goo blog サービス終了のお知らせ 

百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

召集令状

2011-11-17 17:54:03 | 私の青春時代

11月17(木) 平成17年1月1日より 2,521日目

         歩いた歩数          その距離

本日      1 4,594歩        10,216m

総計 35,147,110歩  24,602,977

墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後75,437m

 

  

 

先日の満蒙開拓語り部の会のデスカっションの際に発言された「私の父が役場の軍事係で召集令状に名前を書き入れる時はとても辛かったという話を聞いた」という言葉が気になって、日頃尊敬している方に行き逢ったので、「召集令状は兵事係は配るが、兵事係が自分の判断で召集令状に名前を書き込むなんてこと、あるんですかネ?」と尋ねたら、その方は「そうだったんですよ。それは極秘で兵事係しか知らないことになっていたが、実際そうだったんですヨ」と言われた。

 

私は「そんな事は絶対ありません。そんな事は許されません。」と打ち消して呉れることを期待して質問したのに、反対にそれは秘密だが、実際はそうだったんだ、と裏打ちされて益々疑念が深まるばかりだった。

 

我慢が出来なくなくなって、軍隊の後処理を引き継いだ復員省を検索すると、陸軍が第一復員省、海軍が第二復員省となったが、後に統合して内閣の復員庁となり、現在は厚労省復員局となった。いまは社会援護局になってしまった。と出ていた。

 

そこで【召集令状】を検索して見た。中々見応えのある記事や知らなかった事例が出て来てたいへん参考になったし、兵事係が赤紙に自由に召集兵を指名出来ないことも判明して、私の信念に間違いないことも確信することが出来た。

 

幾つか参考になる項目が出て来たが、【「最後の赤紙配達人」~”悲劇の召集令状”64年目の真実~】に、兵事係とは、村の人々の事を細かく把握し、戦争中には、徴兵検査の世話、召集令状や戦死公報の配達などが主な仕事だった。親友の戦死の内報に職を辞したいと村長に申し出たが許されなかったと苦しい心の裡が語られていた。

 

召集令状は聯隊司令部から地域の警察署に運ばれ、そこから役場の兵事係を経て各家庭に手渡されたので、ここでも兵事係が独断で中に対象者の名前を書くなどと云うことはあり得ない。

 

私は交通不便な山中のにまでその日の裡には届かないのではと考えて居たが、地域の警察を経由するということで納得した。

 

ただ、【戦時召集延期者】という内々の取り決めがあって、公共機関の運転手や軍需工場の熟練工や衆議院議員などは召集されなかったという。

 

戦時中に活躍した者が老いていく中で、戦後のリベラル派が自分たちの都合よい発想で夢を語って間違った事柄を吹聴される事で、真相を誤って伝えられることは断じて許せないので、これに取り組んだがこれで安心した。一件落着!

 

 

 

 

 

 

 

 


古兵殿(裏話20話)

2011-10-12 18:03:54 | 私の青春時代

 10月12日(水) 平成17年1月1日より 2,485日目
         歩いた歩数        その距離
本日       15,461歩        10,823m
総計 34,609,286歩 24,226 ,500m
地中海からイタリヤ半島に上陸ローマ・ボローニァを経て墺・伊国境ブレンナー峠向かう。後 269,059m
 

 (久し振りに軍隊体験の話をしよう)昭和20年3月26日私は「帰休兵陸軍衛生二等兵高主精一現役復帰を命ず」という帰休兵召集を受けて東部一五〇部隊補充隊に入隊した。配属されたのは通信中隊第5班。勤務先は衛生兵だから聯隊の医務室。医務室の中には①事務室 ②薬室 ③休養室 ④診断室 ⑤治療室があって勤務先を移動することは無かった。

 私は事務室勤務を命じられた。階級は星一つの衛生2等兵で最下級兵だが大きな事務机と腰掛けが割り当てられて、仕事は高級軍医の助手として召集兵の即日帰郷の判定や聯隊本部への衛生事務連絡・師団司令部への報告書の作成など、その他特務曹長の指示に従っての雑務などだった。何のことは無い。兵隊と言うよりはサラリーマンに近い勤務だ。

 朝起きて、洗面所に行くと、「古兵殿」と声を掛けられた。後ろを振り向いたが誰も居ない。自分への呼びかけだった。声を掛けた兵隊も星一つの初年兵だ。私は一度除隊して現役復帰の召集兵だから同じ二等兵でも、彼から見れば私の方が先輩だから敬意を表して【古兵殿】と呼びかけたのだろうが、何だかむずかゆいような変な気分だった。彼は水道の蛇口をひねって洗面器に水を一杯ためて差し出した。私は先輩の兵隊にしなければならないサービスをされたのだからこれには面食らった。これが毎朝続くと当たり前に思えて来て、【俺は初年兵じゃない。召集兵だ】と自信がついて来たし、貫録も出来て来た。

 一般に古兵とは、星二つの一等兵で何時まで経ってもウダツの上がらない兵隊の呼び名のようだが、私達の子供の頃は、修身で【木口古兵は死んでも喇叭を口から話しませんでした】という話を教えられた。

 日清戦争で、安城渡しの戦闘中に喇叭卒の木口古兵は喉を撃ち抜かれたにもかかわらず突撃喇叭を吹き続けて任務を全うしたという逸話に子供心に感動した想いがある。

 後から聞いた話では、木口古兵は古兵ではなく、木口小平という喇叭卒だ、と。


千人針(裏話19話)

