牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

出会いと別れ

2019-10-29 16:28:24 | Weblog
出会いと別れ
ヨハネの黙示禄14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」
昨夜遅く母が召されましたとの電話が入った。半分寝とぼけて射る状態で受け答え。着信歴を見ると山埜泰子とある。長男さんからの電話。昨夕自宅で長男、長女と次女に見守られ、安らかに天国へ凱旋された。91歳の長寿だった。
今日の昼に、堺市鳳の自宅へ慰問。孫がキレイにしてくれたと、ベッドのご遺体は綺麗な顔で若々しく美しかった。
出会いは、大阪新世界での午後2時の礼拝だった。同年齢の友人を連れて、アーメン信じますと祈ると、友人は目が不自由で困っている。癒しの祈りをとのことで、イエス様の御名まえにより視力よ戻れ、癒やされよ。アーメン。ありがとう直りました、感謝しますというと怪訝な顔で教会を辞しました。
何と、外へ出たとき、あらっ見える!と思わず大きな声。それ以来午後2時の礼拝に集ってくれた。
山埜姉妹が、来週コンゴの兄弟を連れてくるから、仕事があるよう祈ってくれとの要請。
コンゴでは医者だったが、日本人と結婚し子どもも3人もいるので、奥さんの家に世話になっている。
教会に来たとき、二人が地上で心を合わせて祈れば聞かれると、握手をして祈り、家でも奥さんと二人で祈るよう祝福した。
素晴らしいことに英会話の教室が開けた。その後、カバセレ兄はダラスの神学校へ推薦し、家族で渡米し、卒業後ダラスで大教会の牧師となった。
堺市でキリスト教会の礼拝をとの願いで、山埜泰子姉の15畳のプレハブ住宅で、毎週日曜日の夜礼拝を始めた。
毎回、新しい方々が導かれ、アーメンと信じ洗礼を受けてくれた。
山埜姉のご主人は高速艇を開発した技術者だったが、福岡で早くなくなり、実家の堺市鳳に帰ってきた。
実家は、鳳一の大富豪で多くの土地を所有していた。家督を相続した長兄は結婚もせず、遺産を切り売りし、遊びまくった。
道頓堀で札びらをまき散らしたり、多くのエピソードに事欠かないそうだ。長兄の死後残された遺産もすごく、クリスチャントして堺市内に有る多くのキリスト教会堂建設を支援し、教団教派を越えて十指に余るそうだ。
最近は長女がドラムを自由に叩けるキリスト教会を鳳に購入した。
思い出はキリはないが、70歳近くなってアフリカのケニア宣教にもいっしょの行くことになった。元気いっぱいケニアの子どもたちと遊んでいる笑顔が懐かしい。
今年の元旦礼拝に長男と長女に伴われて、聖書学院教会の礼拝に不自由なお体で出席された。学院教会のベンチは、堺エリムキリスト教会の献堂式に献げられた山埜姉妹の支援で準備した椅子です。
堺エリムキリスト教会は、在日クリスチャンが6年間無償提供してくれた教会。そこを引揚げるとき椅子を生駒聖書学院に運んで現在です。
高速道路堺インターの近くのビルの屋上に赤い十字架が輝き、今は純福音教会です。
堺エリムキリスト教会は、堺東駅前銀座通りアーケードの中で、現在も活動中です。
今日、慰問で久しぶりに堺市鳳を訪れ、まだまだ思い出は多くあるけれども、山埜泰子姉の召天を感慨深く祈る夜です。
主の聖徒の死は、主の御前において尊い.詩篇116:10
。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」黙示禄7:14-18
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」21:2-23

Ⅱコリント1:3-5 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

ありがとうございます。天国に生きる平安と幸い。感謝しま