百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

千曲の流れ

2005-10-31 10:19:38 | 随想
10月30日

10月30日
 平成17年1月1日より303日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   13,371歩   9,360m
 総計 4,101,574 歩 2,871,102 m

    仮想通過地点   宮古島(10・26)

 毎日見ている千曲の流れは「悠久不変」そのもののようである。だが振り返って見るとき、その変遷の余りにも大きなことに驚く。

 綱切橋の木島河畔には戦後ポンポン船の発着場があった。今は州が大きく長く張り出している。嘗てO青果の車がりんごを積んだまま転落して運転手が溺死したのもこの場所だ。

                   

 私の子供の頃、中央橋の飯山側では、花火大会に「金魚・銀魚」の仕掛け花火が水中で行われた。そこは千曲川の本流だったのだが、今はグランドに変わってしまい、野球場になっているし、鉄道が敷かれる前の交通機関として活用されてきた飯山港も今は納涼花火大会のメーン会場になっている。

 嘗て陸軍の飛行機が高田を目指したが、西山を越すことが出来ずに不時着した佐藤島は、操縦してきた佐藤大尉を記念して名づけられたというが、今はもう無い。

 変われば変わるものである。ではどうして?その犯人は何処だろう?綱切橋から上流を見ると、静間側に大きく張り出した州がある。そしてこの州は中野側からの流れの蛇行で年々大きく成長して来ているように思う。

                   

 この州に阻まれた流れが中野側岩井地籍を抉るようにして再び主流が飯山側に流を変えている。これがどうも犯人のような気がしてならない。そんな詮索は専門家に任せておけば良いのだが・・・。

 千曲川の流れが知らぬ間に両岸の姿を変えているように、今日本の流れも大きく姿を変えられようとしている。それは「憲法改正」の機運だ。第9条の「戦争放棄」から「自衛軍」の公認へと・・・。 

背筋伸ばして歩く

2005-10-30 10:43:29 | Weblog
10月29日

10月29日
 平成17年1月1日より302日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   13,220歩   9,254m
 総計 4,088,203 歩 2,861,742 m

    仮想通過地点   宮古島(10.26)

 胡坐をかいて長く座っていると腰痛を感じるが、正座では足が痺れても腰の痛みは余り無いという。これは胡坐をかくと、背骨が曲がって体重が腰に負担を掛けるためで、正座のときはそれが少ないのだと言う。

 そこで自分の歩く姿勢を見直してみた。腰が引けて前屈みになって伏目勝ちで歩いていることが判った。そのため腰に体重がかかり、腰がだるくなり、腰痛を感じてくる。腰痛を感じてくると、連鎖反応か膝が痛む。遂には立ち止まって休養しなければならなくなってしまう。

 いい話を聞いたので、早速姿勢を正して歩いてみた。早く歩こうとして焦るために前傾しているのではないかと考え、ゆっくりでも良いから背筋を伸ばして前方少し高目を見つめて歩いてみた。少々威張ってるようだが、無理にもその姿勢で歩き続けてみた。

 いつもなら腰に負担を感じる距離だが、歩き始めた時のままである。そこで少しずつ足早に歩くことにした。やはり腰は異状が無い。

 これに勢いを得て、新しい試み、「左足に左手、右足に右手」と同じ手の振り方で歩くことに挑戦した。この方が肩の振れが少なくスピードが上がるという説を試みてみたのだが、慣れてくるとこの方が早いように感じてきた。

 やがて家に着いた。腰に負担を殆ど感じないままで戻ることが出来た。今日だけのことかもしれない。でも効果があったように思われるので続けてゆくことにした。

                
                         紅葉しはじめた運動公園にて

さんざし

2005-10-29 11:24:41 | 老人クラブ
10月28日

10月28日
 平成17年1月1日より301日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   15,498歩   10,849m
 総計 4,074,983 歩 2,852,488 m

  仮想通過地点   宮古島(10.26)

 昨日畑の後始末で草むらから見つけた「さんざし」についての思い出。
  
1990年8月22日、わたしは承徳から隆化県に出かけた。ここで大規模なサンザシ栽培を見た。一山そっくりにサンザシを植え、河から山頂にパイプラインを引いて全山に潅水できる設備をしていた。県長はそれを私に見せたかったようである。

 昼食の折、「我が県は中国最大のサンザシの生産県です。サンザシ液はアジア大会の健康増進飲料にも指定されました。日本にも輸出したいのでご協力を・・・」と県長から申し込まれた。

 わたしは、「私は盆栽をやってるのでサンザシについては若干の知識を持ってるが、日本人の大多数の人はサンザシの名前さえ知らない。輸出は難しい」と撥ねつけた。

                

