百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

今年を振り返えって

2011-12-31 14:45:54 | 自分史

 12月31日(土 平成17年1月1日より 2,565日目
         歩いた歩数          その距離
本日       14、106
歩         9、874m
総計 35,731,870歩 25,012,309 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 233,
561m

いよいよ大晦日、紅白歌合戦を見る日になってしまった。一年間を振替えってみようと思うが、歳のせいか物忘れが酷くなって皆忘れていしまう。これは意外と悪いことでは無さそうだ。特に「反対運動の仲間には入らない」ということを信条としている私には意外と都合が良い。

 今年一年、一番大きな事件はなんといっても東日本大震災だ。そして翌日には長野県北部地震もあった。私の家は、新築時に軟弱地盤ということで50トンものセメントを注入した上に建てたので慌てなかったが、それでもかなりの揺れを感じた。

東北地方では巨大地震ばかりか巨大津波に襲われ多くの人が亡くなくなったばかりか、土地建物まで破壊され、その上、福島の東電の原発事故にまで巻き込まれ、生活の基盤まで失うという大災害に見舞われた。お気の毒というほかはない。しかし被災者の冷静な対応、秩序有る行動は世界の人の驚嘆と尊敬の念さえ与えたし、全世界から救援を受け入れることもできた。

 原子力発電が果たして人類にとって必要なのか?危険なのか?国論を分ける大論争になっているが、私は「羹に懲りて膾を吹く」の譬え、大事故に喘いでいる多くの被災者への肩入れから、社会の進展を逆戻りさせる政策をとってはならないと思っている。有史以来幾多の災害に見舞われながら科学技術を尽くして克服した過去を思い出して、乗り越えて行くべきだと信じている。

 今年はまた独裁政権が次々と崩壊した年でもあった。その革命の原動力となったのが、インターネットの普及、就中「ケイタイ」の威力に依ってだ。今までは独裁政権が発信する情報を国民は受け入れるばかりであったが、ネットが普及し、ツイッターやフェイスブックが蔓延して国民すべてが発信者になった。たくさんの意見が溢れ出し、様々な情報が伝えられ、その結果、独裁政権が倒されたのだ。私は地方事務所から講演を頼まれ、iphoneっを掲げてこの事実を訴えた。

 またギリシャに始まった経済破綻で、世界が大きく揺れた年にもなった。まだユーロが破綻するか、ドイツやフランスがこれを食い止めできるかまだ分からない。お陰で日本も大きなダメージを受けた。円高はドルからユーロにも及び、輸出企業は軒並み赤字対策に苦しんでいる。その上、タイに大水害が発生して製品から工場まで水没、操業不能にまで落ち込んでいる。泣き面に蜂だ。TPPの問題もある。消費税増税の問題もある。

 そしてお隣の北朝鮮では独裁者金正日総書記がなくなった。日本を取り巻く諸般の環境は益々複雑化してきている。2012年は果たして日本はどうなるのだろうか。

でも私は、中国学童の作品展という金ピカな材料を与えられた。これを活用、展開して日中両国の絆を更に強固に、血の通うルートの拡充・充実に全力を挙げるのみだ。2012年よ!幸アレ!!

 
 





 


中国学童の作品展の夢

2011-12-30 17:06:41 | 自分史

 12月30日(金 平成17年1月1日より 2,564日目
          歩いた歩数         その距離
本日       14、384
歩       10、069m
総計 35,717,764歩 25,002,435 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 243,
435m

 いよいよ明日で今年も終わる。今年一年、色々と計画し、夢を描いいて追い求めてきたが、あまり周囲の協力が得られず、【燃えないストーブは囲まれない】【徳不孤、必有隣】と自分の不徳を反省していたが、年末になって河北省承徳市対外友好協会の肖振玲さんから吉報が入った。「隆化の学童の作品が集まった。何処へ送れば良いか?」というのである。

 私は今年の目標に、① 日中友好育英基金会員と受給生との心の交流 ②両国のペンフレンドの紹介と斡旋 ③ 日中両国の学童の作品展の開催 ④新会員の入会運動 ⑤ 近隣友協への参加呼びかけを掲げて働きかけてきたが、「笛吹けども踊らず」で燃えた闘志も次第に勢いを失い欠けて来ていた。そこへ吉報が舞い込んできたのだ。手の舞足の踏む所を知らずという心境だ。勇気凛々、百万人と云えども我征かんだ。

 飯山日中の正副理事長と共に、教育委員会に出かけて、中国学童の作品展を開催したいが受け入れて貰えるかどうを打診した。教育長は校長会に受け入れる気持ちがあれば有難いとの消極的な賛成意見だった。早速校長会長の飯山小学校を訪ねて要請したところ、「間もなく夏休みに入る。夏休みが終わると、運動会の準備に入る。この運動会は何処の学校でも一大事業だ。これが済んで落ち着いたところでこの議題を討議したい」と回答された。随分先の話になるるが、我慢して受けざるを得なかった。運動会も終わり返事が無いので諦めかけていたところ、紅葉の時期になって「有り難く受け入れます」との嬉しいご返答を頂いた。

 早速、肖さんに電話して 「受け入れ態勢は整った。学校側の取り組みは出来るだろうか?」と中国側の対応を促したが、何時まで待ってもその回答は来なかった。新年になったら改めて打診しようと考えて居た矢先の吉報だ。「受け入れ態勢が整った」という情報で、直ちに行動を起こして呉れたようだ。

 日本の片田舎の86歳の老人が提唱したプランに直ちにゴーサインを出してくれたことに、何といって礼を申し上げれば良いだろう。これが契機となって児童生徒の文通交流が始まって、両国の教育の交流に繋がれば自ずと日中友好のムードも高まり、相互理解も深まるというもんだ。その道筋の突破口が開かれたと思うと心が踊る。仲介をしてくれた「肖振玲さん」「外事弁の関係者」「隆化の皆さん」に心から敬意を表したい。

