2006-1130-yis030
恋人をひたすら思うだけなのに
心地悪さはなぜなのかしら? 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○第三十歌以後は、とくに部立てはない。初めての長い詞書。「親の心よからずおもひけるころ、いはほのなかにもといふうたを、句のかみごとにすゑて、うたをよみて、母のがりつかはしける」。新潮版に、<『正集』の詞書から、和泉式部が帥宮[そちのみや]のもとに走って[橘]道貞と不縁になった頃のことをさすかとされている。> 記憶をいくらたどってみても、恋しい人のことを悪く言ったことなど、全くないはず。それなのに、どうもこのごろ、その報いであるかのようなことばかり。心地悪いこと、この上なし、という感じだわ。
¶もど(牴牾)き=終止形は「牴牾く」。「①まねる。似せる。②非難する。批判する。」(旺文版「古語辞典」) 抵牾く。「牴(てい)」は、「牛どうしが角をつきあわせる。」 「牾(ご)」は、「さからう。もとる。」(学研版『漢字源』) 「牴牾(ていご)」の熟語も載る。
□和030:いにしへや ものおもふ人を もどきけん
むくいばかりの ここちこそすれ
□悠030:こいびとを ひたすらおもう だけなのに
ここちわるさは なぜなのかしら?
大文字を
借りて永観
緋のもみぢ 悠山人
○俳句写真、詠む。
○何回か訪れている、京都・永観堂。この時期の紅葉は、大文字山の松を借景に、文字どおり燃えている。
□俳写029 だいもんじを かりてえいくゎん ひのもみぢ
【写真】借用(URL付)。4年前、中旬とか。
2006-1129-yis029
こんなとき親から知恵を借りたいと
悩む私に気付いてくれない 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○ああ、こんなときに、父か母か身近にいたらなあ。こんなに悩んで、時の過ぎるのを徒(いたずら)に待つだけ、などということは、ないでしょうに。そのことを、同僚のだれも気が付いてくれないの。実際には、親との複雑な葛藤があった。
¶たらちね(垂乳根)=本来は母親だが、ここでは依拠本に従って、両親。
¶いさ(諌)めしもの=現代語と同じく、「忠告・意見をすること」。
□和029:たらちねの いさめしものを つくづくと
ながむるをだに しるひともなし
□悠029:こんなとき おやからちえを かりたいと
なやむわたしに きづいてくれない
夏の日のあくまで青き大海の
神に曳かれし遠きおもひでよ 悠山人
○短歌写真、詠む。
○遠浅と思っていたら、陸棚の縁で急に深くなって・・・。神はポセイドン。
□短写261 なつのひの あくまであをき おほうみの
かみにひかれし とほきおもひでよ
【写真】借用写真(複数)をかなり加工した。
晩秋に
忘れられたる
躑躅花 悠山人
○俳句写真、詠む。
○地球の温暖化は、依然として遅滞する気配がない。
□俳写028 ばんしうに わすれられたる つつじばな
【写真】先日、博物館で。職員が敷地内で集めたどんぐりを、三時間以上かけて、これまた手作りの縄文土器で茹で上げ、クッキーに仕上げてから、私たち二人に分けてくれた。数千年前の時間が、ゆっくりと流れた。味も上上。
2006-1128-yis028
川になり流れる私の涙でも
恋の炎は消せやしないわ 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○悲しくて、流れる涙は川のよう。その同じ私の体なのに、燃える恋の炎は、消すことが出来ないわ。恋の涙も、恋の炎も、ああ、どんなにか・・・。
¶なみだがは(涙川)=<歌語。流れる涙を形容するときに用いる。>
¶こひ=<「恋(こひ)」に「火」[ひ]をかける。>(2語、古語辞典)
¶消(け)たぬ=「消す」とは別に「消つ」がある。
□和028:なみだがは おなじみよりは ながるれど
こひをばけたぬ ものにぞありける
□悠028:かわになり ながれるわたしの なみだでも
こいのほのおは けせやしないわ
紅の花にしあらば暮に咲き
さぶき胸にぞあかく燃ゆるも 悠山人
○短歌写真、詠む。
○poinsettia。ポインセッティア。猩猩木(しょうじょうぼく)。通称ポインセチア、クリスマス・ツリー。慣例によって、葉を花に見立てた。「あらば」「さぶき」「も」など、万葉集に学ぶ。
¶さぶ(寂)し=「気持ちがふさいで楽しめない。さびしい。」(古語辞典) 「寒(さむ)し」とは別語だが、連想させる。
□短写260 くれなゐの はなにしあらば くれにさき
さぶきむねにぞ あかくもゆるも
【写真】今月上旬の撮影。
2006-1127-yis027
黒髪が乱れるままに泣き伏して
解かしてくれた人を思うの 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○私の大切な長い黒髪。そう、この髪をやさしく梳かしてくれたあの方。もう私から離れてしまったのね。思いっ切り畳に俯伏せになったまま、泣いてしまったわ。鏡を見る気力もないけれど、ひどい乱れかたでしょうね。ああ、切ない、恋しい・・・。新潮版は「和泉式部恋愛歌中の絶唱。」とまで評。この作品に初めて接したとき、私は作者の激しさに、多少の誇張も交えれば、戦いた。忘失したのかも知れないが、晶子の「みだれ髪」はここからか。(若き晶子は長い黒髪を誇っていた。)
¶か(掻)きや(遣)りし人=初恋の人? 橘道貞? 新潮版注は両者とも「とらない」とし、そのかわり定家の歌(新古今)を紹介する。
かきやりしその黒髪のすぢごとに
うちふすほどは面影ぞたつ
ただ、私は先に紹介した(「定家葛」条)ようなわけで、依拠本にも与しない。
□和027:くろかみの みだれもしらず うちふせば
まづかきやりし ひとぞこひしき
□悠027:くろかみが みだれるままに なきふして
とかしてくれた ひとをおもうの
散る前に
あかくかがよふ
葉の姉妹 悠山人
○俳句写真、詠む。
○姉妹=四枚。仕舞(しまひ)も連想。
□俳写027 ちるまへに あかくかがよふ はのしまい
【写真】実写の位置関係を変えずに、主役四枚を濃彩、脇役を淡彩にした。同前。
2006-1126-yis026
お姿を求めてばかり山の端に
ちらりと見えるお月さまかと 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○「恋」。ああ、どんなにあの方が恋しいことか。もう、どうしようもないくらいなの。それはちょうど、雲間に隠れていた月が、山の端に出入りするときに、ちらりとでも見たいという、あの心境なのよ。ひと目なりとも、何とかならないものか。この題詞も初見なら、初句七語の破調も、初見。千年のときを経た偉大な歌人に、こうした方が、とか、誤りですよ、などと言える現代人は、一人もいない。
¶月とだに見ば=(出入りする)月を見るのと同じように、(お姿を)拝見出来さえすれば。
□和026:さもあらばあれ くもゐながらも やまのはに
いでいるよはの つきとだにみば
□悠026:おすがたを もとめてばかり やまのはに
ちらりとみえる おつきさまかと