悠山人の新古今

日本初→新古今集選、紫式部集全、和泉式部集全、各現代詠完了!
新領域→短歌写真&俳句写真!
日本初→源氏歌集全完了!

170 煩悩の闇が

2006-03-06 07:00:00 | 新古今集

 『新古今和歌集』全二十巻の掉尾(ちょうび)を飾る。吉野の立春に始まって、西行の西行きの歌で終わらせる、という趣向。
 ひらかなy170:ぼんのうの やみがすっかり はれたから
          こころのつきが にしへむいたよ
 ひらかなs1979:やみはれて こころのそらに すむつきは
          にしのやまべや ちかくなるらん
【略注】○闇=「煩悩という(心の中の)暗闇」。
    ○西の山べ=「(月が今入ろうとする)西の山のあたり」。この世に生き
    る悩み・苦しみがすっかりなくなって、月に照らされた心の中も明るくなっ
    た。その清らかな心で、安心して西(極楽浄土)へ行けそうだ。
    ○西行=悠 006 (07月04日条)既出。
読者の皆さまへ☆去年の六月の終わりに、とつぜんの啓示?発心?から読み
 始めた『新古今和歌集』約二千首、ようやく終わりを迎えました。その中から、勝
 手気侭に170首を選んで、現代詠としました。多くの皆さまの叱咤激励を、いま
 走馬灯のように、思い返しています。皆勤でした。諸家各書(既掲)にはお世話に
 なりましたが、とりわけ小学館版は私の依拠本とさせていただきました。
 ご参考までに、月間平均 4000pv、1500ip 前後でした。(goo おすすめブログに
 選ばれたときは、異常に多かったので、除いて)
 多少余韻をアップロードしたあと、別の作品へ手を伸ばそうと思っています。(ト
 ップ・ページの「看板」参照)
 上覧多謝。  悠山人敬白 
「新古今現代詠」の終了で、明日以後はコメント・TBとも閉鎖となります。

 


169 西山の夕陽

2006-03-04 06:35:00 | 新古今集

 今日は涅槃会。相模の贈歌への返歌。お互いにそろそろ、と考えて、切なさを詠い合う。現代詠者も仲間入りの心境。
 ひらかなy169:にしやまの ゆうひながめる きょうはまた
          いつにもまして なみだあふれる
 ひらかなs1975:けふはいとど なみだにくれぬ にしのやま
          おもひいりひの かげをながめて
【略注】○西の山=「西の山(に日が入る)」(西方浄土へ行く)。
    ○思ひ入り=「(西へ行くという)思いでいっぱいになって」。掛詞・縁語が
    幾重にも絡まっている。
    ○伊勢=悠 065(09月24日条)既出。
「新古今現代詠」の終了で、以後はコメント・TBとも終了となります。

168 夢うつつ現が

2006-03-03 05:00:00 | 新古今集

 題詞に、『維摩経』(ゆいまぎょう)の「此身如夢」(ししんにょむ)を詠うと。これを読んで、すぐに連想したのは、古代中国の荘周の「胡蝶の夢」である。(胡蝶蘭の胡蝶) どこかで繋がっているのかどうか、まだ調べてはいない。
 ひらかなy168:ゆめうつつ うつつがゆめと わからずに
          めざめはどんな よのなかかしら
 ひらかなs1973:ゆめやゆめ うつつやゆめと わかぬかな
          いかなるよにか さめんとすらん
【略注】○夢や夢うつつや夢と=「夢が夢そのものなのか、それとも現実が夢
    なのかと」(は、分からないものだ)。
    ○覚めんとすらん=「目覚めるというのだろうか。」
    ○赤染衛門=悠 078(10月10日条)既出。


167 今はまだ逢う

2006-03-02 02:00:00 | 新古今集

 信心深い皇族で、『発心和歌集』に収められている一首。小学版に「観世音菩薩に対する恋情に通じる」とあるところから、現代詠は恋情を独立させてみた。
 ひらかなy167:いまはまだ あうときところが わからない
          でもみぎれいに なるまでまって?
 ひらかなs1971:あふことを いづくにてとか ちぎるべき
          うきみのゆかん かたをしらねば
【略注】○逢ふ=「(観音に)逢う」。    
    ○憂き身=「ここでは、悪業を重ねている身。」(小学版) 題詞から類推。
    ○選子(せんし)=村上天皇の十女。この一首。