2011-09-09 20:00:26 | 私の青春時代

  9月9日(金)   平成17年1月1日より 2,352 日目 
               歩いた歩数          その距離 
本日        16,525 歩       11,568 m
総計 34,110,642 歩 23,877,449m 
地中海からイタリヤ半島に上陸ローマからフィレンツェに向かう。後  193,390 m 
 
コメントが来た。あまりコメントは来ないので、コメントが来ると嬉しい。ブロガーの皆さん、どしどしコメントください。

 「慰問袋 千人針当今思い出して懐かしい言葉です・・・」というコメントを頂いた。私は”千人針”を貰ったことはもう無くなったが、シナ事変が始まった頃、赤紙の召集令状が来て出征して行くことは男子の誉と言われていたが、想いの彼氏が選ばれて戦地に赴くことは耐えられなかったことだろう。その頃から若い女性が街頭で手拭いに赤丸を1000個付けて、【お願いします!お願いします!」と云って道行く女の人に縫い針と手拭いを差し出して居た。彼氏の武運長久を祈って出征するまでに千人の印を貰って届けなければならなかったのだ。

 差し出された女性は自分の年齢だけの数を指すことが出来たと妻に聞いた。当時、千人針を差し出されて、見て見ぬ振りする大和撫子など一人もいなかったと云う。また【死線を越える】というので5銭銅貨も縫い付けられているのを良く見た。また【トラは千里往って千里還る」との譬からトラ年の人を訪ねてお願いしたとも聞いた。

 千人針は敵弾から身を守るお守りとして、愛しの彼に渡された。しかし貰った兵士にとっては、シラミの巣になってあまり評判は良くなかったし、男なら誰でも兵士になって戦地に行くのが当たり前になって来て、その姿は次第に少なって来た。大東亜戦争(太平洋戦争?)の頃には殆どその姿は見えなくなった。

 愛国婦人会 国防婦人会なんて襷を掛けた白いエプロン姿の夫人の姿が懐かしい風情だ。何処がどう違って居たのだろう?


慰問袋(裏話18)

2011-09-07 18:23:18 | 私の青春時代

 9月7日 (水) 平成17年1月1日より 2,350日目
              歩いた歩数      その距離 m
本日        15,662 歩      10,963 m
総計 34,078,732 歩 23,855,112m
イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 4,428 m

 慰問袋は贈ったことはあるが、受け取ったことは初めてだった。戦地で戦っている兵隊を慰問するために、色々な団体の呼びかけで、手紙を書いて、日用品や薬や保存の効く食料などを入れた布の袋が慰問袋だ。

 私のところに来たのは新町の家からで、郵便で送られてきた。皆から羨ましがられた。みんなの目が袋を開けるのを待っている。何が入っていたか、今ははっきりとは覚えていないが、出来るだけ公平に配った。

 煎った大豆が入っていた。袋から出すとき、こぼれた。その豆を追って 全員が我先にと飛びついた。食べ物で手元に残ったのは、信州名物「八幡屋磯五郎」の小さな缶の他は薬だけだった。 

 私は腹が減ると唐辛子を掌に振って舐めた。ピリッと辛いのが体中に回って元気が出た。新町の人たちの顔が浮かんで嬉しかった。これは長持ちした。

 (神薬)という薬も入っていた。これは頭が痛いときなどうなじに塗るとすっきりするものだが、“はっか”のほかに何かの蜜が入っていて美味いので,みんな飲んでしまった。

 仁丹は豆の代わりに口に入れていたが、腹の足しになったように思う。床にこぼれた豆を全員目の色変えて追いかける姿を思い出すたび、初年兵だったあの頃が懐かしい。

 何を隠そう、私の妻は新町の娘だ。


初年兵は腹が減る(裏話17話)

2011-09-06 17:51:09 | 私の青春時代

9月6日 (火) 平成17年1月1日より 2,349 日目 
 歩いた歩数  その距離 m
本日 15,266 歩 10,686 m
総計 34,063,070 歩 23,844,149 
イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後  15,391 m 

 班内の食事は、初年兵は飯やみそ汁は当番が作ったものを席についていて順送りして行くのだが、重い食器は自分のところに残し、軽い食器を次に送って行ったもんだ。配膳が済むと、班長に報告、全員席に着いたところで班長の号令で食事始めとなる。

 食事の済んだ古兵はタバコを吹かしながら雑談を始める。良く猥談を口にするが初年兵は腹が減っていて元気が出ないし全く興味が湧かないのはどうしたものだろうか。古兵の中には汁皿でたばこの火を消す者などもいる。食事終わりで古兵が立つや否や古兵の残した残飯の争奪戦だ。タバコを消した汁を手掴みで口にするものまで出る。毎食の浅ましい情景だ。是が帝国軍人の姿かと思うと我ながら情けない。初年兵はどうしてこうも腹が減るのだろうか?

 ある晩、夕食の後大講堂で演芸会が開かれた。歩哨に立っていた古兵がやってきて、耳打ちしてくれた。「まだ飯が食べられるか。おかずはないがそれでもよいか」と。古兵の言葉に飛びついた。普段いじわるばかりする古兵の中にもこんな親切な古兵がいるとは思ってもみなかった。

 普段食べている食器に盛った飯を2つ合わせて作った大きなむすびを何のおかずもなしで3ケも食べた。2日分をいっぺんに食べたのだ。みんな腹が膨れてのけぞって両手で支えていたがそれでも満腹とは感じなかった。初年兵の気持ちってどうなっていたのだろうか?