昨日のまぬけさんは夜勤明けでした。その後、シミと一緒に飯能に行って、お花見に参加して、昼飯を頂いてから帰宅して、落語を聞きながら少々飲んでいたら、暴力的な睡魔に襲われました。ふと気付くと、既にシミはいなかったので、2階に行って、そのまま転がりました。
23時頃。
ようやく目が覚めました。シミは(おそらく)ひとりで居酒屋さんに行ったはず。すみま千円。私は総菜パンを5個一気喰いして、さらに、卯の花かりんとうにまで手をつけました。ビール(もどき)はほとんど呑めませんでした。明らかな体調不良がありました。
11時頃。
ようやく目が覚めました。体調不調は消えていました。そうして、ビール(もどき)を呑みつつ、残っていたかりんとうを食しました。
「幼い頃蟹を捕って遊んでいた私の鴨立沢は、西行の歌を縦糸にして、長い間に人生の種々相を織りなして行くようであった。ただ西行のような達人でなかったために、ふらつきながら不徹底な生き方をしていたにすぎないが、不徹底であることに妥協はしなかった。八十近くになっても、まだ私は「心から心にものを思はせて」いるのである。でなかったら、下手な文章なんて書きはしない。断っておくが、私は西行の真似がしたかったのではない。真似ることのできない人物であることは最初からわかっていたが、自由に生きるということがどんなにつらいことか、その孤独な魂には共感されるものがあった。」
「西行と私」著者=白洲正子
むろん私にだって、白洲正子さんが、真似ることのできない人物であることは、最初からわかっています。さらに言えば、こうも言えるのかもそれません。私はシミにとっての、青山二郎もどきを気取っているのではないか、と・・・。しかしながら、私は学んでいるのです。若ものから助けられ、教わることの、なんと多いことか、と。
飯能の怪しげな古本屋さんに「名人は危うきに遊ぶ」がありました。100円でした。