7月23日 (日) ①
平成17年1月1日より569日目
歩いた歩数 其の距離
本日 14,915歩 10,441m
総計 8,075,036 歩 5,652,525 m
桂林から長沙を経て武漢に向かう 武漢まで363,242m
太田地区のみなさんと日中友好協会の共催で田中勇治先生を偲ぶ会が行われた。太田小学校の校長であった田中先生は昭和14年満州下水内郷開拓団長として渡満、王道楽土を目指して開拓に従事したが、ソ連軍の蹂躙に遭い、昭和20年8月22日壮烈なる自決を果たされた。
下水内郷開拓団の記録「生きとし生ける詩」の記念誌の刊行を祝い、田中先生の遺徳を偲んで先生の法要と記念式典が行われた事に感動して私も参加した。
午前の法要では、私たち長寿会の会計で日中の副理事長でもあるYさんが、遺族会の会長として心のこもった長文の弔辞を読んで参列者に深い感銘を与えてくれた。また全国日中副会長でもある井出県日中会長も出席され花を添えられたのはうれしかった。
午後は「生きとし生ける詩」の記念誌の出版祝賀会が開催された。出版に当たっての上村力さんの経過報告は多くの方の協力で立派な記念誌が創刊された事への感謝と不戦を誓って多くの方々に閲覧して欲しいとの要請がなされた。
このあと、記念誌に記載された団員の逃避行を語る生き証人として大八浪泰阜開拓団に入植、終戦の逃避行に九死に一生を得た阿南町の熊谷秋穂氏の体験談を聞いた。
○ 父に召集令状が来て、親子の別れもそこそこに翌日の午前10時入隊。そのまま消息不明。昭和30年10月、白木の箱受領とは・・・
○ 逃避行中、略奪を防ぐため、残った若者で決死の斬りこみ隊を結成して団員を守った話
○ 母子が数珠繋ぎになって大河に身投げした、隊に遅れて手足纏になる子どもや老人を置き去った話。これ以上苦労させたくないと井戸に子を投げ入れた話・・・。、凄惨極まりない生き地獄のような話には涙をこらえられなかった。
○ しかし情けを掛けておいた満人(孫成和さん)の世話になり命をつないだ。彼が居なかったら、今のオレは居ない、感謝している・・・と。
このあと、「お斎」となり、和やかに、にぎやかに逃避行で生き残ったお年寄りのみなさんと酒を酌み交わした。