百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

貰って来たお土産

2005-09-30 15:56:24 | 日中友好
9月29日

9月29日
 平成17年1月1日より272日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   15,169歩   10,618m
 総計 3,665,619 歩 2,565,933 m

        仮想通過地点   沖縄(9.23)
            

            

 対外友好協会が歓迎の宴を催して頂いたレストラン「銀座」から硝子の中に花の鉢を浮かべた素晴らしい贈り物を頂いた。そのとき「銀座」名入れの歌集の入った
CDも合わせて頂いた。また万里の長城の最東端「老龍頭」の記念写真に付いてきたDVDを訪中日記も一段落したので見た。銀座で頂いたのもDVDで歌曲だけでなくテレビを見るように華麗な舞台での歌謡ショウであった。団員の方から「CD」を入れたが「ジージー」と言うだけで「あれはだめだね」と言われたが、自分の無知を曝け出して贈り主の誠意を蔑ろにするものだと感じた。また「老龍頭」での記念写真は20元(300円)だったので付属のものはCDで、ただグリコの景品のようなものだろうと推測してが、パソコンに入れてみて驚いた。これもDVDで、中国の電視台が編集した「秦皇島市」を主体に紹介するもので、名所旧跡・経済発展・農産物・港湾の紹介から春夏秋冬の移り変わり、北戴河・南戴河に至るまで約1時間ほどの長編ものの力作で、これについても98のパソコンに掛けたが何もでない、騙されたという話を聞いて自分の無知を棚に上げて正しい評価が出来ないことにがっかりした。この他にも、対外友好協会と存瑞小学校からも掛軸を頂いた。
感謝あるのみ。 謝々!

        思い出の「道中日記」 25日目 山北町~村上市

 起床5:00 出発9:10 天候朝から雨が当たり始め一日中雨降り台風の影響で風も強い 就寝11:00
今日の行程
山東町の寒川駐車場で朝食の後、8:12松山理事と別れて出発。雨がポツリポツリと当たりだしたが昼近くには本降りとなり一日中雨降り。風光明媚な「笹川流れ」も台無しになってしまった。昨日観光船でビデオ撮影しておいて良かった。雨は村上市に入っても止まなかったが、私が服用している薬は郵便局で受け取ることが出来て上出来、ジャスコで食料品を補給して塒を7号線の道の駅神林と決めて、直行する。6:30着。
日中国交正常化の日
 今日は忘れてはならない日だ。田中角栄首相と周恩来総理とが、1972年北京の人民大会堂で日中国交正常化の共同声明に調印した記念すべき日だ。

笹川流れ
松島は この美ありて この奇抜なし
男鹿は この奇抜ありて この美なし
ー頼三樹三郎ー



 延長11kmに及ぶ国の名勝天然記念物で、白砂と奇岩・怪石の上に自生する樹齢数百年の青松は、澄みきった海に見事に調和している。「ながれ」の名称は、沖合いの岩の間を盛り上がるようにして流れる潮流をその中心地である笹川の名を冠して呼んだと伝えられている。

蛸漁?
 蛸漁か、右手に長い棹を、左手に網をもって、しきりに棹を岩場に差し込んで網を使ってる老人を見た。棹の先に蟹に似た赤い布をつけて蛸の居そうな所に差し出すと、蛸はい岩場から姿をあらわして獲物に襲い掛かる。岩場から姿をあらわした蛸を網で掬い獲るのだという。この人はその蛸漁をやっている人と思うが如何に。

村上市に入って
 10:45村上市に入った。幾つかのを通って早川海岸に出たところで昼食をとる。次のが「柏尾」だ。飯山市の柏尾とまったく同じ字だ。ここら辺りになると、笹川流れの地籍と打って変わって海岸は砂原で海水浴場に適してる。柏尾海水浴場・上海府小学校などがある。また田んぼの基盤整備の完成記念碑が建っている。碑文が立派だ。「大地豊饒基歓」

 行くほどに「抗酸化工法で健康回復住宅つくり」とある。どんな工法なのだろうか?

