ケニアはケリチョティという紅茶の名所があり、毎年思い切り美味しい紅茶を楽しみました。
今年はケニア行きを中止したので、日本茶の味わい深さに感動しています。茶道のたしなみはなく、お茶を飲むだけです。
日本茶には、種類ごとに特徴を引き出すいれ方があるそうです。また、同じお茶であっても2煎目、3煎目とお湯の温度を変えると、存分に楽しめ、ペットボトルとは全く違いますね。お茶の持ち味を引き出す入れ方があります。
若い牧師の時、鹿島外雄牧師に可愛がってもらいました。お訪ねするといつもお茶をご自分で入れてくれました。とても美味しくいただきました。
玉露や上級煎茶は、低温の湯でじっくり時間をかけると、旨味を引き出します。旨味成分は、温度によって少し違います。
どんなお茶でもそのままでは、香りも旨味もでてきません。人生も同じようなものではないかと思います。
イエス様は、「 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)と言われました。
世にあっては悩みや苦しみがあります。真実のことばですね。
また聖書には、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない」(使徒14:14)
「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」(ペテロの第一の手紙5:9-10)
など試練や困難が多いのがこの世で生きることだと教えています。それを乗り越え打ち勝つ力をイエス・キリストは与えてくださいます。
「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます」(第一コリント10:13)
お互いの中にある品性をお茶にたとえると、お茶がそのままでは何の香りも旨味をも出しません。熱い適度のお湯が注がれることにより、そのお茶特有の香りや旨味(渋み)などだ出るように、試練に出会うことにより、素晴らしい品性が輝くようになるのです。
特にクリスチャンは、イエス・キリスト様を心に宿しています。「この宝を土の器に入れている」(第二コリント4:7)ので、そのキリストの品性が、クリスチャンを通して良い香りとしてこの世に香り続けるのです。そのためには、お茶にお湯が注がれるように、試練が与えられるのです。耐えられないような試練ではなく、一番ふさわしい香りが出やすい試練なのです。
聖霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラ5:22)
という美しい品性が、様々な試練や苦しみを通して滲み出てくるのです。
オリンピック女子バレーは銅メダルでした。インタビューで江畑選手が、笑顔を輝かせながら「瞬間の決断です!」 「迷うと勝利を逃します」と答えていました。
常日頃の厳しい練習と訓練の結果が、勝利になったのですね。すごい!と思いました。
人生も同じですね。試練や悩みを逃げてばかりでなく、神様のお湯加減を信頼して、アーメンと受け止め、心から感謝する時考えられない勝利と祝福が備えられています。
コリント人への第二の手紙
2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
2:16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。
2:17 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。
今年はケニア行きを中止したので、日本茶の味わい深さに感動しています。茶道のたしなみはなく、お茶を飲むだけです。
日本茶には、種類ごとに特徴を引き出すいれ方があるそうです。また、同じお茶であっても2煎目、3煎目とお湯の温度を変えると、存分に楽しめ、ペットボトルとは全く違いますね。お茶の持ち味を引き出す入れ方があります。
若い牧師の時、鹿島外雄牧師に可愛がってもらいました。お訪ねするといつもお茶をご自分で入れてくれました。とても美味しくいただきました。
玉露や上級煎茶は、低温の湯でじっくり時間をかけると、旨味を引き出します。旨味成分は、温度によって少し違います。
どんなお茶でもそのままでは、香りも旨味もでてきません。人生も同じようなものではないかと思います。
イエス様は、「 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)と言われました。
世にあっては悩みや苦しみがあります。真実のことばですね。
また聖書には、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない」(使徒14:14)
「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」(ペテロの第一の手紙5:9-10)
など試練や困難が多いのがこの世で生きることだと教えています。それを乗り越え打ち勝つ力をイエス・キリストは与えてくださいます。
「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます」(第一コリント10:13)
お互いの中にある品性をお茶にたとえると、お茶がそのままでは何の香りも旨味をも出しません。熱い適度のお湯が注がれることにより、そのお茶特有の香りや旨味(渋み)などだ出るように、試練に出会うことにより、素晴らしい品性が輝くようになるのです。
特にクリスチャンは、イエス・キリスト様を心に宿しています。「この宝を土の器に入れている」(第二コリント4:7)ので、そのキリストの品性が、クリスチャンを通して良い香りとしてこの世に香り続けるのです。そのためには、お茶にお湯が注がれるように、試練が与えられるのです。耐えられないような試練ではなく、一番ふさわしい香りが出やすい試練なのです。
聖霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラ5:22)
という美しい品性が、様々な試練や苦しみを通して滲み出てくるのです。
オリンピック女子バレーは銅メダルでした。インタビューで江畑選手が、笑顔を輝かせながら「瞬間の決断です!」 「迷うと勝利を逃します」と答えていました。
常日頃の厳しい練習と訓練の結果が、勝利になったのですね。すごい!と思いました。
人生も同じですね。試練や悩みを逃げてばかりでなく、神様のお湯加減を信頼して、アーメンと受け止め、心から感謝する時考えられない勝利と祝福が備えられています。
コリント人への第二の手紙
2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
2:16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。
2:17 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。
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