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悠山人の新古今

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和泉式部集105 忘れられ

2007-03-05 06:45:00 | 和泉式部集
2007-0305-yis105
忘れられ涙で濡れた革帯も
切れて縹の帯になったわ   悠山人

○和泉式部集、詠む。
○詞書は、「男に忘られて、装束(さうぞく)などつつみておくり侍りしに、かはの帯にむすびつけて」。
¶装束=古語辞典の見出しは「さうぞく」で、説明に「しゃうぞく」とも、とある。広辞苑では、古くは「さうぞく」とも、と。
¶かはの帯=<革帯。「装束」の際、袍(ほう。[綿入れ])につける帯。黒塗の牛革に玉や石をもってかざる。>
¶たへ、たえ=「たへ」の終止形は「た(堪)ふ」、「たえ」は「た(絶)ゆ」。
¶た(絶)えぬれば=「仲の絶えたことをかける。」(新潮版)
¶はなだ(縹)=依拠本では、「はなだ(藍)」と頭注表記する。<「縹色」の略。薄い藍色。…襲(かさね)の色目の名。表裏とも縹色。> 用例に源氏・絵合から「縹の唐の紙に包みて」(古語辞典) 広辞苑の用例では、催馬楽(さいばら)・石川から「縹の帯」。さらに、新潮版校注には同所(石川)からの歌謡が、こう載る。
  石川の 高麗人(こまうど)に 帯は取られて 辛(から)き悔(くい)する
  いかなる いかなる帯ぞ
  はなだの帯の 仲は絶えたる
源氏・花宴に、和泉と同じ催馬楽の引用があり、渋沢版注釈によると、こうである。
<【扇を取られてからきめを見る】-源氏の詞。『催馬楽』「石川」中の歌詞「帯を取られて辛き悔いする」の文句を「扇を取られて辛き目をみる」と言い換えたもの。『源氏釈』は「石川の 高麗人(こまうど)に 帯を取られて からき悔いする いかなる いかなる帯ぞ 縹(はなだ)の帯の 中はたいれるか かやるか あやるか 中はいれたるか」(催馬楽 石川)を指摘。
【あやしくもさま変へたる高麗人かな】-女房の詞。「高麗人」は『催馬楽』「石川」中の登場人物、それと知って、「帯」でなくて「扇」とは「あやしくも」と答えるが、なぜ「扇」なのか、この女房は事情を知らないので、こう言う。>
『源氏物語』には、ほかにも「縹帯」が重要な鍵となる場面もあるので、付記しておく。

□和105:なきながす なみだにたへで たえぬれば
      はなだのおびの ここちこそすれ
□悠105:わすれられ なみだでぬれた かわおびも
      きれてはなだの おびになったわ

俳句写真059 公園の

2007-03-05 06:40:00 | 俳句写真

2007-0305-yhs059
公園の
梅が香に酔ふ
昼下がり
   悠山人

○俳句写真、詠む。
○昨日の日曜日、芸術公園の駐車場は満杯。梅の大樹が十数本、まだまだ元気に咲き、二十度超?という気温もあって、香気に咽ぶという印象(私は、頭よりも嗅覚・聴覚に自信)。ミニ・ピアノ・コンサートの曲目は、バッハ(平均律)、ショパン(練習曲)、スカルラッティ(mez sop)、ベートーヴェン(ソナタ)など。(同じ会場にどなたか・・・?)
□俳写059 こうゑんの うめがかにゑふ ひるさがり
【写真】梅どころか、桜もかなり早くなりそう。
【memo】「律」と「率」:J.S.Bach の「平均律ピアノ(曲集)」は、ドイツ・ピアノ曲を演奏する者にとって、もっとも重要なものの一つである。この原稿を書く時に、MS(マイクロソフト)の漢字変換のままに、「平均率」としたけれど、ULしてから再考してみた。率?律? この場合は「律」だったな、と。電網検索したら、どちらも同じようにぞろぞろ出て来た。音楽(愛好)家の間でも、気楽に書くときには区別しないようだ。そこでこのさい、簡単に復習・整理しておく。(ドイツ語は現代表記、一部ウィキペディアを参照した)
バッハの「平均律…」の原語は「Das Wohltemperierte Klavier」(英語では The Well-Tempered Piano)で、平たく言うと「いい気分のピアノ」という意味である。半音間隔が同じ(実は「ほぼ同じ」)でも調子がいい旋律、という雰囲気から、日本では「平均律」と訳されたと推測される。これに対して20世紀になって、いわゆる現代音楽の音律として、急激に広まって来たのが、厳密な半音階、つまり隣り合う半音の周波数の比を、数学的に「2の12乗根」と調律する(gleich schwebende Temperatur)。敢えて区別すると、こちらを「平均率」という。現実には両方が仲良く通用しているから、素人でいる限りは、あまり気にすることではないのかも知れない。