百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

承徳地区の思い出(寛城3)

2007-09-09 18:23:38 | Weblog

  9月9日  (日)  ①
                     平成17年1月1日より 982日目  
                                歩いた歩数      その距離  
                     本日         17,524歩       12,267m
                     総計  13,730,583歩  9,611,408 m
     北京より保定・石家荘・刑台・邯鄲を経て洛陽に向かう。後 125,630m  

 1990年8月18日 曇りのち晴れ 気温22℃~28℃  

 中国に来て一週間が経って、何故、こうなったかは未だ良くわからないが、少しづつ自分の置かれている立場は判って来た。誰かの構想と企画によってシナリオがつくられた。舞台の幕が開いた時、私は其処に立たされていた。観衆の拍手が鳴り止めば、私は役者として何かをやらねばならぬ。シナリオも知らない。監督も何も言わない。舞台は毎日開幕される。私は舞台の背景を見て待った無しで演技をしなければならぬ。観衆は見たこともない役者に興味深々だ。私はそれをいいことにして浮かれてる。この先どうなることやら、不安でいっぱいだ。

           
                                           峠を越えて

 今日は甘栗太郎の里を訪ねて、お昼には私のために羊が一頭捧げられるということだ。寛城から幾つかの山越えをして、一時間ほど、桃源郷と思しき里に到着した。既に連絡された手筈どおり、郷長・村長・校長先生等、土地の名士がずらりと並び、私を出迎えてくれた。付き人曰く。「国家主席楊尚昆さんの時より多くの村民が貴方を歓迎してますヨ」と。手元の名刺がすっかり終わってしまった。

            

 村の名士のお宅で一服。4部屋もある立派な家。サスガと思いながらも。トイレに案内を請うと、是は如何に?戸外の隅に、簾で囲った四尺四方の中、枝が一本立てかけてあるのと、鍋に灰が入っているのみ。肖さんに「どこでするんだ?」と聞くと、「どこでもいい。好きな所」という。そこで、棒にしりかけて出てきた。しかし鍋の中の灰にするんじゃ、イヤだなぁと思ったが、用を済ました後、灰をかけるのかもしれないと考えた。

 ここは男女とも利用するので、近づく時は、咳払いする。中に人がいれば、中から咳払いが返ってくる。そしたら「待った」だという。

 昼食は予告どおり、羊に始まって羊に終わる。今日は飲みすぎて遂に昼寝の時間なしで、私の出番となる。山を切り開き、潅水施設を整備して産地を拡大していることに敬意を表する。栗の選果選別の体制を確立して責任出荷をして欲しい。現状は品質が安定してないので買い叩かれている。中国輸出品の不信に繋がっている。信用回復に改心努力をと、酔いも手伝って熱弁中、午後4時、付き人からタイムアウトの合図。ここで家族・村の名士たちと記念撮影。 見たこともない日本人をひと目みたいと集まった村人に「ニーメンハオ!」で挨拶。是が受けて、また出発が遅れる。

          
                                         王家で

 夕食後、肖さんと飲みに出る。肖さんと心の交流を図ることと酒家の実態を知りたいため。若い女性と語るチャンスが出来たが、日本人を見たことのない土地の若者に忽ち周りを囲まれた。土地の顔役らしいおばさんが話しかけてきた。美女と酒を酌み交わすムードではない。窓という窓から二つの目が幾十もこちらを見つめている。[俺は帽子を被っているが、実は日本人で角があるんで帽子は脱げないんだ]というと、日本人は「東洋鬼」と聞いているから、「脱げ!脱げ!」という。「イヤ!是だけは勘弁してくれ!」と言うと、後ろに座っていた奴がヒョイと帽子を取ってしまった。角が無くてはげ頭にガッカリしたか、爆笑のうちにぞろぞろと引き揚げてくれた。

          

 亭主は気を効かせてドアを閉め、美女二人に接待を命じた。でも飲むほどに、酔うほどに、私たちの心も解け合った。地球上に国境などあるものかと元気が出た。亭主から門限などどうでも良いと言われたが、約束の10時。私は渋る肖さんを伴って出た。主人の許しを得た二人の女性が追いかけてきた。4人で寛城の街を楽しく歩くことが出来た。幸せな一日となった。18元なり。