百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

狐と狸

2006-02-28 19:34:53 | 随想

2月28日 (火) 
         平成17年1月1日より424日目
                               歩いた歩数       其の距離  
         本日      15,094歩       10,566m
          総計   5,884,811歩   4,119,368 m 
  

    只今南支那海上、香港まで後

133,632m

  狢から葉っぱのメールを貰った狐が葉っぱとも気づかず、狸の子供が貰ってはならない美味しい餌を貰ったと振れ回った。狸の親からガセネタだと指摘されてやっと気づいて謝る事になった。狐は大勢の前で頭を下げたが、腹の中では、あのメールは葉っぱかも知れないが、狸はキット美味しい餌を貰っているに違いないと、思って赤いヘラを出した。狸は気が治まらずお仕置きをするようだ。

  小泉総理の仕上げの政治改革の最後の国会であるにも拘らず、国政の審議をそっちのけにして、予算委員会で丁々発止侃々諤々の議論で時間の無駄使いをしている。 

  民主党は今国会に入って、耐震強度偽装問題など4点セットの追求で押せ押せムードに乗っていたが、永田寿康議員のメール質問が災いして舞台は暗転、攻守所を変えてしまった。民主党は野田国会対策委員長が辞任、鳩山幹事長も辞意を漏らすなど返り血を浴びてしまい、「政権交代の実現」という大目標も夢のまた夢となってしまったようだ。

  与党は追い討ちを掛けたいところだが、基盤の弱った前原代表を揺さぶりながらも深追いせずに主導権を行使してゆくことだろう。

  気になるのは、永田議員がメールの真贋の確証は得られないが情報提供者の言質を信頼して、今なお一定程度の事実はあるとの思いがあることだ。政治の世界には金は付物なのだろうか。

           永田議員


冬季オリンピック閉幕

2006-02-27 19:21:32 | Weblog

2月27日 (月)  
          平成17年1月1日より423日目
                 歩いた歩数    其の距離  
          本日      14,344歩     10,041m
           総計   5,869,717 歩   4,108,802 m
           只今南支那海上、香港まで残り144,198m

      
             閉会式 人間浮かぶ

    トリノ五輪の前評判では金5個もと期待されたが、競技毎に悲報が相次いでテレビに向き合う気力もすっかり失くしていた。ところが女子フィギュアで荒川静香の金メダルで俄然テレビに注目。気が付いたらもう閉会式となってしまった。トリノ惨敗と言うところだが、今日の閉会式はなんともすばらしかった。

  閉会式はイタリアの伝統的な謝肉祭(カーニバル)をテーマにした演出で、華やかな音楽と踊りの中に選手と観客が一体となって繰り広げられた。荒川静香が金メダルをかざし、男子選手の肩車に乗って登場したのは特に印象的だった。

  印象的と言えば、人間が何の支えもなくふわりふわりと空中に浮かび上がっていた事である。空気を噴き上げて人間を浮かべたのだろうが、人間があんなに簡単にふきあがるものなのか?そんなに強い風にあっても、吹き上がった人が正常に呼吸して居られるものだろうか?誰でも浮かんでいられるものだろうか?急転直下落下しないもんだろうか?疑問が次から次と浮かんだが、すばらしいショーだった。

  ショーと言えば、色とりどりの大型人形が王様やピエロの姿で華やかに繰り出されたり、白装束の女性が参加各国の旗を振って登場したり、背中から火花を散らしながらのパホーマンス、ロープにぶらさっがって踊る仮想ダンサー、鮮やかな光の中に舞う紙吹雪などどれも新鮮で見事な演出であった。

  日本選手団の活躍は「メダル一つ」という結果となったことは、厳粛に受け止めなければならないが、参加した選手の長年の精進には賞賛と敬意を表さねばなるまい。韓国の躍進、中国の飛躍は経済に裏打ちされたものかとも推移されるが、日本はどうだったのだろうか?イギリスに金メダルのないのは何を意味しているのだろうか?

    冬季オリンピックでの小生の見解は、(オホン)もうスポーツの限界を越えて「ショー」となってしまった、と言うことである。「アマを通り越してプロ」になってしまったと言うことである。選手とは名ばかり、時間と金で作られたピエロである。国家の威信を表現する兵士と成り果てた。くだらん!

  願わくば、健康増進のためのスポーツであって欲しい。

        根性を養うためのスポーツであって欲しい。

        スポーツの頂点は「甲子園」まで。

  

  

  

  

  


懐古 2.26事件

2006-02-26 19:20:28 | Weblog

2月26日 (日) 
         平成17年1月1日より422日目
              歩いた歩数     其の距離  
         本日      15,350歩      10,745m
         総計   5,855,373 歩   4,098,761 m
         只今南支那海上、香港まで残り154,239m

    今から70年前の今日、昭和11年2月26日、私が西神田小学校の5年生の時のことだった。大雪の朝で登校すると、子供たちが「岡田総理大臣が殺された」と話していた。教室には先生の姿はなかったが、家に戻るように指示されたように思う。帰宅すると、前の餅菓子屋の兄さんに「兵隊が宮城の辺に陣地を築いてる。行って見よう}と声を掛けられた。九段坂から竹橋まで行った。あちこちに兵士が武装して屯していたし、角々や橋の袂には土嚢を築いて機関銃なども据付けられていた。

  大通りには大勢の人で溢れ、緑色の制服を着た騎馬巡査が群集を指揮していた。其のうちに、ラジオから「撃ち合いが始まると危険だからビルなどの陰に避難するように」などの放送があった。駿河台や本郷の山の手には地方の連隊が来て、宮城を囲んでるなどの話も聞かされた。

