悠山人の新古今

日本初→新古今集選、紫式部集全、和泉式部集全、各現代詠完了!
新領域→短歌写真&俳句写真!
日本初→源氏歌集全完了!

166 妻にさえ夜伽は

2006-02-28 07:45:00 | 新古今集

 題詞は「不邪婬(淫)戒」(ふじゃいんかい。不倫するな)。当時、僧侶の妻帯は、表向きは禁止されていた。のちに親鸞がこれを公然化させて、仏教界を震撼させたことは、よく知られている。男の僧侶への警告。
 男女の機微にわたる作品を、みそひと文字に映すのは、とりわけ難しい。現代詠で、「妻」「外」が重ねてあるのは、原作者の雰囲気の轍を踏んだつもりだが、気づかれたかどうか。
 なお現代詠は、170を終詠と決めたので、本集からの採歌間隔が短くなる。
 ひらかなy166:つまにさえ よとぎはこころと おもうのに
          ましてやほかの つまなどろんがい
 ひらかなs1964:さらぬだに おもきがうへに さよごろも
          わがつまならぬ つまなかさねそ
【略注】○さらぬだに重き=「そうでなくても(不倫は罪深い、罪が)重い(のに)」。
    ○小夜衣=「夜着。寝巻き」。女性はとくに、今とは比較にならないくら
    い、重ね着、厚着だった。だから重い。住宅構造も要因にある。
    ○わがつまならぬつま=「私の妻ではない妻(に褄を)」。「褄」は小夜衣
    の暗喩。前歌に続けて、「AなBそ」再出。
    ○寂然=悠 164(02月25日条)既出。

165 白波よ紛れて

2006-02-26 06:40:00 | 新古今集

 この前後、寂然の詠草が多い。題詞に「不偸盗戒」(ふちゅうとうかい。盗むなかれ。)とある。自然現象に見せて、実は犯罪防止を訴えた巧みさに、感応させられる。
 ひらかなy165:しらなみよ まぎれてとるな うきくさの
          いそにかくれた ひとはなりとも
 ひらかなs1963:うきくさの ひとはなりとも いそがくれ
          おもひなかけそ おきつしらなみ
【略注】○磯隠れ=「磯に隠れて」。終止形「磯隠る(いそがくる)」という動詞
    の、れっきとした連用形である。活用については複雑なので、古語辞
    典で確認されたし。次項も同じ。
    ○思ひなかけそ=「思って(考えて)くれるなよ」。「AなBそ」は万葉以
    来、禁止の標準形のひとつ。古語辞典には、「思ひ懸く」の第一の意
    味として、「心にかける。また、恋い慕う。懸想する」が載る(旺文社版)。
    ○白波(しらなみ)=文字通りの「白い泡の波」の裏に、『後漢書』由来
    の「白波(はくは)賊」(白波谷にこもった盗賊集団)を掛ける。(小学版)
    ○寂然=悠 164(02月25日条)既出。


164 吹く風に花

2006-02-25 02:50:00 | 新古今集

 原作者は、詞書の栴檀を花橘に代えた。現代詠は、抹香臭を橘花薫香(きっかくんこう)に代えてみた。
 ひらかなy164:ふくかぜに はなたちばなが においきて
          むかしのあなたを おもいださせる
 ひらかなs1954:ふくかぜに はなたちばなや にほふらん
          むかしおぼゆる けふのにはかな
【略注】○昔覚ゆる=「昔のことを思い出す、覚えている。」(remember)
    ○今日の庭=「今日の法(のり)の庭」(小学版)。補説参照。
    ○寂然(じゃくねん)=藤原頼業から出家。為忠の子。14首、ほぼ釈教歌。
【補説】栴檀香風、悦可衆心。(せんだんのこうふう、しゅしんをえっかす) 「法華経」からの引用が、この題詞となっている。あるとき釈迦が大衆(だいしゅ。修行僧)を集めて説法しようとしたら、さあっと橘の花のいい香りが吹きおこって、わあっと歓声があがった。遅れて来た弟子の弥勒が、どうしたのと文殊に聞くと、その昔灯明仏(という仏の化身)が法華経説法をしようとしたときも、同じようなこと(瑞相)が起こったんだよ、と答えた。この伝承を背景として、寂然の仮託歌が生まれた。

