3月31日 (土) 後
平成17年1月1日より 820日目
歩いた歩数 其の距離
本日 8,262歩 5,783m
総計 11,824,210歩 8,276,947m
上海から連雲港・徐州・曲阜を経て北京に向かう泰安まで 69,203m
曲阜到着
曲阜は山東省の省都済南市より車で3時間ほどの地での人口50万程の市だが、孔子の故里として余りにも有名である。市民のうち、10万人が孔性を名乗っているというが、孔子直系の77世孔徳成氏は中華人民共和国の成立前夜、台湾に渡ったという。
私が第15次飯山市日中友好訪中団を引連れて曲阜に入ったのは2000年10月17日の午後だった。闕里賓館に宿をとって早速孔廟・孔府・孔林を参詣した。闕里賓館の玄関には「有朋自遠方来、不亦楽乎」の彫物があった。さすが孔子の故里という思いと旧知のような親しみを覚えた。
このホテルが2階建てあることについて説明を求めると、「孔子さまの住まいより高い建物を建てる者は曲阜には居りません」とのこと。孔子を尊崇する念の表れと見た。
孔廟は孔子の没後、魯の哀王が孔子を祭るために建てたもので、その大成殿は北京の紫禁城・泰山の岱廟とともに中国三大宮殿建築と称されていて、歴代の皇帝がいかに孔子を尊崇していたかが判る。
孔府は孔子一族が代々日常の生活の場としてきた屋敷で、広さといい、格式といい、皇帝に次ぐものであったという。また孔林は孔子と孔子一族の墓苑で2500年もの昔より連綿として墳墓が造営されてきて、墓苑の中央に孔子、息子の孔鯉、孫の孔思、そして弟子たちの石造にかしずかれながら鎮座している。
私は歴史の遺産に目を奪われるよりも、孝経の碑の在り場所が気懸かりだった。案内人に聞いても土産屋に聞いてもその所在を知るものが無いまま参観を終わってしまった。嘗て上海のデパートで「孝経」の巨大な拓本を買った時からこの碑を訪れることを悲願としていたし、その拓本を手に入れ、多くの人に配ることを夢見ていたのだ。
更に言うなら、飯山市と曲阜市が友好提携を結び、飯山市内に数多くの「論語」の碑を並べ立て、孔子の聖廟を作って飯山市を日本の精神的メッカとしたい夢を持っていたし、今回の訪中がそのきっかけにしたいと思って居たが、そのきっかけが掴めず残念だった。
翌朝早く、頭にヘッドランプを点けてウォーキングに出た。もやの中を歩いていると、小牛のような大きな犬がついて来るではないか。逃げ場は無いので、早足で歩くと益々近づいてくる。覚悟を決めて前を向いたまま大手を振って歩いてゆくと、振った手が犬の顔に当ってしまった。あっと叫んで振り向くと、犬は私を見詰めていたが、やがて後ろを向いてもやの中に走り去った。「歩いて世界一周」の中でもこんな恐ろしい経験をしたことは無い。曲阜一番の思い出である。
孔廟入り口の金声玉振の門
孔府
孔子の墓