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百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

洋画展”遊”を観る

2011-07-10 17:47:53 | デスカバリーチャンネル

7月10日  平成17年1月1日より 2,382 日目
        歩いた歩数            その距離
本日    12,642 歩       8,849m
総計 33,205,477歩  23,243,884m
イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 304,424m

盟友T・Tさんから”遊”洋画展の便りを頂いたが、今日が最終日。PM4:00で展示終了。そこで泥縄で予備知識を詰め込もうと、朝から手当たり次第検索して行ったところ”絵画悠々”に行き当たった。初心者にも判り易いように説かれて居て気に入った。夢中になって読んでいたら12:00になって居るのに気付き、慌てて昼食もとらずに会場に向かった。

 会場の「ホクト文化ホール」で記帳すると、「飯山からお出で下さったのですネ。Tさんのお知り合いで…】と言ってTさんを呼びに行った。Tさんは「ホームページにも出して頂いたリして。、御蔭さんで多くの人が来てくだっさって感謝しております・・・」と言いながら百点以上もある絵を一つ一つ解説してくれた。若干午前中の泥縄式詰め込みも役に立ったのか、相槌を打ちながら参観を終えた。

 【絵画悠々】の抜粋

1.風景画の魅力

 絵は美しいものであり、額に入れて飾るためのものです。居間、会議室、ロビーなど殺莫とした雰囲気に潤いを添える調度品の一つです。絵の効果は 回りの環境にも影響を受けます。周りの環境にとって目新しいもの、新鮮さを感じさせるものがよいでしょう。例えば都会のビルの一室に飾られた農村の風景はビジネ スマンの憩いを誘います。逆に農村では都会美的なものに魅力を感じるかもしれません。山国では海が魅力的に映るし、都会人の葛藤の中では明治大正の風俗衣装 が懐かしい。美しい風景、懐かしい風景、異国的な風景にモチーフを求めるのは画家として自然な行動です。ここに美の原点があり画家はその翻訳者を 買って出ます。
 十勝の雄大な自然美はかつて画家神田日勝や坂本直行を生みました。現代でもその美しさに魅せられて本州からはるばるスケッチに訪れる高名な画家がいます。 関口雄揮、故相原求一郎、などなどです。それぞれの作品は地元でも非常に高く評価されています。また私自身もかつて北海道で個展を開きました。お菓子で有名な六花亭本社のギャラリーでした。内地からの 観光客が大勢訪れました。私の作品の中で最も人気だったのは十勝の風景画でした。彼らは「十勝の雄大な自然と空にあこがれて訪れた。今ここで出会えた」と 喜んでくれました。 
 実景から美のエッセンスを引き出したものが風景画なら、実景以上のなにものかがなければ絵としての意味がありません。だが実際には絵としての主張を失い、 単にスナップ写真を真似たようなものがあります。細密性や正確性では写真に敵う筈もありませんから、絵は写真以下に成り下がります。こうした絵が嫌われるのはよくわかります。
 むしろ絵は写真が真似できない、写真より優れている点が沢山あり、それを強調する立派な写実派作品があることに目を向けたいと思 います。 絵は構図が自由です。画面を再構成して美の集約ができる。光の変化を広く捉えることができるなど数々の利点があります。また写真の感光剤はその材料が限 られており、表現力の点で物理的限界があります。それに比べ、絵具の顔料は種類が多いだけに、表現の幅が遥かに広く、絵ならではの鮮やかな色彩が可能。しかも筆の力で ダイナミックな効果を演出することができます。さらにデフォルメも絵の特権です。実景が常に絵画的に完全な姿であるとは限りません。くつろぐ婦人の姿を描くの に、 見たままの線が表現の意図に叶い、常にベストとは言えません。線を旨くデフォルメすることによって、より実感に迫ることがあります。
 「絵に描いたような美しさ」という言葉があります。絵が実景と同じ程度なのては不満なのです。絵である以上は実景以上のものを無意識のうちにも期待しています。 風景画は単なるスナップ写真であってはいけないどころか、実景そのものであってもいけない様です。