163 何もない空と

2006-02-23 05:00:00 | 新古今集

 ここには慈円本来の姿勢があって、ほっとする。大声で泣く姿は似合わない。
 ひらかなy163:なにもない そらとみえても ねんじれば
          ふじもはなさき くももむらさき
 ひらかなs1945:おしなべて むなしきそらと 思ひしに
          ふぢさきぬれば むらさきのくも
【略注】○むなしき空(空しき空)=「何もない空」。「空し」は、現代語のような
    感情を含まない。empty, i.e. vast, sky。
    ○藤咲きぬれば紫の雲=「藤が咲けば、紫の雲(が出る)」という因果
    関係が、文字通りの意味だが、高僧である作者が経典を読んで感じた
    作品なので、「藤」は観音経、「紫の雲」は阿弥陀来迎(らいごう)を暗示
    する。現代詠では因果現象を並列に変えた。補説参照。
    ○慈円=悠 002(06月29日条)既出。
【補説】藤の花と紫の雲。たとえば『方丈記』に、春は藤波、紫雲の如し、『徒
    然草』に、夕暮れ時の藤花は紫雲のよう、『枕草子』冒頭に、春は曙、
    山際に紫の雲、などなど、わが先人たちは、当然のようにこれらを結び
    つけていた。
     和歌の世界でも、「紫の雲にぞまがふ藤の花/(略)」(慈円)、「西を
    待つ心に藤をかけてこそ/その紫の雲を思はめ」(西行。西とは言うま
    でもなく西方浄土)、「藤の花それとも見えず紫の/雲はいかでか空に
    立つらん」(大江房)、「しづかなる庵にかかる藤の花/待ちつる雲の
    色かとぞ見る」(式子)など、調べればいくらでも出て来る。
     つまり、死期が迫ると西の空に紫の雲が現われて、その雲に乗って阿
    弥陀が極楽浄土へ導いてくれる、というのである。科学が高度に発達して
    いる現代でさえ、宗教に拠り所を求める人が絶えないのだから、仏教が
    当時の知識人たちの精神構造の中枢を占めていたことは、想像に難くな
    い。間もなく浄土信仰の全盛時代になる。


短歌写真0110 如月に

2006-02-22 07:00:00 | 短歌写真

2006-0222-yts0110
如月に代はりて春の疾く来よと
つらね飾りし雛の時めき   悠山人

○短歌写真、詠む。
○女の祭り、雛の吊るし飾りが各地で盛ん。人たるもの、あまねく「おみな、をみな、おんな、をんな、おうな、をうな、をむな」(いずれも古語。用法に注意)により生を享けたれば、ゆめゆめ疎かにすべからず。そのかみ天武いわく、「諸氏(もろもろのうぢ)、女を貢(たてまつ)れ」と。
¶時(とき)めく=いま盛りである。Be in high time。
□短写110 きさらぎに かはりてはるの とくこよと
        つらねかざりし ひなのときめき
【写真】同前、大仁町で撮影。


162 色にだけ心が

2006-02-21 06:00:00 | 新古今集

 釈教の歌を女性はどう詠んだか。作者明記のなかでは、まず肥後(肥後守藤原定成の娘)が、目に浮かぶような作品を残している。「あふち」(樗)は栴檀。
   1930 紫の雲の林を見わたせば
       法にあふちの花咲きにけり    肥後
 二人目が小侍従。宮廷女性の仏教理解が、男性に一歩も退かないことが、よく分かる一首である。詞書に「心経の心をよめる」と。
 ひらかなy162:いろにだけ こころがそまる むなしさを
          しってはれやか はんにゃしんぎょう
 ひらかなs1937:いろにのみ そめしこころの くやしきを
          むなしととける のりのうれしさ
【略注】○色=この世の全ての事象。古来のやまとことば(color)に、中国
    仏教の影響を受けた意味(phenomena)が、掛けられている。以下、
    『般若心経』のなかで最も有名な「色即是空」を詠う。
    ○法(のり)=仏法。
    ○小侍従=悠 022 (07月23日条)既出。

161 極楽に生まれて

2006-02-20 06:00:00 | 新古今集

 浄土思想を確立した高僧の、衆生救済(一人でも多くを救う)の考えが、躍如としている一首。
 ひらかなy161:ごくらくに うまれていたら いまごろは
          どんなひとでも むかえているよ
 ひらかなs1926:われだにも まづごくらくに うまれなば
          しるもしらぬも みなむかへてん
【略注】○われだにも=(他の人はともかく)私だけでも(極楽往生の手助けをする
    んだが)。
    ○迎へてん=「迎へん」(迎えよう)に、強意助動詞完了形「つ」の未然形
    「て」をはさんで、強める。
    ○源信(げんしん)=卜部(うらべ)から出家。恵心僧都(えしんそうず)も通用。
    後世にもっとも影響を与えたのは、浄土教(浄土宗)の基礎を確立したこと。浄
    土宗・浄土真宗の開祖、法然・親鸞などは、彼らに先立つ源信が『往生要集』
    ですでに、事実上密教から離れ、衆生救済・専修念仏を確立していた。
☆『芸術新潮』2006年02月号は、「ひらかな」大特集(イチオシ)。立ち読みででも!