悠山人の新古今

日本初→新古今集選、紫式部集全、和泉式部集全、各現代詠完了!
新領域→短歌写真&俳句写真!
日本初→源氏歌集全完了!

短歌時詠012 激しくも

2007-04-30 00:15:00 | 短歌時詠

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激しくも求め続けしあつき道
情残しついづみにぞ消ゆ   悠山人

○短歌、時に詠む。
○「あつき道」は「厚き道」「敦道」、「いづみ」は「泉」「和泉(式部)}。
□時詠012 はげしくも もとめつづけし あつきみち
        こころのこしつ いづみにぞきゆ


和泉式部集150 「あなたへの

2007-04-30 00:10:00 | 和泉式部集

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「あなたへの思いは斎垣も越えそうだ」
「まだ御幣にはなりたくないわ」   悠山人

○和泉式部集、詠む。
○『和泉式部集』最終、第150歌。詞書は、「また同じやしろにて」。
¶斎垣(いがき)=『古語辞典』見出し語は、<いがき[斎垣・忌垣]>。続けて<「い」は神聖なの意の接頭語。・・・神社の周囲にめぐらした垣。>
¶みてぐら(幣)=<古くは清音。「御手座」の意。神に奉る物の総称。ぬさ。御幣。幣帛。>(『広辞苑』) cf. 「第075歌 旅をする」(2007年01月25日)。

□和150:ちはやぶる かみのいがきも こえぬべし
      みてぐらどもに いかでなるらん
□悠150:「あなたへの おもいはいがきも こえそうだ」
      「まだごへいには なりたくないわ」
【memo】to the eager readers: 野村精一・校注、新潮日本古典集成版『和泉式部集』、全百五十歌、終わりました。開詠、2006年11月01日、閉詠、2007年04月30日。和泉式部に限れば半年間、熱心に読んで下さった皆さん、ありがとう。さらに、『紫式部集』は、2006年03月10日から、同年10月25日まで。もうひとつ遡れば、『新古今集』は、2005年06月28日から、翌年03月06日まで。最初からすべて読破、などという奇特な方は、まさかいないでしょうが、それにしても、ただ単に趣味程度の(goo の評価では、「ギャンブル」のひとつ上程度の)、素人・悠山人の古典和歌鑑賞に付き合っていただいた、熱心な読者に、もう一度、心から感謝申し上げます。
当初の目標、古典和歌・短歌への、若い方方の関心が、少しでも高まったでしょうか・・・「おれにも、あたしなら」という意識として。としたら、とても幸せです。
しばらくは、古典短歌は、『源氏物語歌集』(別ブログ)だけに専念します。


俳句写真095 大いなる

2007-04-30 00:00:00 | 俳句写真
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大いなる
欅いやはる
空高し
   悠山人

○俳句写真、詠む。
○欅が自由に、のびのびと樹形を広げている景観
。私の大好きな樹のひとつ。譬えようのない、生命の力強さが、迫って来る。「張る」と「春」を懸ける。
□俳写095 おほいなる けやきいやはる そらたかし
【写真】植物見本園で。

和泉式部集149 「かみさまを

2007-04-29 04:30:00 | 和泉式部集

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「かみさまを足に巻くとはけしからん」
「だってこちらはしもの社よ」   悠山人

