百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

オランダ国境突破

2012-03-31 22:13:16 | ウオーキング

   3月31日 (土)  平成17年1月1日より 2,656日目
         歩いた歩数        その距離
本日      14
,398歩      10、079m
総計 37,040,806
歩 25,928,564m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツを経てオランダアムステルダムに向かう、後108
,004m

               オ ラ ン ダ 国 境 突 破

 私はドイツのデュッセンドルフを通過して今日、オランダ国境を超えた。「オランダ国境突破」で思い出されるのは第二次世界大戦でヒトラー率いるナチスドイツは不倶戴天の敵フランス占領を目指しての侵攻の際、難攻不落のマジノ線を敬遠してオランダ国境突破でベルギーとルクセンブルグの間を通過してパリを占領した電撃作戦を思い出す。

 こんな記事を見つけた。

 1939年9月1日、ヒトラー率いるナチス=ドイツは、ポーランド侵攻を決行し、3日、ヒトラーが参戦しないと踏んだイギリス・フランスがドイツに対して宣戦し、列強を巻き込む第二次世界大戦が勃発したのである。ドイツは電撃戦でポーランド軍を壊滅させ9月27日に首都ワルシャワは陥落した。ヒトラーはこれ以降も英仏との戦争は真剣に考えておらず、"奇妙な戦争(Phoney War)"と称されたが、翌1940年4月、ドイツは輸送路確保にむけて、中立国デンマーク・ノルウェーを不法軍事占領、北欧諸国を支援したイギリスの支援は失敗した(チェンバレン内閣は総辞職し、チャーチル内閣が誕生)。

 またドイツは5月、永世中立規約を破ってオランダ・ベルギーの国境を突破し、西部戦線での攻撃を始め、フランスも危機となり、ここに来てヒトラーはイギリス・フランスと本気で戦争を実行する意志を示した。ドイツ軍は6月14日、パリへ無血入城し、遂にフランスは降伏(パリ占領)、中部フランスのヴィシーペタン元帥(1856~1951)を国家主席とする親独政権を置いた。

 しかしフランス国内ではドイツへの対抗運動は激しく、一般市民によるレジスタンスが組織され、ドイツ軍に対する武力抵抗を行った。同じくフランス将軍ド=ゴール(1890~1970)はロンドンに亡命してイギリス支援により、同月に自由フランス政府を作ってドイツと戦った。ヒトラーは夏以降、イギリスにおいても大規模なロンドン空襲を行い、本土上陸を試みたが、チャーチル首相(任1940~45,51~55)率いるイギリスは持ちこたえ、ロンドン占領はならなかった。

 

 

             歩 い て 世 界 一 周 

                                  (2012年3月31日現在)      

適 用

日 数

総歩数(歩)

平均歩数(歩)

総距離(m)

今 月

       31

     467,530

     15,082

    327,271 

今 年

       91

   1,308,936

     14,384

    916,255

2005年から

     2656

  37,040,806

     13,946

 25,928,564

70歳の誕生日から

     6188

 118,990,942

      19,229

 83,293,029

 

 

 

 

 

 

 

 


リマインダ-の活用を

2012-03-30 14:41:20 | iphone

  3月30日 (金)  平成17年1月1日より 2,655日目
         歩いた歩数        その距離
本日      16
,298歩      11、409m
総計 37,026,408
歩 25,918,486m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツデュッセルドルフを経てオランダ国境に向かう、後6
,727m  

朝、お寺の座禅を済ませた佐藤氏が見えられたので、裏打ちの礼を述べ、寸志をお渡しした。気持ち良く受け取って呉れてホッとした。気分良くして高校選抜を見ていたところ、掛かりつけの歯科医から電話から入った。予約の時間が過ぎたというので、午後3時の筈と言ったが私の思い違いと分かり車で駆けつけた。

 午後、PCで「●iPhone 4Sはいいものだ!」という項に行き当たった。投書されたこの方は専門知識を持ったベテランとして、音声認識システム”siri”の認識精度を試したたり、notification centerの通知機能を調べたり、「twitter」・「icioud」「リマインダー」などの便利度の向上などを詳しく判り易く説明されていた。

 私は歯科医の治療時間を間違えた反省から「リマインダー」に取り組んで見ようと考えた。説明を受けるまではリマインダーというアプリがあることは知っていたが、どんな機能で何の役に立つのかさえ知らなかった。「リマインド」とは気付かせる、思い出させるという意味があることもやっと知った。

例として、【帰りにシャンプーを忘れずに買って帰ろう」と思たら、自宅から最寄りの駅に着いた時に、アラームが鳴るようにセットして置けば、着いた時点で知らされるという。

 早速【アプリバンク】で解説を読み出し、挑戦した。寝るまでには「長寿会」「日中友好育英基金」「社協」「総会準備」「内山歯科」などのタスクを作り、通知日・メモなどを書き込んだ。ママに話すと「私のケイタイでも出来る」と言われ、少々ガッカリした。

 

 


中国学童作品の裏打ちの謝礼で

2012-03-29 18:10:25 | 日中友好

    3月29日 (木)  平成17年1月1日より 2,654日目
         歩いた歩数        その距離
本日      16
,502歩      11、551m
総計 37,010,110
歩 25,907,077m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツデュッセルドルフを経てオランダ国境に向かう、後 18
,136m

                   
                            雪消えで自然が生んだ雪像

 今日は日中友好育英基金の会計さんがベトナムより帰国する日。朝、携帯に電話を入れたが、通じず、「用件をお知らせください」との要請に「中国学童の作品を裏打ちして頂いた佐藤氏にお礼を差し上げなければならないので、その金額を協議して決めたい」と要件を述べた。

