っていることが大切です。

あらゆる生命の目的は成長することです。生き物はみな、可能な限り成長する権利があります。
 人間にとって生きる権利とは、知力と心と身体を生き生きと活動させるために必要なものをすべて、自由に無制限に使える権利と言ってもいいでしょう。
 本当の豊かさとは、少ないもので満足したり、それでいいと思ったりすることではありません。
 手に入れないもので満足するのは、神の摂理に反することです!私たちが救われたのは、少ないままで満足するためではなく、いのちの成長と輝きであり、そのいのちの活力や気品、美しさや豊かさを十分に発揮するためなのです。
 イエス様は言われました。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。ヨハネ10:10
その前のことばには、「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです」とあります。盗人とはだれのことでしょうか。それは悪魔・サタンです。
 私たちは盗人に奪われてはいけません。奪われると貧しくなります。イエス様はサタンが奪ったものを全部取り戻してくださいました。
 それが十字架の救いです。恵まれて生きることを望むのは、何も悪いことではない。豊かさに対する願いは、いっそう恵まれて充実した、実りある人生を送りたいと言う願いであり、その願いは非難されるべきものではなく、むしろ称賛されるべきもの。
 イエス様は、「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです」(ヨハネ15:8)と言われました。
 恵まれた豊かな実を結ぶ人生を望まないクリスチャンは、ひねくれものです。悪魔にだまされて恵まれている人をうらやんだり、非難したり裁いたりしてしまうのです。
また、必要なものを十分に持ちながら、そのように生きていないならずいぶん変わり者だと思います。
 ここでもう一度イエス様の十字架の意味を再考してみましょう。
① Ⅱコリント5:21 罪のために=すべての罪は赦された!アーメンですか?
② Ⅰペテロ2:24 すべての病はいやされた。もう病人ではない!
③ ガラテヤ3:13 すべてののろいはもう一つもない!祝福だらけの人生だ!
④ Ⅱコリント8:9 すべての貧しさはなくなった!もう神の富の遣い放題!
⑤ ヘブル2:14-15 死の恐怖から解放された!死んだら天国まちがいなし!

豊かに生きる秘訣の原点を確認しよう。
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。Ⅱコリント8:9
そのことを確信するので
あなたがたは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちから出てあなたがたの間にある愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富むようになってください。Ⅱコリント8:7
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
Ⅱコリント9:8と、私たちは毎週告白しています。
 人間として、神の子として私たちは、心豊かに、知力も鍛えられ、丈夫な身体も与えられています。これらのうちのどれかが優位に置かれたり、神聖視さたりしてはいけません。それぞれが同じように大切なのです。へんに霊的ぶるのはやめてください。
聖霊に満たされることは大切です。聖霊に満たされるとすべてが満たされますが、ほかのものに満たされる必要はないなどと聖書は教えていません。聖霊に満たされるとき、心も知力も健康もすべてが豊かにされるのです。
聖書の約束が実現するから幸いです。Ⅲヨハネ2節には、「愛する者よ。あなたが、たましいに幸い(恵まれ・栄え)を得ているようにすべての点でも幸い(恵まれ・栄え)を得、また健康であるように祈ります」とあります。
健全な信仰は健全な常識を生み出し、不健全な信仰は非常識になります。
心のめだけに生きるのは正しいことではないし、尊いことでもありません。
知力だけ鍛えて身体や心をないがしろにするのは、誤りです。
知力や心のことを省みず、肉体の赴くままに過ごすなら、いまわしい結果を招きます。
心が生き生きと活動するためには、愛が必要です。クリスチャンはその愛を豊かに与えられいます。ヨハネ3:16 ローマ5:8 イザヤ43:4 十字架の元に立つとき愛は豊かに注がれてくるのです。なぜなら聖霊によって神の愛が豊かに注がれているからです。ローマ5:5 神に愛されていないクリスチャンなんて一人もいません!
人間の最大の幸福は、愛する人に祝福を与えることです。愛のもっとも自然で自発的な現し方は「与える」という行為です。与えることのできない人は、夫や父親として、あるいはクリスチャンとしての役目をはたすことができません。
聖書は、マタイ7:12 ゴールデンルール(黄金律) ルカ6:38 使徒20:35
それは知力や健康にも当てはまります。
人間は十分な食べ物と、着心地のよい衣服と、あたたかな住まいがなければ、身体を生き生きと活動させることができません。過酷な苦労にさらされるのもよくありません。身体のためには、休息し気分転換をはかることも必要です。安息日!
また書物や読書をするための時間や、旅行や観察をする機会がなく、あるいは知的な会話のできる相手がいなければ、知力をしっかりみがくことはできません。
知力を十分に伸ばすためには、知的な娯楽が必要ですし、工芸品や美術品を身の回りにおいて、使ったり、鑑賞したりすることが欠かせません。美術館や博物館。
クリスチャンがイエス・キリストの救いを受け、聖霊に満たされ、豊かに生きることは、神と自分自身と人類への果たすべき責任なのです。
なぜなら人間は、神と全人類に対して自分自身を最大限に生かす以上に大きな奉仕はできないからです。

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」マタイ22:37-40

クリスチャンとして最高に豊かな人生をともに生きていきましょう。
 


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