牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

握手をすれば、アーメン信じますと言う

2013-05-06 03:33:24 | Weblog
日曜日朝は、生駒聖書学院教会でインターネット公開礼拝(もう7年間放映しています)を終えると、大阪市浪速区新世界の教会礼拝です。

 送迎車で着くとすぐ週報を二軒に届けて礼拝説教です。昨日は少し早く着き祭日でにぎわう新世界へ。若い男女に出会い握手で挨拶。沼津市から来ていました。イエス様の救いを語り、二人の幸せを祈るとアーメンと応答したので、イエス様を心に受け入れるよう言うと、信じます。アーメンと祈ってくれました。沼津へ帰ると言う彼らと別れ、近くのいた3人連れの30代男性たちに声をかけ、彼らも信じますと祈りました。

 名刺は持ってい蒔いたが、珍しく福音文書が一冊もなく、祈った青年に「牧師さん。備えあれば憂いなしですよ。いつもわたせるようにもっていなくては」と注意されてしまいました。

 何と短い時間に五人もの青年が、牧師の導きでイエス様を信じます。アーメンと受け入れる祈りの時でした。

 福音をもっと気楽に伝えることができれば、もっと多くの方々がクリスチャンになると思う最近です。キリスト教という宗教を伝えるのではなく、「わたしは道であり、真理であり、命である」と、唯一の救い主イエス様を伝えるとき、人々はいす様と出会ってくれます。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16

 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
キリス トは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。第一テモテ2:4-6

 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。第二ペテロ3:9

 その神の愛を知っているすべてのクリスチャンたちは、アーメンと言えば救われることを周りの方々に、お伝え知るだけですばらしい救いが日本中に広がり続けます。

 十字架の救いはそのようにして世界中に伝えられて、今日も伝えられ続けているのです。

コリント人への第一の手紙


2:1 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。

2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。

2:3 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。

2:4 そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。

2:5 それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。

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