まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

悪とは何か

2020-07-29 04:42:27 | 日記
「『教行信証』を読む」著者=山折哲雄
「仏の発見」著者=五木寛之&梅原猛

僕は商売柄、(お客さまたちの)信心の熱心さを目の当たりにすることがままあります。お経を唱えたり、祈ったり、お日さまを拝んだり。その形は人それぞれでなのですけれども、生活に根付いた習慣であることに違いなく、きっとそれらの行動による安堵感は、非常に強固なのだろうな、と想像しています。

現在のこの国において、神棚や仏壇のある世帯って、どの程度の割合になるのでしょう。手を合わせたり、お線香をあげたり、もしかしたら、そんな環境が少なくなったから、パワースポットが観光名所になったり、御朱印(帳)が人気になったりするのかもしれませんねぇ。

今回の夜勤の相棒はマエケンでした。仕事を終えた後に、喫煙所で雑談をしていたのですが、彼によるオカルト的な話は、具体的すぎて、少々長かった(笑)で、思ったのは、僕による宗教系の話題なんてのも、人からしてみたら、関係ない、興味がない、それよりも(マエケン的な)超常現象系の話の方が面白い、ということになるのかなぁ、と。

本とは全く関係のないことばかりで、すみません。でも、わざとなのです。確信犯。日蓮と親鸞の違いでもいいし、明恵と法然の違いでも何でも良いのですが、思想の違いというのは、自らの遺伝子に根ざしているのではないか、というのが僕の意見です。

悪とは何か。それは自らの心の中に潜んでいるではないか。過去の行動の中に見出せるのではないか。ロックで言えば、パンクの精神ですな。外向きには非常にエキセントリックに見えるかもしれないけれど、どこまでも内向的な因子なのであって、池田晶子さんが言うところの「ダイモン」なのではないか。

僕が石仏や親鸞に魅かれたのと同様に、因果なことにそんな遺伝子を引き継いでいる方もいるはずなのだから、届いて欲しいな、と願います。安らぎますよ、って。
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