牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ゆるしのあるところに平安が・・・

2006-11-23 08:52:03 | Weblog
ゆるしのあるところに平安あり 2006年11月23日
先日、結婚の司式をしたとき、ゆたかな夫婦という話をしました。ゆ=ゆるし合う、た=高め合う、さ=察し合う、な=仲良し夫婦。

 人間関係が夫婦でなくても、お互いに許し合い、高め尊敬し合い、察し合う、仲良しの仲間でありたいですね。

 しかし、裁きあい、足を引っ張り合い、批判しあう、犬猿の仲のような関係が多いのが現実かもしれません。

 イエス・キリストが十字架の上で、「父よ。彼らをお赦しください。何をしているのか、分からずにいるからです」(ルカ23:34)と祈られました。

 イエス様はこの世界を救うために来られました。そして大きな愛といやしを、その生きていた時代にもたらし、十字架の上に死ぬことによって、時間と空間を越えて、全世界の全時代に、聖霊によってその愛を拡大し、私たちがその働きを継続するようにしてくださっています。

 あなたにいやしや救いが必要でなくても、他人をいやすという使命が与えられているのです。それは、この地球で取り組まなくてはならない本当の仕事なのです。私たちはみんな、お互いをいやすためにこの星に生まれてきました。

 すべての誤解、こだわり、偏見、怖れからお互いを解放し、本当の幸せを体験するために生まれてきたのです。私たちはそのためにすばらしい道具も与えられています。中でももっともすばらしい道具がゆるしなのです。

 ゆるしは、あなたとみんなの人生に、不思議なほど最高に深い、愛の変化をもたらします。ゆるしはすべてを変えてしまいます。たった一瞬で・・・。そこがワクワクするところです。すべてを変えてしまうからです。

 ゆるしは、悲しみのあるところに喜びを、争いのあるところに平和を、怒りのあるところに喜びをもたらします。そして、本当の自分を取り戻させてくれます。

 イエス様の救いは、この十字架上の祈りに凝縮されています。「父よ・・・」で始まり、「すべてが終わった」で完成したのです。全世界はこのゆるしの愛に包まれているのです。

 心にわだかまりを持ちつつ、悩み苦しみ、ごまかし落ち込み、イライラの原因や病弱のままで、憎しみに支配されてしまいます。

 両親、義理の両親、兄弟姉妹の家族j関係、親戚を完全にゆるしている人は少ないようです。

 恵まれた環境で愛され、必要な物も十分に与えられて育ったのに・・・なぜかわだかまりが・・・。ひどくことばで傷つけられたり、暴力や虐待を受けたので絶対にゆるせないと決めていることもあります。

 思い切って赦しの愛を体験してみませんか。8年前の今日、19歳で洗礼を受けてクリスチャンになった青年がいます。彼は小学校の6年間ずっといじめられ、中学の3年間もいじめは続きました。「お前なんか高校に行けるか。アホが・・・」と教師からも言われ続けました。友達も一人もなくやっと工業高校を卒業し就職しましたが、職場でもいじめは続きました。就職して一年後、もう自殺しかないと考えさ迷っているとき、エリムキリスト教会の十字架を見上げ、礼拝に出席しイエス・キリストの愛を知りました。

 「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)との愛を体験し、16年間のいじめから救われただけでなく、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしてるのか分からないのです」との、十字架上での祈りを自分の祈りとすることができ、赦しの愛を体験しました。

 今、27歳になりましたが、職場でも重要な仕事を任せられ、豊かないのちの輝きに包まれ成功と祝福の中を生きています。

マタイ

18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。


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