2007-0930-yts465
この海はこの月はしもかの月へ
エーゲの海へ繋ぎゐるべし 悠山人
○短歌写真、詠む。
〇月の出がだいぶ遅くなり、上から急いで欠けて来るようになった。耿耿とした月は、ワーズワースを、ソフォクレスを、そしてエーゲを思い出させる。「この」「かの」の対比、「海」「月」の鏡配置に注目。結句にはいくつか変奏が考えられる。
□短写465 このうみは このつきはしも かのつきへ
エーゲのうみへ つなぎゐるべし
【写真】自作の月(旧作)に、借用の海岸を使い、さらに発色を変換してある。長月も終わり、あしたからは神無月。
2007-0929-yhs157
長命と
強寿ときくや
松葉菊 悠山人
○俳句写真、詠む。
○松葉菊(まつばぎく)。Lampranthus spectabilis(ランプラントゥス・スペクタビリス)。菊とは無関係。「きく」が「聞く」「菊」の掛言葉。
□俳写157 ちゃうめいと きゃうじゅときくや まつばぎく
【写真】風林火山の旅で、善光寺に咲く。
2007-0928-yts464
ふりし日の才芸あふるる紫の
式部の花はいま盛りなり 悠山人
○短歌写真、詠む。
〇訪れた庭には、花ではないけれど、一面に紫式部が咲き乱れていた。「あふるる」に、「咲き溢る」「才芸溢る」を掛ける。「才気」は、『古語辞典』にはない。
□短写464 ふりしひの さいげいあふるる むらさきの
しきぶのはなは いまさかりなり
【写真】先日、車であまり遠くない、バルコニー公園で。
2007-0927-yim407
title : Birnam forest
yyyy/mm : 2007/09
memo : 第四四半期が迫ってきた、NHKの『風林火山』。あの冒頭の「其疾如風、云云」を聞くと、必ず思い出す名句がある。
I will not be afraid of death and bane,
Till Birnam forest come to Dunsinane.
Macbeth, Act 5
先日の英国の随筆家 Duward もこれを扱っていたが(Aug 15, 2007)、マクベス人気は少しも衰えない。現代では Burnham、Wood などとも。
【写真】前と同じ。
2007-0926-yts463
地にありてあふぐ空には飛行機の
伸びらかに飛ぶ羨ましかな 悠山人
○短歌写真、詠む。
〇空を見れば、悠然と単発機が飛ぶ。
¶伸(の)びらか=「(2)のんびりとしたさま。」(『古語辞典』) 伸び伸びと。
□短写463 ちにありて あふぐそらには ひかうきの
のびらかにとぶ うらやましかな
【写真】同じ公園で。
【memo】(後記)NHKアナウンサーも知らないまま紹介した、「輪島段駄羅(わじまだんだら)」というのを、朝聞いた。五七七五の、四句二十四字で、中二句を掛けるとか。こういう俗謡で、まだ知られていないものが、いろいろとありそう。
2007-0923-yts462
人ありてさまなるべきをあらざれば
芝公園も寂しかるらん 悠山人
○短歌写真、詠む。
〇連休だというのに、人影も絶えて、lonely lawn 。
□短写462 ひとありて さまなるべきを あらざれば
しばこうゑんも さびしかるらん
【写真】正面に富士山の見える公園で、きのう。
人の世をあきたるにやと問はるれど
ただ面伏せてなすのみしなり 悠山人
○短歌写真、詠む。
〇秋茄子という言葉が交わされる季節。茄子は、花も実も控えめで、俯いて咲き実る。
¶あき=「飽き(る)」「秋」と掛ける。
¶なす=「成(な)す」「茄子(なす))と掛ける。
□短写461 ひとのよを あきたるにやと とはるれど
ただおもふせて なすのみしなり
【写真】朝顔に同じ。
【to the readers】(23日記) きのうの出題、「掛詞二個所は?」への解答、ありがとうございました。現代歌壇では、口語歌・文語歌を問わず、掛詞は全く考慮されていません。私は、古今・新古今・和泉式部・紫式部などから、掛詞の駆使は和歌・短歌の基礎基本と考え、巧拙を問わず自己修練の一つとしています。この点についても、気軽に email 下さい。
朝顔も
猛暑続きに
疲れ顔 悠山人
○俳句写真、詠む。
○いつまでも続く猛暑に、朝顔も元気がない。
□俳写155 あさがほも まうしょつづきに つかれがほ
【写真】きのう、自宅。