7月10日 平成17年1月1日より 2,382 日目
歩いた歩数 その距離
本日 12,642 歩 8,849m
総計 33,205,477歩 23,243,884m
イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 304,424m
盟友T・Tさんから”遊”洋画展の便りを頂いたが、今日が最終日。PM4:00で展示終了。そこで泥縄で予備知識を詰め込もうと、朝から手当たり次第検索して行ったところ”絵画悠々”に行き当たった。初心者にも判り易いように説かれて居て気に入った。夢中になって読んでいたら12:00になって居るのに気付き、慌てて昼食もとらずに会場に向かった。
会場の「ホクト文化ホール」で記帳すると、「飯山からお出で下さったのですネ。Tさんのお知り合いで…】と言ってTさんを呼びに行った。Tさんは「ホームページにも出して頂いたリして。、御蔭さんで多くの人が来てくだっさって感謝しております・・・」と言いながら百点以上もある絵を一つ一つ解説してくれた。若干午前中の泥縄式詰め込みも役に立ったのか、相槌を打ちながら参観を終えた。
【絵画悠々】の抜粋
1.風景画の魅力
絵は美しいものであり、額に入れて飾るためのものです。居間、会議室、ロビーなど殺莫とした雰囲気に潤いを添える調度品の一つです。絵の効果は 回りの環境にも影響を受けます。周りの環境にとって目新しいもの、新鮮さを感じさせるものがよいでしょう。例えば都会のビルの一室に飾られた農村の風景はビジネ スマンの憩いを誘います。逆に農村では都会美的なものに魅力を感じるかもしれません。山国では海が魅力的に映るし、都会人の葛藤の中では明治大正の風俗衣装 が懐かしい。美しい風景、懐かしい風景、異国的な風景にモチーフを求めるのは画家として自然な行動です。ここに美の原点があり画家はその翻訳者を 買って出ます。
十勝の雄大な自然美はかつて画家神田日勝や坂本直行を生みました。現代でもその美しさに魅せられて本州からはるばるスケッチに訪れる高名な画家がいます。 関口雄揮、故相原求一郎、などなどです。それぞれの作品は地元でも非常に高く評価されています。また私自身もかつて北海道で個展を開きました。お菓子で有名な六花亭本社のギャラリーでした。内地からの 観光客が大勢訪れました。私の作品の中で最も人気だったのは十勝の風景画でした。彼らは「十勝の雄大な自然と空にあこがれて訪れた。今ここで出会えた」と 喜んでくれました。
実景から美のエッセンスを引き出したものが風景画なら、実景以上のなにものかがなければ絵としての意味がありません。だが実際には絵としての主張を失い、 単にスナップ写真を真似たようなものがあります。細密性や正確性では写真に敵う筈もありませんから、絵は写真以下に成り下がります。こうした絵が嫌われるのはよくわかります。
むしろ絵は写真が真似できない、写真より優れている点が沢山あり、それを強調する立派な写実派作品があることに目を向けたいと思 います。 絵は構図が自由です。画面を再構成して美の集約ができる。光の変化を広く捉えることができるなど数々の利点があります。また写真の感光剤はその材料が限 られており、表現力の点で物理的限界があります。それに比べ、絵具の顔料は種類が多いだけに、表現の幅が遥かに広く、絵ならではの鮮やかな色彩が可能。しかも筆の力で ダイナミックな効果を演出することができます。さらにデフォルメも絵の特権です。実景が常に絵画的に完全な姿であるとは限りません。くつろぐ婦人の姿を描くの に、 見たままの線が表現の意図に叶い、常にベストとは言えません。線を旨くデフォルメすることによって、より実感に迫ることがあります。
「絵に描いたような美しさ」という言葉があります。絵が実景と同じ程度なのては不満なのです。絵である以上は実景以上のものを無意識のうちにも期待しています。 風景画は単なるスナップ写真であってはいけないどころか、実景そのものであってもいけない様です。