動物慰霊碑
 まだ村上の市街地には遠いが、一寸した広場の一段と高いところに立派な「動物慰霊碑」が建っていた。動物愛護の役員の端くれとしても関心のあるところなので此処で一休みしてウオーキングを打ち切った。明日は此処から出発だ。



郵便局で薬受け取り
 日赤の薬が切れそうなのでママに頼んで郵送してもらった薬がもう届いていた。昨日の夕方送ったというのに何と早いこと。ありがたいことだ。

道の駅神林
今夜の塒にまた道の駅を選んだ。市内から7号線に出るのに気を使ったが出てしまえば見つけやすい。到着が遅れたので詳細は見てないが、障害者用の駐車位置は広々としていてしかも屋根が掛けてある。雨が降ってる夜は兎に角ありがたい。これは初めてだ。



 

やっと追いついた!

2005-09-29 11:07:26 | Weblog
9月28日

9月28日
 平成17年1月1日より271日目
   歩いた歩数    其の距離
本日   15,812歩     11,068m
総計 3,650,450 歩 2,555,315 m

仮想通過地点    沖縄(9.23)

 訪中で滞うって居たのと訪中旅行の整理に手間取ってしまい遅れていたが、やっと追いつくことが出来た。しかし未だ団員の写真の整理・配布・訪中記録の作成・会計報告書の作成などやる仕事がたくさんある。訪中の後始末には何時も悩まされる。でもそれだけ長く余韻を味わえると言うもんだ。

 今日は訪中団の秘書長北条事務局長と私のデジカメ写真をUSBメモリーを通して交換した。これで自分では撮れないお互いの行動を証明することが出来た感じだ。

      思い出の「道中日記」 24日目 温海町~山北町

 起床4:50 出発5:25 天候晴れ暖かく風なし 就寝12:00
今日の行程
 朝、出発のため立岩まで戻る。海岸通を南下、鼠が関から新潟県に入り勝木交差点で7号線と別れ345号線にはいる。ここで一旦ウオーキングを中止して乗車、観光船乗り場に直行する。船で笹川流れをたっぷり味わった後、再び勝木に戻って再出発。これより道の駅笹川流れを目指す。夕刻日中の松山理事から携帯が入り、「サポートに来た。今勝木に居る。笹川流れに向かう。」と。そこで妻に何処かで酒の肴を調達するように頼み、夕日の好位置で撮影をしようと更に南下する。松山理事と行き逢い逆戻りして寒川駐車場で、応援に来てくれたことを感謝して祝杯を挙げる。材料は全て松山理事の持参品で恐縮する。飲みすぎてうつらうつらとパソコンに取り組んだが、ダウン。12時寝る。
セブンイレブン
 下北半島から歩き始めて、今日温海町ではじめてセブンイレブンの看板を見た。東北はまったくローソンの地盤であることを知って驚いた。

鼠ヶ関=念珠ヶ関
県境近く鼠ヶ関址に到着、はじめは「ネズミガセキ」かと思っていたが「念珠」の漢字を見て「ネズ」と判明した次第。傍らに「勧進帳の本家」「地主」という民宿があった。立て札によると、義経一行は村上から船に乗ってきて、ここで下船、時の番所役人に手厚い接待を受けて平泉に向かったという。



県境で
県境で交通取締りの巡査に妻の車が呼び止められて待機していた。私が歩いて行くと巡査が近づいて来て、「ご苦労さん」と声を掛け、下北から歩いてきたと聞いて驚いている。79歳とは思えない足取りだ。気をつけて帰ってください。成功を祈ってホームページを楽しみに見ると激励してくれた。妻の話では私たちが道の駅に泊まっていた事まですっかり知っていたという。県境到着は10:19。これより新潟県山北町(サンポク)。

製塩業大繁盛
塩の看板があちこちに掲げられ、海水から塩を作って売っている業者が見受けられる。そんなに儲かる商売でもあるまいがこれも時代の流れか、「天然もの」「無農薬」ものに飛びつく神経過敏なおばちゃんたちの一時的な気まぐれに助けられてのブームか?



笹川流れをビデオで
天下の絶景を自分だけで楽しむだけでは申し訳ないし、そうかと言ってありのままを説明もできないのでビデオで観賞して貰うことにした。乞うご期待!

