悠山人の新古今

日本初→新古今集選、紫式部集全、和泉式部集全、各現代詠完了!
新領域→短歌写真&俳句写真!
日本初→源氏歌集全完了!

070 幼子を偲ぶ

2005-09-30 04:05:00 | 新古今集

 詞書に、「秋のころ、をさなき子に後れたる人に」とあって、幼い子を亡くした人への慰めの歌である。幼児の詠い込みは初。
【略注】○別れけんなごりの=(幼いわが子を)亡くして、悲しい涙が残っている。
    ○置きや添ふらん=(顔の涙に)置き添えるかのような。
    ○藤原賢子(けんし)=山城守宣孝と紫式部の娘。大弐三位が通用。

短歌写真2005-0930 涼秋の

2005-09-30 04:00:00 | 短歌写真

 尾瀬の至仏山(2228m、写真右)。一昨年のこのころの撮影。夜のうちの下界の雨が、朝の至仏では初雪になっていた。遥かな尾瀬は、銀座並み。でもそれは夏のこと。ちょっと時期をはずすと、かなり快適だ。
 読み:薄衣=うすぎぬ。

069 お互いの妻は

2005-09-29 06:05:00 | 新古今集

 詞書に、同じころ妻を失った藤原実資(小野宮右大臣)が、作者に「遣はし」た歌への「返し」とある。古事記以来、黄泉(よみ)の国へは地下道を通ることになっているが、「空の旅」と明言するのは珍しいのではないか。前に挙げた、野辺送りの煙からの連想と思われる。いずれにしても、この巻のどの歌からも哀切の情が、時空を超えてひしひしと伝わってくる。
 現代詠の「みんな」は、残された男二人と空の女二人のつもり。

【略注】○ひとりにもあらぬ=(悲しいのは)あなた一人だけではない。
    ○なき人=(「たち」を補って)亡くなった妻たち。
    ○藤原為頼=雅正の子。弟為時の娘は紫式部。この一首だけ。

短歌写真2005-0929 温泉は

2005-09-29 05:55:00 | 短歌写真

 下部温泉は武田信玄の隠し湯として有名である。その、とある宿へ入ると、壁のあちこちに短歌の短冊が掲げられている。案内された部屋には「月読」の標札。もしやと思ったら、やはり床の間に「月読み」の条幅が薄暗く見える(写真右上、落款不読)。聞いてみると、女将が高校時代は文学少女だったそうで、何年か前から万葉の会へ通っている。ほかの部屋も同じように、万葉ゆかりにしてある、という。鄙には希なりと驚いた次第。帰宅後、写真を見ながら、解読してみた。
   (活字写し)  月読の光爾記満せ足引の
            山来へ奈里弖遠から那くに  [湯原王]
   (平仮名読み)つきよみのひかりにきませあしひきの
            やまきへなりてとほからなくに
 万葉仮名・万葉文法・万葉植物などなど、万葉集は、いちだんと難しい。
* 夕方のNHK-TVで、富士山頂に初雪との映像が全国ニュースに出た。


068 見るほどに君の

2005-09-28 02:05:00 | 新古今集

 忙しい忙しいが合言葉の現代社会では、愛する人・親しい人の亡失に、ゆっくりと時間をかけて対処することが、なかなか難しい。
 現代詠は、「見」「く」をリフレインして、深見草はそのまま生かした。
【略注】○形見=ここでは、これも長い詞書から、故人(藤原基実)の愛した牡丹。
    ○ふかみ草=深見草。「嘆き」の「深み」に掛ける。牡丹の別称。牡丹にはさらに、
    二十日草・名取草・山橘などの名もある。日本(やまと)は古来、言霊・言の葉の
    国の感、深し。
    ○なに=どうして。not  <what?>,  but  <why?>。
    ○なかなかのにほひ=見ると、かえって悲しみが増して、辛い美しさ。「にほひ」は、
    ここでは、「色の美しさ」。not only colors, but also looks。
    ○藤原重実=顕輔の子。本名は光輔。
* 無名の、お気楽人間が、ある日とつぜん始めた「新古今現代詠」。きょうで、ぴったり
 三か月。無休記録更新中。うっそ~、ほんと~!?というのが本音だ。知の海はまさに果
 てがない。されど、余人のためならざる邁進あるのみ。・・・ま、そう肩肘はらずに行こう
 か♪
** 「電脳短歌イエローページ」への登録を確認した。広島忌に依頼しておいたもの。
 数百のHPと歌人の名が並んでいる。
    http://www.sweetswan.com/yp/


