百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

中国から贈られた書⑦

2008-09-30 18:16:21 | Weblog

 9月30日  (火) 
                       平成17年1月1日より 1,369日目
                                     歩いた歩数        その距離
                       本日           13,005歩            9,104m
                       総計   19,150,897歩   13,405,628m
                北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・敦煌・哈蜜・吐魯番/ウルムチを経てクチャ(庫車)に向かう。後50,522m

                  

 この書はハルピンの姜宝貴さんと朱雲侠さんの二人から贈られたもので、味のある書体何時眺めても二人の野交流と新鮮さを感じている。

  二人は我が家にホームスティに来たハルピンの実業家で今もなお年賀状を送ってくれる義理堅い老朋友だ。

 脇の注釈から「酒醒飯飽茶香花好月圓人寿」と判るし、文句も気に入っている。

 「紫石斎書」とあるからには名だたる書家ではなかろうか。

 

 

 

 


老人クラブ幹部研修会

2008-09-30 11:55:21 | Weblog

  9月29日  (月) 
                          平成17年1月1日より 1,368日目
                                        歩いた歩数      その距離
                           本日            7,636歩          5,345m
                           総計   19,137,892歩  13,396,524m
             北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・敦煌・哈蜜・吐魯番/ウルムチを経てクチャ(庫車)に向かう。後59,626m

                
                                               信痩寺 山門 

               
                                                 信痩寺 六地蔵

 恒例の飯山地区幹部研修会が山之内で一泊二日で行われた。参加者は字町老人クラブの脱会・休会で6町20名だった。

 参加者を乗せたバスは「善光寺街道を辿りがら、飯山藩ゆかりの史跡を訪ねて」ということで地域の歴史に精通するSさんの案内で嘗ての参勤交代の飯山街道を辿りながら長野市の信痩寺の山門に向かった。旧街道は狭くバスの曲がれないところ・新しい国道などで寸断されているところも諸処にあったが、Sさんの詳しい説明に納得しながら信痩寺に辿りついた。この山門が飯山城の大手門であるなど改めて歴史を思い返したが、兎に角Sさんの薀蓄の深さを知らされた。

 ホテルに戻って昼食となったが、研修会ということで私に地域の老人クラブの活動状況を発表するよう要請された。昼食を控えていることでもあり、「釈迦に説法」にも成りかねないので、日頃考えている思いを述べて、単位クラブの運営の参考になればと発言した。

 事業年度を改正しよう・物故者慰霊法要が会員確保の要諦・会費は多いほうがイイ・会費会員に感謝・長寿開発センターから助成金が受けられるような目標を・石に噛り付いてもバトンタッチをと訴える。

 夜の宴会で女性人(おばばたち)が猛烈にハッスルのにはぶっ魂消た!

 


中国から贈られた書⑥

2008-09-28 17:35:37 | Weblog

  9月28日  (日) 
                         平成17年1月1日より 1,367日目
                                       歩いた歩数      その距離
                         本日           16,605歩        11,624m
                         総計   19,130,256歩  13,391,179m
               北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・敦煌・哈蜜・吐魯番/ウルムチを経てクチャ(庫車)に向かう。後64,971m

                
                                        田雨新師の書   

  この書も昨日と同じ田雨新師の書だ。河北省外国泉家局の案内で北京科技大学内の田雨新師の部屋を訪ね、見ている前で書いてもらった書だ。

  田雨新師は現在中国書画院院士・中国書法芸術研究院教授・中国人民大学書法教授をしており、作品は人民大会堂・毛主席記念堂にも展示されているばかりか、西安の碑林にも永久収蔵されている書道の大家である。

 画家である奥さんが広げた紙を押さえ、田雨新師はゆっくりした筆運びで一字一字慎重に書いてゆくのを見て、私はそれをビデオに撮った。その筆運びは目の見えない人が書いているかと思う程のゆっくりした速さで、その真剣な態度には全く感動した。そして押印には定規を使っていつまでも力を入れて押してる姿に敬服した。

 健康長寿 寿は南山に比すと書かれた後、「もう一枚書いて差し上げます。希望の文字をおっしゃって下さい」というので、「山中暦日無し」と書いて渡すと、「暦」の字を辞書で確認してから書いてくれた。

 私はその書を立ち会ってくれた瑠璃廠の表具師に頼んだが、この書は所在不明とってしまった。その後、北京の瑠璃廠に表具師に会い、問い質したが、言葉が通じぬままママチンプンカンプンで泣き寝入りとなってしまった。

 

 


中国から贈られた書⑤

2008-09-27 21:40:38 | Weblog

 9月27日  (土) 
                       平成17年1月1日より 1,366日目
歩いた歩数 その距離
                       本日 16,122歩 11,285m
                       総計 19,113,651歩 13,379,556m
             北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・敦煌・哈蜜・吐魯番/ウルムチを経てクチャ(庫車)に向かう。後76,594m

                 
                          この書は琢州市の党の段主席から頂いたものだ。

 琢州は北京の南隣の市で石家荘市へ行く道なので常に通過していたが、三国史で劉備玄徳が関宇・張飛と桃園の契りを結んだことで知られた地であり、中国映画の撮影基地としてのスタジオもあり、私の最も関心のある河北省のモデル市場が設立されたので是非訪問したい市だった。

 中国訪問が終わって帰国準備をしていた時、ホテルに突然段書記が訪ねて来られ琢州訪問を要請された。渡りに船と快諾、琢州市場の指導を引き受けた。夢は毛沢東でも果たせなかった中国全土に青果物の流通網を確立することで、農民の生活の向上を図りたいと考えていたからだ。

 中国の青果物の卸売り市場は、織田信長がやった楽市楽座に近い方式で、取引は農民と商人の相対取引に任せ、経営者は取引金額の概算で口銭を徴収するという方式で、所場代を取るだけと言ったものだった

 そこへ私が近代式市場経営の方式を導入しようとしても一朝一夕に達成できる筈も無く難航した。この書は二度目の帰国の際、琢州市から聘書と共に頂いたものだが、これが田雨新師の書と知って驚いた。

             

  この聘書は琢州市人民政府が私を河北琢州農副産品批発交易中心(河北琢州青果物卸売市場)の高級顧問として招聘するというもので、後になってこの聘書も中国書道家として自他共に認められる大先生の書と知って驚いた。田雨新師のプロヒールについては後で述べることにする。


中国から贈られた書④

2008-09-26 17:42:45 | Weblog

  9月26日  (金)  ①
                         平成17年1月1日より 1,365日目
                                       歩いた歩数        その距離
                         本日           13,623歩            9,536m
                         総計   19,097,529歩   13,368,270m
               北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・敦煌・哈蜜・吐魯番/ウルムチを経てクチャ(庫車)に向かう。後87,880m

              

  この書は添書きにあるように1986年8月23日第一次飯山市日中友好訪中団の副団長で行った時、北京で清朝の末裔愛新覚羅兆豊さんから贈られ た書だ。

 訪問先は北京・石家荘・西安・広州・桂林・杭州・上海と2週間にしては随分欲張ったものだったが、河北省外事弁公室の対応だった為、各地の対外友好協会の熱烈歓迎で稔り多い友好訪中となった。

 全線通訳のKさんが「熱烈歓迎の意を現します」と挨拶したので、私はKさんに「熱烈歓迎の意をと言ったときは表しますというべきで、現しますというときは意を使わずに気持ちをという方がいいと思う」と話したところ、「日本語は難しい。日本に留学して日本語の勉強をしたい」と言った。これが実現して翌年彼女は長野短大に留学することが出来た。懐かしい思い出だ。