 


航太くん

2011-12-29 17:43:26 | 随想

 12月29日(木 平成17年1月1日より 2,563日目
         歩いた歩数          その距離
本日       11、450
歩         8、015m
総計 35,703,380歩 24,992,366 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 253,504m

 航太くんが紅葉のような手を開いて「いつつ」と言った。ママが黒豆を5個小皿に取った。更に【いつつ】と言った。ママはまた5個を小皿に加えた。航太くんは更に【いつつ】と言ったが、たしなめて与えなかった。航太くんは納得したのかそれ以上要求せずに黒豆を食べ始めた。昨日見たように鮮やかな手さばきで一粒々々摘まんでたちまち平らげた。大人顔負けの美技だった。

 朝食の後、パパのアイホーンをいじっているではないか。右手の指を動かして写真のアルバムを見ている。そして私を招いた。一緒に見て欲しいというのだ。画面を人差し指で次々と変えてゆき、自分の姿が出ると、手を休めて見ろという。そのうち、動画を示す三角だ出た。そして自分の動く姿を私に見せてニヤッとした。わたしが「ホー」声を出すと満足したのか、こんどはどんどん写真を繰って、動画画面だけを見せてくれた。アイホーンを思い通りに操作する2歳半にはビックリするより呆れてしまった。

 赤ん坊の物覚えの能力には恐れ入る。何でも吸収してしまうのだ、言葉を覚え、自分の意志を親に伝え、親を自由に動かす。私たちの子育て時代は、周囲のスピードから取り残されまいと必死で、子供など2の次だった。泣かない限り放りっぱなしだ。今はゆとりの生活の中に、子宝を大切に育てることが生活の中心のようだ。親は次々と体験や知識を与えて、それを吸収してくれる子供の成長を楽しんでいる。喜ばしい話だ。いい時代となったもんだ。

真ちゃん一家は、今日は温泉巡りだといって銀世界に出ていった。私は子供の頃、学校で「飯山では屋根の雪を下ろし時は、シャベルで雪を豆腐のように4角に切って投げ下ろすんだ」と大雪の話をしたところ、「雪が豆腐のように切れる筈がない。嘘つき!法螺吹き!」と皆からばかにされた、「田舎っぺ!明神さんのハゲどんどん」と囃し立てられた苦い経験がある。その時代はテレビがなく、ラジオの時代だった。

 


曾孫箸で豆を摘まむ

2011-12-28 17:48:37 | 随想

               
                                               新幹線に架線のポールが立った

              
                                                         箸で黒豆を摘む

  12月28日(水 平成17年1月1日より 2,562日目
         歩いた歩数         その距離
本日         9、336
歩         6、535m
総計 35,691,930歩 24,984,351 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 261,519m

2歳半のひ孫の航太くんが、箸で黒豆をつまんで食べた。これには魂消た。黒豆を一粒づつ摘まんで次から次と口に運んだ、母親が「モウヤメテ」と止めたが【うまい、うまい】と食べ続けた。僅かの間に全部食べてしまった。

 よく見ると、箸に仕掛けがある。幾つかの輪がついていてそれに指を通しすと箸が握れるようになっている。新案の箸だ。素晴らしいアイデアだ。でもその箸を求めて子供に使わせた両親も素晴らしい。

 私たちの子育ては終戦後の日本再建の真っ最中で、子供は放っといても大きくなるという感覚だった。【耐乏時代】で、子供がおもちゃを欲しがっても「こんど買ってやるから】と言って先送りを繰り返すばかり。子供は「アレー、こんど買ってネ」とねだるようになった。涙が出た。

、今は恵まれた環境の中でゆとりの幼児教育が行われる時代になった。親が率先して、子供の成長に必要なものを子供に買って与えている。カラオケのおもちゃでボタンを押すと童謡が出る。マイクを持ってそれを歌う。何十曲もの童謡を親が教えなくとも歌ってくれる。素晴らしい時代だ。

 航太くんは親を【パパ‥ママ】と呼び、祖父母を【ジージ・バーバ】と呼んでいる。私たち夫婦は曽祖父に当たるのだが、なんと呼ぶのだろう。2代目も3代目も親戚の人達も皆私たち夫婦を【お父ちゃん‥お母ちゃん】と呼んでいるので、航太くんも私たち夫婦を【お父ちゃん‥お母ちゃん】と呼んでくれることになった。ありがたい!


年末往来

2011-12-27 17:14:41 | 随想

  12月27(火 平成17年1月1日より 2,561日目
         歩いた歩数          その距離
本日         8、246
歩         5、772m
総計 35,682,594歩 24,977,816 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 268,054m

 今朝、受信メールを見ると、河北省承徳市対外友好協会の肖振玲さんから年賀状が着ていた。前の日には石家荘市の邢春さんが「Xマスおめでとう」と言って電話を呉れた。嬉しい事だ。有難い事だ。便利になって重宝に使いこなしているのに、使わない自分が情けない。

 今日はパソコン仲間のTさんが年賀状作成の礼に来てくれた。申し訳ないが吉報を分かち合いと、無理やり誘い、【中国児童の作品展の夢】が実現する。冷たいストーブは囲まれない。この作品展を契機に血の通う友好交流をしょう。是非ご協力を‥‥・と要請した。

 午後、【孫子の兵法】【長恨歌】【出師の表】を整理して夕方のウォーキングの足を伸ばして届けて置いたら暫くして感謝の電話をもらった。コチラも嬉しかった。

 間もなく真ちゃん一家がやってくることになっている。また一族全員揃って晩餐会だ。暫く振りにひ孫とも会話ができる。たのしみだ。