067 楽しみに桜を

2005-09-27 03:15:00 | 新古今集

 知人が桜を植えて間もなくの四月に亡くなり、その翌年初めて開花した、と長い詞書がある。
【略注】○去年=読みは「こぞ」。現代も短歌・俳句で頻用。
    ○大江嘉言(よしさと)=大隈守仲宣の子。

短歌写真2005-0927 珍しき

2005-09-27 03:10:00 | 短歌写真

 コンサート・ピアノは長い間、ヨーロッパ(オーストリア)のベーゼンドルファー(B)か、アメリカのスタインウェイ(S)かと、言われてきた。ところが第二次大戦後、敗戦国のヤマハ(Y)が目覚しい成長を遂げて、今日まで来た。TVなどでピアノ名を見ていると、SとYはしばしば目にするが、Bにはなかなかお目にかからない。
 ちょうど一年前、ふとしたことで隣町(今は市)のホールでBのお披露目があった。Bの解説とミニ・コンサートで、聴衆はほぼピアノ演奏の関係者ばかり。詳細は省略するとして、一般に流布していた(私もそう思っていた)明音のS、暗音のBという印象は、この日、完全に消えた。
 Boesendorfer 280。88鍵の最上級。鍵数だけはわがYと同じ。その上の 290 は97鍵。写真は、終了後に舞台で撮影。ストロボなし。レタッチなし。この質感は予想以上の出来。
 読み:訪ひ=とい。酔ひ=えい。

066 あれほどにもて

2005-09-26 03:05:00 | 新古今集

 「絶世の美女」と今に伝えられる女性。その彼女にも、先にも述べたような、容赦のない冥府の使者が近づく。
 巻第八哀傷歌(あいしょうのうた)は、0757から0856まで。平仮名現代詠は初の試み。
【略注】○浅緑=霞の色とされる。春霞も月夜の霞も、そしてここでは荼毘(だび)の霞も
    浅緑色に描写される。
    ○野べの霞=霞のように広がる野辺送りの煙。岩波版には「昇霞」の語の引用が
    ある。
    ○小野小町=生没年・閲歴ともに不詳。平安前期の歌人。小野良真(または良実)
    の娘、小野篁(たかむら)の娘(または孫)など、出自も諸説。「絶世の美女で歌才に
    も恵まれていた。」(日本図書センター版『日本女性人名辞典』) 詠歌は、当時の超
    一流貴族たちとの恋歌の贈答を中心に、約200首が残る。謎に包まれた「恋の歌人
    (うたびと)」。
【補説】哀傷歌。「『万葉集』の挽歌(ばんか)にあたり、人の死を悲しみ嘆く歌をいう。〈哀傷
    歌〉という言葉は、『万葉集』にも見え」る。「勅撰和歌集の部立用語としては『古今集』
    の巻第十六に配されたのが最初。」(小学版)


短歌写真2005-0926 幼子は

2005-09-26 03:00:00 | 短歌写真

 庭の桜草。ようやく寂しくなっては来たものの、花期は長い。仲良しの幼稚園児が遊びに来て、帰りぎわに、ふっとこの花一輪を手折り取って、「プレゼント」と、私にくれた。その優しい心根に胸が熱くなった。
 この写真がそれ。大切な一輪が萎れないうちに、接写してPC処理し、永久保存とした。