まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

「因縁」について

2013-04-25 04:29:06 | 日記
先日の上越・北信濃旅行の写真を「微笑観音」にアップしたところ、monchanさんから、興味深いコメントを頂きました。

そのレスポンスを一生懸命記したので、このブログでも紹介します。

というわけで、以下、「微笑観音」からの転記です。

コメントありがとうございます!
因縁、というほどのことではないかもしれませんが・・・

昔、父から、我が一族は、山本勘助の子孫なのだと教えられました。
ですが、それを証明するものは何もないと思います。
おそらく、私の先祖の作り話ではないかと、私は推測しています。
確かに、甲州出身であることと、家紋が「丸に花菱(=武田系)」であることには違いありませんけれども。

山本勘助といえば、川中島の戦いで討死した人物と伝えられています。
武田方の武将ですので、いわば上杉謙信は敵(かたき)になります。
そして、春日山林泉寺といえば、上杉氏の菩提寺であり、謙信はまさにそこで育ち、埋葬された人物です。
ですから、今回その墓地を参拝したことこそが、私にとっての「因縁」と言えます。

林泉寺には宝物館がありました。
(ちなみに、その宝物館に収められている、謙信公の母君=虎御前が愛でたと伝えられる仏さまは、それはそれは、とても素晴らしいものでした。)
その宝物館を出る際、館長さんらしき方が我々を呼び止め、いろいろな話をして下さいました。
例えば、かつては、巨大な敷地面積を有していたこと。
曹洞宗ということもあり、その総本山永平寺のように、多くの修行僧がいたこと。
そして、1847年の善光寺地震の被害に遭い、追い打ちをかけるように、廃仏毀釈の嵐に巻き込まれたこと。
けれども、現在はまた、例えば「謙信公祭」の時など、地元の方々にとっては、特別な場所として存在していること、などなど。
林泉寺の歴史を、熱心に、丁寧に、教えてくれました。

<敵に塩を送る>
謙信よ、ありがとう。
そんな風に、私たちは手を合わせました。
私たち、と記したのは、今回の旅の友もまた、武田方の武将の子孫だと伝えられ、育った友人だからです。
彼とは、小学生の時に出会ったので、その付き合いは35年以上ということになります。
我々は、その当時から、例えば戦国武将のことについて、熱く語り合ってきました。
武田方の武将の子孫であることを、誇りに思って生きてきました。
そんな彼と旅もまた、「因縁」と言えるのかもしれません。
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