松山理事から携帯入る
 4:20突如松山理事から携帯入る。まったく予期しなかっただけに「応援」に駆けつけて呉れたことは嬉しかったし、恐縮した。

 寒川駐車場での夕食は、松山理事の差し入れ品でテーブルは一杯。飲み且つ語り合って気づいたら10時を廻っていた。それから日記の書き込みをやったがうつらうつらでとうとう12時でダウン。この日記は29日の早朝の作です。昨夜テントを張っていたバイクもエンジンを掛け始めた。出発準備OKと言った所。







 

壷中の天

2005-09-28 12:10:36 | 随想
9月27日

9月27日
 平成17年1月1日より270日目
     歩いた歩数   其の距離
本日    13,654歩    9,558m
総計 3,634,638 歩 2,544,247 m

仮想通過地点    沖縄(9.23)

 今回の訪中では中国の昔話の「壷中の天」を思い出して、ひとり微笑んでしまった。
 昔、ある男が玄関の大きな壷に行くと消えてしまい、戻ってきた彼は夢のような話をする。友人は彼が壷の中に入るのを確かめ、今度壷の中に入るときは是非連れて行って欲しいと嘆願する。

 壷の中に入ると、途端に空は開け、大地は何処までも広く、訪ねた家では竜宮に来たような接待を受ける日を過ごすことが出来たという。

 私が承徳の盤錘峰の話をしても、董存瑞陵園の石廊に中国の領袖と共に私の碑が刻まれている話をしても、隆化県の小学校に育英基金を贈っている話をしても単なるホラとしか思えなかったと思う。

 今回の訪中で、今までの観光旅行では想像ことも出来なかった歓待を受けて、中国を見る目も変わったことと思う。政府の指導で反日感情の高まっている中国に行くことに抵抗を感じていたのは、間違いだったと感じ取ったことと思う。マスコミの報道は全てでは無いことも思い知らされたと思う。たとい反日思想に染まっていたとしても、友情や愛によって消えていくものだ。人間と人間の結びつきは国と国との反目などで離される事は無い。

             
          

 今回の訪中のスケジュールはすべて承徳市対外友好協会の肖振玲さんが企画演出して呉れたものだが、その中で最も嬉しかった事の一つに刑春さんが随行してくれたことだ。私が中国に電話したときは既に北京の娘さんの所に移動した後で連絡が取れなかった。それを知った肖さんが北京の彼女に電話して私の訪日を知らせ、しかも随行まで黙認してくれたことだ。私は北京空港で出迎えてもらえば満足と思っていたところ、5日間、全線随行してしてくれた。夫を家に残しての随行には感謝の言葉も無い。ご主人の度量にも感謝しなければならない。日本人でコンナまねが
できるだろうか。世間が認めるだろうか?それにしても嬉しかった。楽しかった。

 存瑞小学校に着いた時、目にしたのはたくさんの子供たちが整列して待ち受けてくれたことだ。車を降りると一斉に、「ファンイン・ファンイン・ルーリーファンイン」の大合唱。その後の歌声は「爺さんに学ぼう!」「爺さんを尊敬しよう!」と後で聞いた。あまりの大歓迎に胸が込み上げ子供たちの姿が滲んだ。大合唱のトンネルの輪の中を行く足は宙を舞うようだった。今思い起こしても夢のようである。

 董存瑞陵園を建設し、愛国精神を植えつけ、反日感情を醸成しているのは「全国愛国者同盟」という旧軍人の組織だと聞いたことがあるが、その組織が私を「中日友好人士」として選んで呉れた。その碑を飯山市日中友好訪中団の皆さんが確認してくれた。この事実は重い。
 
 飯山市日中友好訪中団が存瑞小学校に寄贈した「天体望遠鏡」は山崎さんの贈る言葉で一層の評価を得たと思う。「この望遠鏡で宇宙を観察して欲しい。宇宙に比べれば地球はあまりにも小さい。宇宙の時に比べれば、人間の一生などは瞬きのようなものだ。悠遠の宇宙に目を向けて、狭い地球で争うなどの愚を悟って欲しいという思いで持ってきたものです」と。天晴れ!