  軍人会館に「戒厳司令部」が出来、デパートの大売出しの時のような気球が揚がった。かの有名な「兵に告ぐ」のアドバルーンである。決起部隊はやがて反乱軍とされ、目的を果たすことが出来ず、原隊に帰順して治まったが、「戒厳司令部」は夏になる頃まであって、私は大橋図書館に通っていたので、行き帰りにはよく尋問を受けたりした。

  こんな思い出しかないが、この事件の首謀者等が銃殺刑になった事が契機になって、子供心にも政治に関心を持つようになった。忠臣蔵の四十七士が切腹させられたように銃殺刑になった首謀者に加担する気持ちになっていた。

  真相は、昭和11年2月26日の未明、前夜からの雪の中で陸軍の一部決起将校が近衛師団の近衛歩兵第三連隊、第一師団の歩兵第一連隊、歩兵第三連隊の1,483名の将兵を使いク-デタ-を起こした。ク-デタ-は、午 前5時に一斉に開始され、総理官邸、赤坂の高橋是清蔵相私邸、四谷の斎藤実内大臣私邸、荻窪の渡辺錠太郎教育総監私邸、麹町の鈴木貫太郎侍従長官邸、神奈川県湯河原の牧野伸顕前内大臣を次々に襲撃、警視庁、陸軍省、陸軍大臣官邸、参謀本部を占拠した。決起将校は、政治の中枢である霞が関から三宅坂周辺を完全に占拠し、川島陸軍大臣に決起趣意書と要望書を提出して「昭和維新」の断行を迫った。しかしながらクーデター開始から2日後の28日午前5時、「叛乱軍は原隊に帰れ」との奉勅命令が下されて、決起将校たちの「昭和維新」の夢は完全に断たれた。事件後軍法会議が特設され、首謀者17名は死刑、69名が有罪となった。総理官邸で死亡したのは岡田総理ではなく義弟の松尾大佐だった。

 陸軍大臣告示   2月26日午後3時30分  東京警備司令部

    一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
    二、諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
    三、国体ノ真姿顕現(弊風ヲ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ
    四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニ依リ邁進スルコトヲ申合セタリ
    五、之レ以上ハ一ニ大御心ニ待ツ

  川島陸相は当初、決起部隊に好意的な態度であったが、天皇陛下の裁断によって「反乱軍」と態度を変えたようだ。

「下士官兵ニ告グ」のビラ  2月29日

下士官兵ニ告グ
       一、今カラデモ遲クナイカラ原隊ヘ歸レ
       二、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
       三、オ前逹ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ
                           二月二十九日 戒嚴司令部

       
             2.26事件 慰霊碑

 


雪見舞い

2006-02-25 19:56:58 | Weblog

2月25日 (土)  
          平成17年1月1日より421日目
               歩いた歩数     其の距離  
          本日     13,683歩      9,578m
          総計   5,840,023 歩   4,088,016 m
          只今南支那海上、香港まで残り164,984m

  昨日茅ヶ崎から久保さん夫婦が雪見舞いに来てくれた。長野までは殆ど雪を見ることは無かったが、飯山に入ってやはり報道に間違いの無いことを確認したようだが、我が家の雪にはど肝を抜かれたようだ。

     

  朝食の後、雪見に出かけた。私も飯山から北に行くのは初めてなので、「森の家」まで案内することにした。戸狩スキー場からトンネルを越えて、三郷に入ると一段と雪嵩が増えた。温井では更に雪の量は多く峠に向かったが行き止まりとなる。そこには埼玉から来たという若者が鍋倉山に登るための山スキーの装備をしていた。私たちは此処で写真を撮って引き返した。

     

  温井に引き返して森の家を目指す。鍋倉大橋で停車して雪景色を撮影。森の家でかんじき・スノーシュウを履きウォーキング。スノウーシュウは初めてだが、雪原の起伏を自由に歩くことが出来る機能に満足、関田山脈の景観を堪能して帰宅する。

     

  夕方馬曲温泉でスノーシュウの疲れを癒す。野天風呂から見下ろす高社山の山麓の大きな景観は天下一品だ。

     

 


金メダル

2006-02-24 12:57:13 | Weblog

2月24日 (金)      
  平成17年1月1日より 420 日目  
           歩いた歩数      其の距離 
  本日      17,191 歩     12,034 m
   総計   5,826,340 歩   4,078,438m 
 只今南支那海上、香港まで残り 174,562 m 

  大きな花火が上がった。日本中が明るくなった。冬季オリンピックでは、これまで前半が終わっても期待したメダルが一個もなくて沈み切っていたのが遂に得意の女子フィギュアで荒川静香が金メダルを取った。そして安藤美姫 は15位と不本意なっ成績に終わったが、村主章枝が華麗な演技で4位入賞を果たした。

          

  日本はライブドアの株式操作・姉歯設計士の耐震偽装・ヒューザーの破産・自民党幹事長の次男への振込み疑惑などため息のでる話題ばかりで沈滞していたが、漸くこの快挙で一挙に明るくなった。

       

              

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                 まあ~んで、げっと   その24
            「メダルに手が届きません。」「惜しくもメダルを逃がし
            ました。」日本の裏側でやってる冬のオリンピックは時
            間が逆さまで盛り上がりも今いちだ。あとはフィギア
            スケート女子・日の丸三人娘の活躍で最後のさいごに
            トリノの空に上がる日の丸 日本チャチャチャ !