○和泉式部集、詠む。
○和泉集もあと二首で終結。最後の二首は、「俳諧の連歌」と、頭注。この、「掛合い」形式は、洒落・諧謔問答とも言えるもので、全く初めての登場である。依拠本元歌には、上(五・七・五)と下(七・七)の間に、何れも「と申したりしを」が入る。悠山人詠ではこれを落とし、代わりに両者に鍵括弧を付けた。
まずは第149歌の詞書。「賀茂に参りたりしに、わらうづに足をくはれて、紙を巻きたりしを、なにちかやらん」。下賀茂神社へ参詣した折り、藁沓(高級草鞋)のせいで転び、(多少の出血を止めようと)足に紙を巻いた。それを見咎めた、通りがかりの「何親(近)」さま。
¶わらうづ(藁沓)=「わらで編んだくつ。」(『古語辞典』)。現代音[ワローズ]。
¶なに(何)ちか(親、近)=<『金葉集』によれば、「神主忠頼」。>(新潮版)
¶ちはやぶ(千早振)る=古来の「荒荒しい、猛猛しい」から、のちに「神」の枕詞。
¶かみ=「神」に「紙」。さらに、男の「かみ」を、女は「上(賀茂社)」にすり替える。「足」は「足下」で、「下(しも)」の縁語。
¶しも(下)のやしろ(社)=頭注にしたがい、下賀茂神社。このあたりの、「掛け」と「受け」は、関西風の「ぼけ」と「突っ込み」の、遠い元祖?

□和149:ちはやぶる かみをばあしに まくものか
      これをぞしもの やしろとはいふ
□悠149:「かみさまを あしにまくとは けしからん」
      「だってこちらは しものやしろよ」


短歌写真335 芍薬と

2007-04-29 04:25:00 | 短歌写真

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芍薬と思へば八重の遅咲きの
忘れられたる欝金香かな   悠山人

○短歌写真、詠む。
○八重遅咲き、DL(double-late)、と言われるチューリップ。昨年は、Angelique(日本では訛って、「アンジェリケ」が流通)と紹介した。「ピオニー咲き」(peony flower)とも聞く

□短写335 しゃくやくと おもへばやへの おそざきの
        わすれられたる うこんかうかな
【写真】堀り忘れの球根が、いくつか咲いている。左上は、解像度比較のため、オリジナル・サイズ画像(面積比約25倍)の一部。昼どきの自然光。自宅で。


image324 紫蘭2

2007-04-29 04:15:00 | images
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title : Bretiia striata2
yyyy/mm : 2007/04
memo : 紫蘭。毎年株が増えている。記事も、いつの間にか、増えた。cf.ブログ内検索(以下)。
  短歌写真325 かなしきと (2007年04月14日)
  短歌写真168 元から   (2006年06月19日)
  image103 紫蘭1       (2006年05月26日)
  紫式部集038 風に散る  (2006年05月14日)
  短歌写真145 紫に     (2006年05月05日)
【写真】自宅築山の手前に、今を盛りと咲き誇る。

和泉式部集148 地獄絵に

2007-04-28 00:15:00 | 和泉式部集

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地獄絵に剣に刺される人の群れ
この世でどんな悪をしたのか   悠山人

○和泉式部集、詠む。
○詞書は、「地獄絵に、つるぎの枝に人のつらぬかれたるを見て」。平安期に着床した浄土思想が、やがて鎌倉期に結実することは、以前略述したとおりである。平安王朝貴族のあいだでは、儒易神仏、すでに教養・常識として流布していた。
¶地獄絵=<『往生要集』に見える衆合地獄の刀葉林などの地獄絵をさすか。ここは邪淫にふけったものの堕ちる地獄である。>(新潮版)
¶みのなる=<「身の成る」に、「枝」「たわむ」の縁語「果(み)の生る」をかけた。「果」は因果の意をかける。」>(同)

□和148:あさましや つるぎのえだの たわむまで
      こはなにのみの なるにかあるらん
□悠148:じごくえに けんにさされる ひとのむれ
      このよでどんな あくをしたのか


俳句写真093 春のまつ

2007-04-28 00:10:00 | 俳句写真

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春のまつ
命をつぎて
展げたり
   悠山人

○俳句写真、詠む。
○「まつ」は「待つ」「松」、「つぎ」は「継ぎ」「次ぎ」、と読み取れるか
。是として、英語俳句に移せるか。かなり考えても、不可能だった。バベルの塔に、思いは遡る。
□俳写093 はるのまつ いのちをつぎて ひろげたり
【写真】猫額菜園の隅なので、手を入れていない。