       思い出の「道中日記」 23日目 鶴岡市~温海町

 起床5:00 出発5;30 天候くもり後晴れ     就寝9:30
今日の行程
 昨日の塒は鶴岡の大駐車場で、初めてテーブルを組み立てて日記の書き込みをした。

それを畳んで前の宇佐美で燃料を補給して5:30出発する。行けども行けども鶴岡市でいささか参ったが、日本海に出てほっとする。由良港を見たため、またまたトラブル発生。しかしどうにか温海町に入る。立石という地籍でウオーキングを止め、車で塒を求めて道の駅「あつみ」に着く。すばらしい施設で驚いたが、電気のコンセントは使用禁止のため、特にお願いして管理室で日記を書き込ませてもらっている。
排ガスは恐ろしい
駐車中、北九州のエクスプレスKの大型車が割り込んできてエンジンを掛けたまま、停車した。テーブルを組み立てて夕食をしていたところ、目がしみて我慢が出来ず、とうとう車の中に引っ越すことになってしまった。排ガスの恐ろしさをこんなに感じたことは無い。軽油を使用しているのだろうか?

庄内平野の稲刈り終了
 酒田・三川・鶴岡と歩いてきた庄内平野もようやく山裾に辿り着き、終わろうとしている。この辺りは稲刈りも済んで早い田んぼは青い2番穂が伸びている。

下り坂に赤い色
 由良峠に掛かると下り坂の面が赤く塗られている。こんな標は初めてだが運転手にとってはスピード注意の効果は大きいと思われるが、この費用も莫大なものが掛かっていることだろう。よく見ると道路を赤く着色したのではなく、赤いアスファルトを薄く貼り付けてある。はがれて来ると連鎖反応を起こすのではないか。

由良峠
 峠の頂上に大きな駐車場があったので朝食をとる。7:20下りきると「羽州夕陽海道」に出る。ここからは羽州夕陽海道・おけさおばこライン・笹川流れと美しい海岸をつたわって歩くことにする。

セイタカアワダチ草
 由良峠でセイタカアワダチ草の大きな群落を見た。こんな北まで繁殖が進んでいるとは思いも寄らないことだったので驚いた。

弁慶清水の跡
 奥州下りの義経一行は裏日本から山越えして行く途中、義経のために弁慶が清水を掘った霊地として鳥居を立ててあるのに出会った。



こんなトラブル
 またまた失敗をやらかした。わたしは由良港を見て来るから先に行っても良いと指示したのが間違いで、車は私を待っていつまでも待機、わたしは車が先行してるものとして7号線を南下。行けども行けども会わないので、携帯で連絡すると出ない。出ないのは妻の携帯を充電しているからで何回掛けても通じない。妻も携帯で連絡しようとしたが、充電したあと使えるようにする操作が判らないので出来ない。双方の連絡方法は全く出来ないままわたしは温海温泉に向かって南下、妻は公衆電話を使ったが連絡は出来ない。困った挙句、無茶苦茶に操作をしていたらやっと通じたと言って不平たらたっら。お互いに自己主張をしたら益々こんがらがって来そうな雰囲気なので、「あーあ、お腹がすいた!」で誤魔化して打ち切りとする。

この道は芭蕉も通った道
 あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み
 酒田から大山を経て温海についたのは元禄2年6月26日未刻とある。わたしとの差を数えてみたが、「芭蕉は翌朝、馬で越後路に出発し、曾良は湯温海を見て後を追った。」とある。私の歩きと芭蕉が馬では比較にならないと判断した。



道の駅あつみ
今日はここでお世話になることにしたが、もう職員の退社時間なので日記はこれまでとする。




訪中日記に奮戦

2005-09-27 16:40:50 | 日中友好
9月26日

 9月26日
 平成17年1月1日より269日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   13,025歩   9,118m
 総計 3,620,984 歩 2,534,689 m
       
       仮想通過地点       沖縄(9.23)

 帰国以来「訪中日記」に取り組んできたが、先客万来の有様で土産話や回顧談で中々進まない。今日も山崎さんが隆化県の子供からもらった手紙と人形を持参、堀内さんはこんな感動した旅行は今まで経験したことがないと、妻に見せたかったと涙を流しながらの熱弁で日が暮れた。勿論日記の書き込みは進まない。

