百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

曲阜に到着

2007-03-31 18:23:38 | Weblog

  3月31日  (土) 
                          平成17年1月1日より 820日目
                                       歩いた歩数   其の距離
                           本日          8,262歩        5,783m
                           総計   11,824,210歩   8,276,947m  
    上海から連雲港・徐州・曲阜を経て北京に向かう泰安まで 69,203m

                                   曲阜到着

           孝経碑の大きな拓本

   曲阜は山東省の省都済南市より車で3時間ほどの地での人口50万程の市だが、孔子の故里として余りにも有名である。市民のうち、10万人が孔性を名乗っているというが、孔子直系の77世孔徳成氏は中華人民共和国の成立前夜、台湾に渡ったという。

 私が第15次飯山市日中友好訪中団を引連れて曲阜に入ったのは2000年10月17日の午後だった。闕里賓館に宿をとって早速孔廟・孔府・孔林を参詣した。闕里賓館の玄関には「有朋自遠方来、不亦楽乎」の彫物があった。さすが孔子の故里という思いと旧知のような親しみを覚えた。

 このホテルが2階建てあることについて説明を求めると、「孔子さまの住まいより高い建物を建てる者は曲阜には居りません」とのこと。孔子を尊崇する念の表れと見た。 

 孔廟は孔子の没後、魯の哀王が孔子を祭るために建てたもので、その大成殿は北京の紫禁城・泰山の岱廟とともに中国三大宮殿建築と称されていて、歴代の皇帝がいかに孔子を尊崇していたかが判る。

 孔府は孔子一族が代々日常の生活の場としてきた屋敷で、広さといい、格式といい、皇帝に次ぐものであったという。また孔林は孔子と孔子一族の墓苑で2500年もの昔より連綿として墳墓が造営されてきて、墓苑の中央に孔子、息子の孔鯉、孫の孔思、そして弟子たちの石造にかしずかれながら鎮座している。

 私は歴史の遺産に目を奪われるよりも、孝経の碑の在り場所が気懸かりだった。案内人に聞いても土産屋に聞いてもその所在を知るものが無いまま参観を終わってしまった。嘗て上海のデパートで「孝経」の巨大な拓本を買った時からこの碑を訪れることを悲願としていたし、その拓本を手に入れ、多くの人に配ることを夢見ていたのだ。

 更に言うなら、飯山市と曲阜市が友好提携を結び、飯山市内に数多くの「論語」の碑を並べ立て、孔子の聖廟を作って飯山市を日本の精神的メッカとしたい夢を持っていたし、今回の訪中がそのきっかけにしたいと思って居たが、そのきっかけが掴めず残念だった。

 翌朝早く、頭にヘッドランプを点けてウォーキングに出た。もやの中を歩いていると、小牛のような大きな犬がついて来るではないか。逃げ場は無いので、早足で歩くと益々近づいてくる。覚悟を決めて前を向いたまま大手を振って歩いてゆくと、振った手が犬の顔に当ってしまった。あっと叫んで振り向くと、犬は私を見詰めていたが、やがて後ろを向いてもやの中に走り去った。「歩いて世界一周」の中でもこんな恐ろしい経験をしたことは無い。曲阜一番の思い出である。

 

  孔廟入り口の金声玉振の門

  

  孔府

    

  孔子の墓

    

  


株主総会

2007-03-30 17:40:02 | Weblog

  3月30日  (金) 
                         平成17年1月1日より 819日目
                                     歩いた歩数       其の距離
                         本日        16,796歩         11,757m
                         総計   11,815,948歩   8,271,164 m
          上海から連雲港・徐州を経て北京に向かう 曲阜まで 1,986m

  

市場の第37期株主総会に出席する。木島の市場は私が40歳の時、独力で開設したしただけにその行く末には一入の思い入れがある。幾多の合従連衡を繰り返しながら形を整え、大きく成長したことは、創設者として大きな喜びである。

 

株主総会は滞り無く終了したが、従来とは趣を異にするものが幾つかあって現行商法の無知さを知らされた。曰く、小さな会社には監査役の必要性が無くなったという。今までも監査役とは名のみで、会計監査に精通して居る者がなるという訳では無かったし、殆どの会社は専属の公認会計士によって最終的な決算が行われているのだから、不必要とするのは遅きに失した感がある。

 

また剰余金の配当についても新しい商法では、株主総会の承認を得る必要が無いとの説明を聞いて驚いた。しかし議長は前回通り議案を提出し、承認を得た。

 

営業概況では、食品流通の業界は概して大変厳しい状況下にあると思惟される中で、①果実専用の大型冷蔵庫の導入②漬物工場の拡大③他社との合弁による韃靼蕎麦茶の原料工場を中国に、など新しい意欲的な事業展開を企画しているとの朗報に社長の積極的な経営姿勢に共感を覚えた。

 

      写真は割愛

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長野県議会議員選挙の立候補者は午後5時の締め切りにも一名のみで4月8日の投票を待つまでも無く、当選。でも選管は4月8日の投票は行われないことになりました、とのみ報じた。 現議員の実績とその人柄から対抗馬の声すら聞かれなかった。おめでとう!  


