牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

恵みの一日

2005-09-14 09:15:16 | Weblog
昨日は学院教室講義に京都からの講師を迎えました。お昼に弁当を頼むのですが、忙しいので時間に間に合わないと断られました。
 軽いものでいいとのこと。近くのファミリーレストランで秋の味覚マツタケご飯と天ぷらそばの定食を注文。1時間近い接待でした。
 午後、朝日放送スタジオで10月放送分の録音。ガンで入院している55歳の男性を見舞い、ご飯が食べられない、リポビタンが飲みたいとのことで、近くの店に走り買ってきました。イエス様が痛みを引き受け病を背負ってくださったといやしと平安を祈りました。
 医者は最後の楽しみは食べることだと言っていました。食べることのできなくなった彼は、顔は輝いていましたが、さすがに身体は衰弱し細くなっていました。一日2時間の点滴が身体を支えているようです。
 今日も、入院している男性を二人見舞い、健康といやしを祈ります。

 水曜日は富雄キリスト教会水曜礼拝。
 学院の授業は講師に依頼し、水曜礼拝に出かける。午後は病院見舞い。夜は大阪エリムの「リバイバル集会。
 朝から晩まで主の恵みがいっぱいの一日です。ハレルヤ。

 コリント人への手紙第二

4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
4:13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。
  4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

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