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 思い出の「道中日記」 22日目 酒田市~鶴岡市

 起床4:50 出発6:10 天候一日中くもりで歩きやすい日    就寝8:20
今日の行程
 道の駅「みかわ」から酒田に戻り再び「みかわ」に向かって歩く。「みかわ」で昨夜から泊まっていた岩手の老夫婦とも再会。「歩いて世界一周」について詳しく聞かれ恐縮する。赤川を渡って鶴岡市(10:25)に入る。鶴岡市に入って7号線はバイパスになったが、行けども行けども何処までも鶴岡市なので歩き疲れて、「ごゆっくりどうぞ」と書かれた駐車場に腰を据えて、日記を書くことにした。
最上川舟歌
1.
ええやえんやえ~えんやえ~と
よいさのまかせえんやら まかせ
酒田さ行(え)ぐわげ達者(まめ)でろちゃ
よいしょ こらさのさ
はやり風邪など ひがねよに
え~や~え~や~え~えんや~え~と
あの娘(こ)のためだ
なんぼとっても たんとたんと
えんや~え~と えんや~え~と
よいさのまかせ えんやこら まかせ
よいさのまかせ えんやこら まかせ

2.
御殿はやぶさヤレ三ケの瀬も
達者で下ったとたのむぞよ

3.
五間二尺の ござ帆をあげて
下す酒田の大港


 突然、最上川舟歌の紹介になってしまいましたが、酒田訪問で忘れられないのがこの舟歌だ。わたしは世界の舟歌で絶対最上川舟歌に優るものはないと確信する。今回船下りが出来ないので、パソコンで録音を聞いて我慢。


三川町で拾った名せりふ
1.大きな亀の絵に添えて 倦まず弛まず
2.おやじのやる気モリモリの絵に添えて
今野のおやじやる気モリモリ よろしぐの~
3.三川町役場の看板
小さな町から 大きな発進



ハートフルタウンみかわ
(全国方言大会開催の町)いい職員が居るんですネ 

庄内米
大きなカントリーエレベーターに
はえぬき どまんなか
これ庄内米の銘柄なんでしょうがあまり聞いたこと無いナー!



イナゴがいっぱい
 バイパスを歩いてると脇の草むらでイナゴがぴょんぴょん撥ねる。つい気になってもっているスティックを草むらで振るとやたらと撥ねる。田んぼの稲刈りが終わってきてバイパス沿いに集まってきたんでしょうが、それにしてもこの土地の人達は捕らないんでしょうかね。食べないんでしょうかね。

大相撲千秋楽
日記を書きながら大相撲を聞いている。誰が優勝するか?はらはらしながら・・・。

 わたしが最初に転校したのは浅草の小島小学校だった。子どもたちは大人顔負けの相撲の知識をもっていたし、夫々に得意手も持っていて休み時間になると校庭のバスケットの丸い輪を土俵にして勝負をしたもんだ。わたしは相撲の名前は少し知ってる位で相撲は力で勝負するもんだと思っていた。時々勝つこともあるが、なかなか歯が立たない。いなかっぺは弱いので何時も馬鹿にされていたもんだ。因みに私の四股名は「馬鹿力」だった。

 ラジオは「魁皇が横綱を破って13勝2敗で見事優勝を 飾った」と。











 

神明町敬老会

2005-09-27 15:29:46 | 老人クラブ
9月25日


 9月25日
 平成17年1月1日より268日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日    13,292歩   9,304m
 総計 3,620,984 歩 2,534,689 m
      
         仮想通過地点   沖縄(9.23)

 午後3時 神明町公民館で区長主催の敬老会が開かれた。実歯私が訪中団に参加したので帰国するまで延期してくれたのだと言う。

 会は区長の挨拶の後、長寿会長として高齢者を代表して答礼の挨拶をした。

 本日は区の主催で在住の高齢者をご招待頂きましてありがたく、お言葉に甘えて参上いたしました。区の役員様方には日夜区の運営のために尽力されて居りますことを感謝申し上げます
 実は昨夜中国から帰国したばかりです。山海関の「老龍頭」と言う万里の長城の発端も見てまいりました。燕山山脈の長城に身を横たえた龍が渤海湾の海水を飲んでいる姿を想像して付けた名称であります。老というのは「年とった」という意味ではありません。「偉大なると言う意味です。」日本では先生と言いますが中国では「老師」といいます。「尊敬する」時に使います。私たちもこの意を汲んで、長い経験と多くの知識を活用して世のため、社会のために尽くして参る所存であります。感謝と決意を申し上げましてゆっくりとご馳走に預かって参ります。ありがとう御座いました。