オオイヌノフグリ

2007-03-29 18:59:30 | Weblog

  3月29日  (木) 
                           平成17年1月1日より 818日目
                                      歩いた歩数        其の距離
                           本日         15,940歩      11,158m 
                           総計   11,799,152歩   8,259,406 m
            上海から連雲港・徐州を経て北京に向かう 曲阜まで 13,744m

           

  雪が消え始めると先ず眼につくこの可憐な花、今盛りと咲き競っている。群生すると瑠璃色で美しく心を和ましてくれる。此の花は明治になって日本に渡ってきた外来植物だということからか、「おおいぬのふぐり」などという名前を付けられているが、いくら秋になる実が犬の睾丸に似ているからといって、「大犬のふぐり」とは酷すぎる。あのタンポポにそっくりの花も外来植物だからか、「ブタクサ」という名前だ。可憐な花はもっと相応しい名前をつけて欲しいものだ。

           

  歩いてゆく近くの家の垣根に沿うように、紅梅の花が開いていた。

 ○ 今日一日、ファイルの整理したが、終わらず。でも気分スッキリ!


懐かしい人に出会う

2007-03-28 19:25:06 | Weblog

  3月28日  (水) 
                          平成17年1月1日より 817日目
                                      歩いた歩数       其の距離
                          本日      15,428歩     10,800m
                          総計   11,783,212歩   8,248,248 m
        上海から連雲港・徐州を経て北京に向かう 曲阜まで 24,902m

       
            千曲の水温む 鴨の群れ

  ウォーキングの途中、綱切橋の上で突然「お元気ですね!」と声を掛けられた。何年か前に飯山を去られたSさん夫妻の乗った乗用車からだった。「やぁ!お久し振り!お二人とも元気で何より!」「今はどちらに?」の問いかけに「小諸」と言って二人ははちきれる様な笑顔で手を振りながら去っていった。

 Sさんは、町の中心で青果物を中心にした食料品店を営む若手で、店は奥さんが切り盛りをし、主人は地元のきのこの集荷をして市場出しをしていた。積極的な経営で市場の信頼も厚く、お得意さんも多かったが、スーパーの攻勢など時代の流れの中で飯山を去って行った。

 Sさんのお父さんは戦後、朝鮮から帰国して「物物交換所」を経営する傍ら、地元物産、特に林檎の県外出荷などを手がけ、後発の私どもの畏敬の人材だった。しかし流通秩序が整備されてゆく時の流れには抗しきれず小売専業に閉じ篭る事になった。私は店を妻に任せて、「ボテ振り」から始まって「振り売り」「りんご問屋」「りんご移出商」「市場経営」と進み、合併を繰り返して「長印」の経営者の一員となった。

 時の流れはその人の力量を度外視して押し流して行く。蝋燭屋が電気屋になり、ラジオ屋からテレビ屋・家電商に成長して、今は電気工事を主体に経営している業者が有力だ。八百屋・魚屋がスーパーに食われ自転車屋が衰退する中で、生菓子屋が息永く栄えているのも豊かな社会の表徴ではないだろうか?

 Sさんに会って、歩きながらこんなことを思い起こした。Sさんの幸せを祈るのみ。

 


三ッの幸せ

2007-03-28 00:00:56 | Weblog

 3月27日  (月) 
                        平成17年1月1日より 816日目  
                                     歩いた歩数    其の距離 
                         本日      16,184歩       11,329m
                         総計   11,767,784歩  8,237,449m
     上海から連雲港・徐州を経て北京に向かう 曲阜まで 35,701m 

その一

創造学園大付属高校が勝ったこと。此処何年も甲子園に出場することすら無かった長野県。そして幸いにして出ると負け。そんな事が永く続いたので余り期待はしなかったが、それでも9時にはテレビのスイッチは入れた。

 旭川南は浅沼、創造学園大付は赤羽の両左腕が好投した。創造学園大付は五回、窪田の二塁打で1点を先制。赤羽がこれを守り抜き、3安打で完封した。長野県が勝つなんて久し振りのことだ。兎に角良かった。良かった。

           

その二

先にやすらぎの里荒船で見つけた頭に赤い玉をつけたコケが「コアカミコケ」であることが判ったこと。「コアカミコケ」とは「小赤実苔」ではないか。「国立図書館」を検索して探し当てた。荒船の木橋で撮った苔と寸分変わらない苔の写真に出会うことが出来た。何万という苔の中からにしては偶然の出会いだ。神や仏は信じないが、なんとも幸せな出会いである。

    
          こあかみこけ

その三

ここ一週間探していた「県民手帳」が夕方発見されたこと。此処には一年間の守るべき行動(出席会議・場所・時間・持ち物・・・)が記帳されている命より大事な手帳なので、何としても探し出さなければならないものなのであるが、これが無いことが判った。それから一週間、これを探し、探し草臥れ、何処にも無いと諦めたその「県民手帳」が出て来たのだから、こんなに嬉しいことは無い。三つの中で一番嬉しい。7日間の遣り切れない苦しさがいっぺんに晴れたのだから・・・。

しかし手放しでは喜んでも居られない。それは見つかった場所が悪すぎる。一週間、家の隅から隅まで、車の中から物置の中まで、探さないところがもう無いとして諦めたのだが、出てきたのだ。それは毎日使ってるプリンターの印刷された紙が落ちないように引き出されている支えの下に在ったのだ。

プリンターから印刷された用紙が落ちるので、私は支えの下に手帳を入れて、支えの角度を挙げて用紙を落ちないようにした。そして3月になってからの20日間のブログのコピーを取った。それからは用紙が落ちなくなったので、「県民手帳」を支えの下に入れたことはすっかり忘れてしまっていたのだ。

還暦を過ぎた辺りから物忘れが酷くなってきたが、此処までになったとは我ながら恐れ入った。「健忘症」を通り越して正に「認知症」だ。これからは「県民手帳」は肌身離さずに持って居よう!