166 妻にさえ夜伽は

2006-02-28 07:45:00 | 新古今集

 題詞は「不邪婬(淫)戒」(ふじゃいんかい。不倫するな)。当時、僧侶の妻帯は、表向きは禁止されていた。のちに親鸞がこれを公然化させて、仏教界を震撼させたことは、よく知られている。男の僧侶への警告。
 男女の機微にわたる作品を、みそひと文字に映すのは、とりわけ難しい。現代詠で、「妻」「外」が重ねてあるのは、原作者の雰囲気の轍を踏んだつもりだが、気づかれたかどうか。
 なお現代詠は、170を終詠と決めたので、本集からの採歌間隔が短くなる。
 ひらかなy166:つまにさえ よとぎはこころと おもうのに
          ましてやほかの つまなどろんがい
 ひらかなs1964:さらぬだに おもきがうへに さよごろも
          わがつまならぬ つまなかさねそ
【略注】○さらぬだに重き=「そうでなくても(不倫は罪深い、罪が)重い(のに)」。
    ○小夜衣=「夜着。寝巻き」。女性はとくに、今とは比較にならないくら
    い、重ね着、厚着だった。だから重い。住宅構造も要因にある。
    ○わがつまならぬつま=「私の妻ではない妻(に褄を)」。「褄」は小夜衣
    の暗喩。前歌に続けて、「AなBそ」再出。
    ○寂然=悠 164(02月25日条)既出。

165 白波よ紛れて

2006-02-26 06:40:00 | 新古今集

 この前後、寂然の詠草が多い。題詞に「不偸盗戒」(ふちゅうとうかい。盗むなかれ。)とある。自然現象に見せて、実は犯罪防止を訴えた巧みさに、感応させられる。
 ひらかなy165:しらなみよ まぎれてとるな うきくさの
          いそにかくれた ひとはなりとも
 ひらかなs1963:うきくさの ひとはなりとも いそがくれ
          おもひなかけそ おきつしらなみ
【略注】○磯隠れ=「磯に隠れて」。終止形「磯隠る(いそがくる)」という動詞
    の、れっきとした連用形である。活用については複雑なので、古語辞
    典で確認されたし。次項も同じ。
    ○思ひなかけそ=「思って(考えて)くれるなよ」。「AなBそ」は万葉以
    来、禁止の標準形のひとつ。古語辞典には、「思ひ懸く」の第一の意
    味として、「心にかける。また、恋い慕う。懸想する」が載る(旺文社版)。
    ○白波(しらなみ)=文字通りの「白い泡の波」の裏に、『後漢書』由来
    の「白波(はくは)賊」(白波谷にこもった盗賊集団)を掛ける。(小学版)
    ○寂然=悠 164(02月25日条)既出。


164 吹く風に花

2006-02-25 02:50:00 | 新古今集

 原作者は、詞書の栴檀を花橘に代えた。現代詠は、抹香臭を橘花薫香(きっかくんこう)に代えてみた。
 ひらかなy164:ふくかぜに はなたちばなが においきて
          むかしのあなたを おもいださせる
 ひらかなs1954:ふくかぜに はなたちばなや にほふらん
          むかしおぼゆる けふのにはかな
【略注】○昔覚ゆる=「昔のことを思い出す、覚えている。」(remember)
    ○今日の庭=「今日の法(のり)の庭」(小学版)。補説参照。
    ○寂然(じゃくねん)=藤原頼業から出家。為忠の子。14首、ほぼ釈教歌。
【補説】栴檀香風、悦可衆心。(せんだんのこうふう、しゅしんをえっかす) 「法華経」からの引用が、この題詞となっている。あるとき釈迦が大衆(だいしゅ。修行僧)を集めて説法しようとしたら、さあっと橘の花のいい香りが吹きおこって、わあっと歓声があがった。遅れて来た弟子の弥勒が、どうしたのと文殊に聞くと、その昔灯明仏(という仏の化身)が法華経説法をしようとしたときも、同じようなこと(瑞相)が起こったんだよ、と答えた。この伝承を背景として、寂然の仮託歌が生まれた。