 そして「指導者たる者、生産奨励をするなら、将来の需要見込みを立てた上でやるべきだ。万元戸の農民が生まれたといって無計画な生産奨励は農民のためにならない。2本に1本の間伐をすべきじゃないか」と逆提案したことがある。恥ずかしい思い出だ。

 先月、その隆化県の存瑞小学校を訪問して大歓迎を受けた。なんとも恥ずかしい次第だ。
 
 日本では、サンザシは鉢植えで春花を観賞する「花サンザシ」と秋実を見る「実サンザシ」が有る。わたしも「源平実サンザシ」を持っているが最近はパソコンにのめり込んで盆栽の方はとんとご無沙汰である。

                 
 

 

畑の後始末

2005-10-28 10:13:01 | 随想
19月27日

10月27日
 平成17年1月1日より300日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   15,597歩   10,918m
 総計 4,059,485 歩 2,841,640 m

        仮想通過地点   宮古島(10.26)

 思い立って妻と裏の畑の後始末をした。「思い立って」というほどの面積ではない。「猫の額」と言うほどの畑だから、始めればもう終りというところだが、野菜が採れなくなると畑に向く足も遠のいていた。

 僅かな場所に、雪が消えると「ねぎ」を掘ってきて、生味噌をつけて酒の肴に、から始まって野沢菜の董立ち・ほうれん草・さやえんどう・あさづきとケッコウお世話になる。

 春には「きゅうり」「なす」「とまと」「ミニとまと」「こしょう」「ピーマン」「ささげ」など苗や種を買って来て、豊作を願いながらも適当に植える。

 お蔭さまで夏は、採れ立ての新鮮な野菜にありつくことができる。畑がせまいことを知ってる友人からも食べきれないほどの応援が来る。ありがたいことだ。

 今年は「芽止め」したらしい「里芋」を買って来てしまったので大失敗。わたしは秋早く、朝飯に未熟な里芋の味噌汁を啜るのが最大の楽しみにしているのでがっかり。でもこれを知ってか知らずにか、堀の内から早掘りの里芋を頂いた。

 漬け大根や野沢菜はとても自給出来ないので、親戚のお世話になるより仕方がない。毎年お世話になるので、今年の豊凶や出来具合などを報せてきて、収穫の日取りの打ち合わせまでしてくれる。有り難いことだ。

 畑の後始末は、ねぎを除いてすべて終ったが、片隅で頑張っている「孟宗竹」のやや斜めに立っているのが雪の重みに耐えかねて寝る恐れがあるので切ることにした。竹は厄介なやつで、燃すとパンパンと大きな音を立てるので近所迷惑。そこで小束に切り刻んで塵回収車に出すことにした。これに時間をとられ、また腰も痛くなった。終ったのがやはり薄暗くなった。

 腰が痛くなったなどと愚痴が言えたもんじゃない。旬のものを旬の時期に、採れ立て新鮮なモノを頂けるのは、何と言っても田舎に住む者の特権というべきだろう。有り難いことだ。

                 
                    畑の隅で「さんざし」の実を見つけた
 

記念樹

2005-10-27 10:33:45 | 随想
10月26日

 平成17年1月1日より299日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   14,439歩   10,107m
 総計 4,043,888 歩 2,830,722 m
 
    仮想通過地点   宮古島(10.26)

 さくらの紅葉を期待して今朝は運動公園にまわる。針湖の脇でK・I さんが平成4年に息子さんの成人を祝って応募したさくらの記念樹に出会った。

                  


 この人はわたしが勤務していた市場の副社長で、貿易部を指揮する責任者として中国大陸を東奔西走して活躍した若い指導者でした。残念ながら雄図空しく病に倒れたが、中国に直轄の商社を作って、今日の繁栄の基礎を築かれた大功労者である。

 記念樹のさくらが成長したように、貿易部も大きく飛躍して市場の発展に貢献している。ここに生前のご活躍に感謝し、安らかなご冥福をお祈りする次第である。

 さて私どもが協賛した千曲河畔のさくら堤の大山桜は半数以上が枯れてしまったが、この後始末は誰がどのようにするのだろうか?

 普通ならば、植樹作業を請け負った業者が枯木を取り除いて補植をして済まされるのだろうが、それにしては業者の損害は余りにも大きいし、枯れた原因が業者の責任とは思えない節がある。

 わたしは、大山桜の枯れた真因は、植え床に入れた肥料が多すぎて根がやられたのだと思う。誰が元肥の施肥をしたか? その量を誰が指示したかが問題だと思う。もしこれが市側に責任があるとすれば、財政逼迫の市の財政にとって大変な痛手になるだろうし、業者の責任となればこれまた死活問題となるだろう。いずれにしてもえらい事だ!