牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

アーメンだけで

2017-03-30 19:17:45 | Weblog
コリンント人への第一の手紙1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
アーメンとは呪文でも題目でもなく、聖書に書いていることはほんとうです。真の神のことばは誠です。そのことばにアーメンと応答しているのです。
イエス。キリストのことば=よくよくあなたがたに言う=まことにまことに汝らに告ぐ=アーメン。アーメン、よく聞きなさい。
高校生の時、種子島の西之表キリスト教会で、イエス・キリストが十字架に死に、3日目の朝復活された福音を聞き、アーメンと信じて今年で59年。平安と幸せになりました。今日は枚方市民病院緩和病棟に見舞いに行き、看護師と握手し祈り、信じますアーメンで良い出会いです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

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