百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

承徳地区の思い出(平泉1)

2007-09-04 16:02:43 | Weblog

    9月4日  (火)  
                       平成17年1月1日より 977日目  
                                 歩いた歩数       その距離  
                       本日        15,990歩        11,193m
                       総計  13,667,461歩  9,567,223 m
    北京より保定・石家荘・刑台・邯鄲を経て洛陽に向かう。後 169,815m

   1990年8月13日、静宜山荘での朝食を済ませて待機していると、馬主任が来て「これから未解放区に入りますので、公安局の許可が要ります。先生のパスポートを貸してください」と。手続きが済んで戻ってきたのは10時を回っていた。

 目的地は平泉県。平泉は承徳の東100km程、北部は内蒙古自治区・東部は遼寧省に隣接する要衝に地で、嘗ては熱河省に属していただけあって、河北平原と違って丘陵の多い地区、農産物のほか、金銀銅などの鉱産物の産出もある。中国の友人の話では、貧乏な県で馬賊の根拠地、青年は馬を買い、拳銃を手に入れるのが望みだったと言う。

 今はキノコの大産地となって経済を支えている。承徳から峠を越えると、折からの雨季で河が氾濫して道路を横断している箇所が平泉鎮までに13箇所、尻まくりして自転車を担いで渡る女性や流れに嵌まって立ち往生するバスなども見られた。また、道路に座り込んで、親しい人と語り合っている人。山羊や牛・馬の群れが道に溢れて堂々と行進しているなど、なんともユーモラスで微笑ましい田園風景を楽しむことが出来た。

 「お昼は皇帝料理です。もう少しの辛抱を・・・」と。五つの峠を越えて平泉着は0時50分となる。平泉とは平地から泉が湧き出したところから名付けられたというが、いまも鎮の道路の真ん中にその泉が鎮座している。

         
          平泉県農業技術推広中心の職員たち    

 皇帝料理を平らげ白酒を飲み、昼寝の後、午後3時、平泉県農業技術推広中心(日本なら推進センター?)を訪問する。案内されたモロコシ畑の中、モロコシとモロコシの間に平茹(信州しめじ)の王様がニョキニョキと出ている。菌回りした培養基を畝間に伏せて育てたのだ。モロコシで日影になり、涼しい風が吹き抜けてゆく。理想的な環境だ。素晴らしいアイディアにすっかり感心した。

             

  雨上がりの畑で革靴は泥まみれとなってしまい、早帰りして百貨店(といっても大きなコンビニ程度)へ行き、スニーカーを仕入れる。22元なり。夕食は3卓で、30人からの大宴会。殆どの人が日本人を見たのは初めてという。私が平茹の栽培を褒めたので宴会は大いに盛り上がった。

 私の平泉の落着き場所は、先日まで河北省の省長閣下が避暑に来て泊られた部屋で、李鵬総理が来でも、ここより他に泊るところが無いので宜しくと、言う県長さんのご挨拶。二部屋に風呂・トイレ付きで、入り口の部屋二つのベッドは省長の秘書が使用したもの。奥が省長閣下の使ったベッドだそうだ。「先生はすきなように・・・」と。ベッドには四隅に竹竿を立て、蚊帳が張ってあって、天子様が寝るような様。机も両方の部屋にあってカラーテレビから大型ソファーまであり、椅子も四つで会議が出来る特別室。独りじゃどうしようもない。