163 何もない空と

2006-02-23 05:00:00 | 新古今集

 ここには慈円本来の姿勢があって、ほっとする。大声で泣く姿は似合わない。
 ひらかなy163:なにもない そらとみえても ねんじれば
          ふじもはなさき くももむらさき
 ひらかなs1945:おしなべて むなしきそらと 思ひしに
          ふぢさきぬれば むらさきのくも
【略注】○むなしき空(空しき空)=「何もない空」。「空し」は、現代語のような
    感情を含まない。empty, i.e. vast, sky。
    ○藤咲きぬれば紫の雲=「藤が咲けば、紫の雲(が出る)」という因果
    関係が、文字通りの意味だが、高僧である作者が経典を読んで感じた
    作品なので、「藤」は観音経、「紫の雲」は阿弥陀来迎(らいごう)を暗示
    する。現代詠では因果現象を並列に変えた。補説参照。
    ○慈円=悠 002(06月29日条)既出。
【補説】藤の花と紫の雲。たとえば『方丈記』に、春は藤波、紫雲の如し、『徒
    然草』に、夕暮れ時の藤花は紫雲のよう、『枕草子』冒頭に、春は曙、
    山際に紫の雲、などなど、わが先人たちは、当然のようにこれらを結び
    つけていた。
     和歌の世界でも、「紫の雲にぞまがふ藤の花/(略)」(慈円)、「西を
    待つ心に藤をかけてこそ/その紫の雲を思はめ」(西行。西とは言うま
    でもなく西方浄土)、「藤の花それとも見えず紫の/雲はいかでか空に
    立つらん」(大江房)、「しづかなる庵にかかる藤の花/待ちつる雲の
    色かとぞ見る」(式子)など、調べればいくらでも出て来る。
     つまり、死期が迫ると西の空に紫の雲が現われて、その雲に乗って阿
    弥陀が極楽浄土へ導いてくれる、というのである。科学が高度に発達して
    いる現代でさえ、宗教に拠り所を求める人が絶えないのだから、仏教が
    当時の知識人たちの精神構造の中枢を占めていたことは、想像に難くな
    い。間もなく浄土信仰の全盛時代になる。


162 色にだけ心が

2006-02-21 06:00:00 | 新古今集

 釈教の歌を女性はどう詠んだか。作者明記のなかでは、まず肥後(肥後守藤原定成の娘)が、目に浮かぶような作品を残している。「あふち」(樗)は栴檀。
   1930 紫の雲の林を見わたせば
       法にあふちの花咲きにけり    肥後
 二人目が小侍従。宮廷女性の仏教理解が、男性に一歩も退かないことが、よく分かる一首である。詞書に「心経の心をよめる」と。
 ひらかなy162:いろにだけ こころがそまる むなしさを
          しってはれやか はんにゃしんぎょう
 ひらかなs1937:いろにのみ そめしこころの くやしきを
          むなしととける のりのうれしさ
【略注】○色=この世の全ての事象。古来のやまとことば(color)に、中国
    仏教の影響を受けた意味(phenomena)が、掛けられている。以下、
    『般若心経』のなかで最も有名な「色即是空」を詠う。
    ○法(のり)=仏法。
    ○小侍従=悠 022 (07月23日条)既出。

161 極楽に生まれて

2006-02-20 06:00:00 | 新古今集

 浄土思想を確立した高僧の、衆生救済(一人でも多くを救う)の考えが、躍如としている一首。
 ひらかなy161:ごくらくに うまれていたら いまごろは
          どんなひとでも むかえているよ
 ひらかなs1926:われだにも まづごくらくに うまれなば
          しるもしらぬも みなむかへてん
【略注】○われだにも=(他の人はともかく)私だけでも(極楽往生の手助けをする
    んだが)。
    ○迎へてん=「迎へん」(迎えよう)に、強意助動詞完了形「つ」の未然形
    「て」をはさんで、強める。
    ○源信(げんしん)=卜部(うらべ)から出家。恵心僧都(えしんそうず)も通用。
    後世にもっとも影響を与えたのは、浄土教(浄土宗)の基礎を確立したこと。浄
    土宗・浄土真宗の開祖、法然・親鸞などは、彼らに先立つ源信が『往生要集』
    ですでに、事実上密教から離れ、衆生救済・専修念仏を確立していた。
☆『芸術新潮』2006年02月号は、「ひらかな」大特集(イチオシ)。立ち読みででも!