特攻攻撃に反対した芙蓉部隊

2011-07-08 17:44:54 | デスカバリーチャンネル

7月8日  平成17年1月1日より 2,380 日目
     歩いた歩数 その距離 m
本日    12,875 歩      9,013m
総計 33,180,525歩  23,226,368m
イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 321,891 m

 特攻隊を検索していたところ、大東亜戦争の末期、特攻を指示する上層部を論破して終戦まで夜間攻撃を続けた航空隊のあることを知って驚いた。

 その名は「芙蓉部隊」。軍事裁判も辞せず部下に特攻攻撃をさせなかった人物として 評価させている隊長の名は「美濃部正少佐」。「美濃部正少佐」は戦後、航空自衛隊に入り、「航空自衛隊幹部候補生学校」の10代の校長をなったという。

以下、検索した記述をそのまま転載します。


太平洋戦争末期、芙蓉部隊は一億特攻の世相の中にありながら、敢えて特攻戦法を採らず、薄暮・夜間の通常攻撃で戦い抜いた。



  1. 海軍夜間戦闘機隊の戦闘第801、812及び901飛行隊は比島決戦を経て、昭和二〇年に藤枝海軍航空基地(現静浜基地)で芙蓉部隊として再編された。
  2. 第三航空艦隊司令部は、沖縄戦に向け特攻攻撃を主体とする作戦を決定した。しかし芙蓉部隊指揮官美濃部正少佐は、夜間中爆撃の有効性を強硬に主張し、芙蓉部隊の特攻編成からの除外を司令部に承認させた。
  3. 以降「艦上攻撃機彗星」「零戦」をもって訓練を開始した。沖縄攻防戦にあたり、昭和二〇年三月、主力を鹿児島県鹿屋基地に移し、菊水一号作戦発動とともに沖縄の艦船及び敵飛行場に対し夜間攻撃を開始した。
  4. 他 の部隊が特攻により戦力が枯渇していく中、犠牲を伴いながらも攻撃を継続できたのは、藤枝基地という後方基地に於いて新人を無理なく訓練し、随時要員を交替させるという当時の日本軍としては例を見ないシステムを確立していたからである。また、整備員及び兵器員も、零戦は90%、稼働率の低さで定評の彗星においても80%の出動可能体制を維持した。
  5. 芙蓉部隊は、終戦まで一機の特攻攻撃機も出すことなく夜間攻撃を持って戦い続けた。


臆病者呼ばわりされる中、自分の信念を貫いた。
「大事な部下に、死刑のような無茶な命令は下せない」


特攻のかけ声ばかりでは勝ち目はない。命を賭けて国に殉ずるためには、それだけの目的と意義が必要である。

しかも死して意義のある手柄を立てようとするに は、勝算のない中での単なる精神力の空念仏では心から喜び勇んで出撃できるわけもない。

「大事な部下に、死刑のような無茶な命令は下せない」

この言葉は美濃部の思いを如実に示している。美濃部はやみくもな特攻のような無謀な作戦では、搭乗員の死が無駄死にになってしまいかねないと強く感じていたのである。
特攻のようにあらかじめ死が確定され戦力を消耗することが確実な最終手段ではなく、もっとアメリカ軍に効果的に打撃を与え、かつ日本軍の戦力の消耗を最小限に抑える奇襲戦法・・・つまり夜間攻撃といった戦法を特攻に至る前に採用するべきであると美濃部は主張したのであった。この主張が受け入れられ、その後の沖縄での特攻作戦では美濃部の芙蓉部隊は特攻編成から外されることとなった。実際、海軍の指導者の中には美濃部の意見を支えるものも少なくなかったので ある。