 帰国したばかりで雑務が溜まっているとは承知してはいても、今日中には決まりを付けたいものと思い、事務所に電話、事務員から社長の居場所を聞き糾す。

 午後、副理事長と会社に会計さんを訪問して三者協議。会計から予算の「活動費」は既につかい果たしたので、予備費からの支出ではとの意見も出たが、謝礼ではなく、活動費として支出することで結論を得たので、用意しておいた祝儀袋に入れ、私と副理事長で佐藤氏宅を訪問することにした。序に日中友好育英基金の常任理事会を4月8日午前10時社協で開催することを内定した。

 吉の佐藤氏宅は未だ雪の中、戸を叩けども佐藤氏は留守。仕方なく、副理事長が持参した洋菓子に「先日奉仕して頂いた中国学童の作品の裏打ちのお礼に来た。申し訳ないが明朝、お寺へ参禅の帰りお立ち寄り願いたい」旨紙片に書いて帰宅した。

 久し振りの晴天に、張り切って出掛けたのに、為す術もなく帰宅したことで、蛇の生殺しのような気分でやりきれなかった。


中国老朋友との絆がっちりと

2012-03-28 19:48:49 | 日中友好

     3月28日 (水)   平成17年1月1日より 2,653日目
         歩いた歩数        その距離
本日      15
,809歩      11、066m
総計 36,993,608
歩 25,895,526m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツデュッセルドルフを経てオランダ国境に向かう、後 29
,687m

              
     川原の 雪捨場の雪消し作業が始まった。山のような雪を4台のブルでほかしてる    

 先日(3月18日)中国国際貿易促進委員会の老朋友に「りんごジュースの生産業者の斡旋」依頼のFAXを送ったが、今日で10日を経過したにも拘わらず、ンともスントも音沙汰がないのでジリジリしていた。

 と言うのは、嘗て蔬菜果実の有機栽培で心を通わせた関西の有力企業の社長から、電話で「中国の「りんごジュース」を扱ってみたいので業者を斡旋して欲しいと頼まれて、熟慮の末、嘗ての私の通訳を務めてくれた老朋友が貿易関係の主要な業務に就いているので、彼に白羽の矢を立て、3月18日FAXで紹介を依頼するとともに、社長には「期待に応えてくれる人物に斡旋方を依頼したので、吉報をお待ちください」とメールを送って置いたので、返信を首を長くして待っていた次第。

 遂に我慢できなくなって、FAX第2便で[A ①探したが見当たらない ②只今調査中 ③斡旋できない B①老朋友は居ません(定年で退職) ②只今出張中」この返事をメールで下さいと送った。

 夕方ウォーキングから帰ると、彼から元気な声で電話が入った。私は電話料がもったいないから電話を掛けないのではなく中国語が出来ないのでFAXを使っているので、何時も電話を貰う立場だ。

 「先生!暫くでした。今日FAXを頂きましたが・・・」と言うが何用か意味が判らぬ様子。聞けば、3月18日のFAXは見てないという。そこで始めから事の次第を説明して改めて「りんごジュース」の生産企業を探してメールで知らせて欲しいと依頼した。

 彼は快諾してくれた。20年来の絆はガッチリと今も生きているのだ。これで私は大船に乗った気分で、重苦しい気分から解放された。明日は大阪の社長に知らせようと美味しい晩酌をタップリと頂戴した。


堅い絆

2012-03-27 18:24:41 | パソコン同好会

   3月27日 (火)  平成17年1月1日より 2,652日目
         歩いた歩数        その距離
本日      15
,377歩      10、764m
総計 36,977,799
歩 25,884,459m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツデュッセルドルフを経てオランダ国境に向かう、後 40
,754m

 26パソコン同好会の副会長が「湯田中の塚田さんからの贈り物です」と言って温泉饅頭の包みを持ってやって来た。塚田さんは老人大学の同級生で一緒にパソコンを習得したおばあちゃんで卒業後も同好会に参加してくれたが、私に次ぐ高齢で今は車椅子生活を余儀なくされ、月2回の学習会も休んでいる。

 その塚田さんが、先日の総会に真っ先に出席されたのだから驚いた。皆さんから大歓迎を受けたのは勿論だ。私は副会長から耳打ちされた。「塚田さんはホテルのそばに家があるので宴会が済んだら家に帰る。お酒も飲めないので、宴席は増やさないで私の席に座ってもらいます。私は役柄だから皆さんの席を回って接待します。だから塚田さんからは会費は貰わない予定です」と。大変心温かな提案に私も大賛成した。

 塚田さんはその気配りに感謝したが、その分、特別待遇されたことが重荷になったのだろう。副会長に会って、総会に出席した会員全員に「今後ともよろしく」伝えて欲しいと言って温泉まんじゅうの包みを渡したという。副会長は気配りしたことで、却って塚田さんに大きな負担を掛けたことを悔いていたが、事の次第を伝えながら全員に配ったという次第。

26パソコン同好会の会員のパソコンの技術や知識は、行ったりきたりで大して向上したとは思えないが、今回の副会長の気配りと塚田さんの心遣いで26パソコン同好会の会員相互の絆は一層固く結ばれた。お互い高齢になって、体力的には向上を見ることは望めないが、時の流れに置いていかれぬよう、月2回隔週の学習会だが、少しでも新鮮な情報や知識を知らせ、互いに励まし合い助けあって行きたいものだ、としみじみ思った。