枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

久々の勤務に・・・

2019年02月07日 | Weblog

 節分から旧正月へとかけ、ゆっくりとしていたが、仕事にも行かなければならない。と言って、家でのんびりとして居た訳でもなく、動ける時には何かとすることも。つくづく貧乏性だなと思いつつ、性格も重なってあれこれと片付ける。夕方には、一息入れてから、読書に耽る。

 立春を過ぎては、少々気温も高めで、じっとしている分には有り難く感じる。半面、動けば汗ばむ。贅沢なもので、以前のように寒さで身体が委縮されないのも、お陰なことである。枇杷葉茶の、枇杷湯のお陰であるが、塩にも感謝している。何を於いても、身体の中から温かい。

 以前は、厚着で更に着込むと言う有り様。加えて、炬燵に潜り込んでの体たらく。テレビは観ない分、転寝が常時であり、動くのも大儀だった。それが、年齢を重ねては来たが、食事の用意も、洗濯にも精出せる。手は冷たくなるが、水仕事は欠かせない。祈りと感謝の日々である。

 勤務に来てみれば、職場は大混乱。インフルエンザA型発症となって、受診やら隔離やらでてんてこ舞いである。食事も個室対応だし、見守りをするのも気が張る。居室で静かに過ごされる方は珍しく、必ずごそごそしているので、危険が無いかを気をつけるが、冷や冷やものだ。

 普段でも、食事が自ずから摂れなかったり、介助が必要な方も居て、トイレ介助にも気が抜けない。隔離と言っても、施設内は自由であり、単に居室で過してもらう。でも、無理だよな。その判断が出来ないから、此処に来て過しているのに。負担が重く人数も足らないのに悲鳴が。

 子どもに、待つということを教えるのに、言葉で言い、態度で示せるが、認知症状であれば、更に混乱してしまう。落ち着いて居てくれる間に、他の事や、違うことを瞬時にしなければ、あっという間に動くことも有る。予期せぬ行動である。転倒・骨折・入院・事故に繋がるのだ。

 資格を持っているから、介護のプロではありません。心が折れそうになっても、仕事であるからとやるが、預けているんだから、金を払っているんだから、と押し付けないで。わたくしたちも人間です。これ程過酷な業務を、ひたすら堪えてしていても労いはない。当然と言う顔で。

 袖の下は要りません。こちらがやさしい態度で接しても、他人に変わりはありません。自分の親のように思っても、或いは心を砕いても、通じ合えない場合が多く、何度も悔しく辛い想いをします。人間として、性格も、環境も、様々なことが違うのですから、心は変わりませんね。

 魔女の箒、と言うので苗木を買う。寒さに弱いし、暑さにももろい。何時か、銀河やすばると宙を翔ぶ。


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