藤枝基地において寒風肌を刺す厳冬の深夜、夜間戦闘機隊としての猛特訓を重ねた。



  1. 昼夜逆転生活
      作戦の主体は夜間進攻のため、体を夜にならすため「猫日課」と称して昼夜を逆転させた。午前零時に起床、1時に朝食、6時に昼食、11時に夕食、午後4時に夜食を出し、電灯使用を制限して夜目の強化をうながした。
  2. 夜間洋上航法訓練
       黎明-薄暮-夜間の順で定点着陸訓練から、太平洋に出ての洋上航法通信訓練を行った。全搭乗員に充分繰り返される時間的ゆとりと燃料の割当がないため、 指揮所の2階に基地の立体模型を作って夜間の進入経路を覚えさせ、図上演習をくり返し実施した。また2~3機でも薄暮・夜間飛行訓練を行う時は可能な限り 見学させ、「飛ばない飛行訓練」に努め、燃料不足をいたずらに嘆くことなく練度向上をはかった。
  3. 座学の重視
      飛行作業の合間をぬい、講義が頻繁に行われた。特に雨天時は搭乗員を集めての集中的な講義が実施された。講義の内容は航法・通信・夜間の艦艇の見え方、攻撃方法などの戦術、飛行機の構造、機材等についてであった。


特攻で戦力が枯渇していくなか、「芙蓉部隊」は常に戦力を維持しつづけ戦果を挙げた。


芙蓉部隊の戦果等(昭和20年2月~同年8月15日)

芙蓉部隊は終戦まで整備員の努力により高稼働率を維持し、敵から飛行機が見つかりにくい日の入り後から日の出前までの夜間中、敵地を時間差で攻撃しつづけ、以下の戦果を挙げた。



  • 戦艦の撃破:1隻
  • 巡洋艦の撃破:1隻
  • 大型輸送船の撃破:1隻
  • 飛行場大火災:6回(1回は伊江島飛行場の艦載機600機の大半を焼く)
  • 空母群発見:4回
  • 敵機夜戦撃墜:2機
  • 出撃回数:81回
  • 出撃機数:延786機
  • 未帰還機数:43機
  • 戦死者数:89名

 

「私は、若い部下の搭乗員達に特攻作戦の命令を下すことはできなかった。それを下そうとも思わなかった。」

 

冗談とはいえ、「出撃のときは彼(上官)を殺してから」という言葉が出たり、特攻隊員の一人が、指揮所である士官と口論の末、ピストルで士官を射殺し、翌日ひょうひょうと特攻に出撃したという噂(真偽不明)が飛び交ったという他の特攻基地とのこの違い・・・。このような部隊が、そして美濃部少佐のような指揮官がもっといたら・・・。

                                                             以上


DVD「なぜ?に挑んだ科学の歴史100」科学編を見て

2011-07-06 17:33:46 | デスカバリーチャンネル

  7月6日  平成17年1月1日より 2,378 日目
          歩いた歩数        その距離 m
本日    13,122 歩       9,185 m
総計 33,150,402歩  23,205,281m
イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 342,977 m

             

 すべての物質が何からどのような構造で出来ているか、どんな特徴や性質を持っているか、それがどのように別のものに変化するのか、させられるのかを研究する分野が「化学」だと思って居たが、DVDを見て最近の研究で、「カーボンナノチューブ」という10億分の1mにも満たない電子顕微鏡でやっと見るほどの物質が発見されて、その応用によって、プラスティックやポリエチレンが齎した生活革命以上の大変化という夢のある展開が近い将来齎されと云う説に胸が高まる思いだ。

 ウィキペディアによれば、その性質は”アルミニュームの半分の軽さ、鋼鉄の20倍の強度、しかもしなやかで安定した粘弾性など多彩な特性を持っていて、大型橋梁用ケーブル、自動車、航空機、戦闘機、宇宙船など従来の物質では不可能な部位にも活用が期待されている”という。

 現在は生産コストが高く、金をも上回る価格で、需要には限りがあるというが、大量生産が可能になれば、全く新しい分野が開拓されるであろうと、既に新会社を設立して活躍を始めている企業も続々と誕生しているという。頼もしい限りだ。