           

 座は酒も意入り、副区長の尺八演奏や会計の手品などの隠し芸に大いに盛り上がり、草臥れた老人たちも息を吹き返した様だった。

            

思い出の{道中日記」 21日目 遊佐町~酒田市

 起床4:20 出発6:10 天候雨その後次第に回復午後晴れ  就寝8:30
今日の行程
 道の駅鳥海から雨の降りしきる中を酒田市目指して歩く。酒田市でお殿様より富豪と言われた本間家を訪ね、美術品を観賞し、車で道の駅「庄内みかわ」に行く。
近況報告
昨晩は早寝したのと、雷鳴を伴う豪雨に悩まされ、4:20起きてしまう。思い立って絵葉書に5枚ほど近況を認める。午後道の駅で投函する。

石屋が多い
 青森・秋田と歩いて、石塔を主体とする石屋が長野県から比較すると格段に多いと思っていたが、遊佐町から酒田市にかけて自然石を主体にした石屋の多いのにも驚いた。庭石用のほか石灯篭に仕上げたものも多く飾られている。景気が良いということだろうか。

十里塚
 一里塚というのは江戸時代幕府の政策で街道には必ず立てられた訳で、現存するものもあちこちに見られるが、十里塚という言葉は初めてだ。何を意味するものだろうか?単なる地名なのだろうか。

ねぎの作付け
 こちら(青森・秋田・山形)に来て葱の作付けがたいへん多いように思われてならない。需要が多いから作るのだろうが、単価が良いのだろうか?適地なのだろうか?或いは手抜きが出来るからだろうか?

タイヤ焼却センター
 (株)幸輪という会社の経営するタイヤの焼却場があった。近代的な設備で格好も良い。看板に曰く。「地球にやさしく 無煙・無臭・無公害」と。稼動中だったが確かに煙は出ていないし、匂いもない。この熱を利用した温室も見られた。時代にマッチした企業と見た。



野菜畑にスプリンクラー
 果樹地帯にスプリンクラーが見られるのは長野県でも当たり前の風景だが、野菜畑にまであるのは見たことが無い。ところが遊佐町~酒田市にかけて数キロにわたって施設されているのを見ていよいよ畑灌漑の時代に入ったのかと感慨一入だ。中には廃園になっている所も随所にみられたが・・・。

さくらは排ガスに弱い
 酒田市に近づくに従ってさくら並木の殆どが落葉したと思われる状態だ。今は二度咲きのさくらを着けているものや新芽の吹いているものがあるが、一度は落葉したはずだ。酒田に近づくにつれて車の数が多くなって排気ガスの被害もひどくなったのだろう。

支那そば
時々「支那そば」の看板を見かける。ご本人は昔の味にこだわって商売してると言いたいのだろうが、中国人は支那と言う字は特に嫌いだ。中国は世界の中心、世界の華だと自負してる。やはり「中華そば」であって欲しい。

本間美術館
 酒田に行ったら「本間さまには及びも無いがせめてお殿様の・・・」と言われた本間家を何とか見たいものだと願っていたので、ほかの施設は全て割愛したが、妻を強引に誘って見学した。なかの美術品については評価しがたいが、奥ゆかしい中に凛とした構えの本宅、そしてそれを取り巻く庭園には心が引き締まる思いだった。



道の駅庄内みかわ
酒田市には道の駅が無いので三川町まで足を延ばした。しかし山形に入って残念なことに何処にも「休憩所」が無いことだ。ガッカリして周囲を見渡したところ、「田田」(でんでん)という名の温泉があって一人300円とのことなので、そこに車を移した。頼み込むとパソコンを使ってもよいというので、風呂から上がって持ち込むと、床の間のある別室を用意してくれた。恐縮して遠慮したが、どうしても此処でというので甘えてお借りした。いま此処で日記を書いている。